死にぞこない交響曲-親愛なる××へ、刃を研いで-

水越ユタカ

第1話 エルフの棲み処①

『魔はヒトを侵す。人が魔を排するよりずっと早く』―― アレクサンダー・Ⅿ・ヴェーダ



 雨が降っていた。

 男は橋の上に立ち、荒れ狂う河を見ていた。

「やめてくんない?」

 振り返ると鎧を雨に濡らした騎士が、生気のない顔でそこに立っていた。

「いや、もし飛び込もうとしてるんならやめてくんないかなと思って」

「…………」

 自殺者を止めるにはあまりにもやる気のなさそうな態度に、男は思わず閉口した。

「雨だし河は荒れてるし、死体探すのが大変だから」

 男は一瞬呆けたような顔をした後、ふっと噴き出した。

「ははは、いや、確かにそうだ」

 そりゃそうだ、と笑い続ける男を騎士は怪訝そうな顔をしながらも黙って見つめた。

「じゃあ、今日は止めにしよう。騎士様の手を煩わせるのは本意じゃないしな」

 男は背を向けると、雨の中へ姿を消した。




(一)エルフの棲み処


 がらがらと大げさな音を立てて荷馬車が橋の上を通っていく。王都から離れた山奥へ続く道中でも、商人や冒険者が絶えず行き交っている。

「…… ベル」

 人ごみの中で、不意に長身の男が隣に立つ、同じく大柄の男に向かって言った。呼ばれた男はああ、と短く答えると腰から短剣を引き抜き通行人の一人に向かって振り下ろした。

 瞬間、通行人は短剣を振り下ろしたその箇所から二つに裂けた。ぐにゅぐにゅと音を立てて傷を修復しようとするそれに、通行人たちは悲鳴を上げて逃げ出していく。それは痛みに悶えながらも、前のめりになっていきむように力を込めた。

「ラフくん、前!」

 相方の警告に彼はマントをひるがえしながら舌打ちした。

「今朝乾いたばっかだってのに」

 呟きつつ手をかざしたそばから禍々しい生き物の目元が爆ぜる。この世のものとは思えない雄叫びの後、背中が徐々に隆起しはじめる。

「残念、」

 蝙蝠の羽のようなものが見えかけたのと、赤黒い飛沫が飛ぶのは同時だった。濡れた長剣が、陽光にきらめいた。

「飛んで逃げるには遅すぎたな」



 そんな、と声を上げたのは、橋を戻っていった先の小さな村の長だった。

「聞いていた金額と違います。ほら、そちらから送られてきた手紙にも――」

 机を挟んで真向かいに座ったベルは、黒髪の隙間から目を細めた。

「ええ、もちろん、手紙の内容に間違いはありませんよ。ただね、討伐要請と違って霧魔が一匹じゃなく二匹で、もう片方が一級霧魔だったんですよ。そのあたりを加味すると金貨六枚は頂きたいところなんですよ、本当は」

「…… 金貨六枚もだなんて」

 なおも戸惑った様子を見せる村長に、ベルはそうですよね、と愛想よく言った。

「でもね、霧魔が擬態してたのが一人だけじゃないのが幸いでしたよ。橋までの道中で真っ二つになった女性の遺体がありました。あそこで乗り換えたんでしょうね。他二か所くらいから同じ討伐要請があったので、この村からは三分の一の金貨二枚、ということで」

 村長はしばらく渋っていたが、やがてそういうことならと口にして代金を支払った。

「まるで詐欺師だな」

 村を出ると、ラフが額にかかる金髪をなびかせながら苦々しく言った。ベルは人聞きの悪い、と長剣を背負い直しながら言った。

「相手にも気持ちよく支払ってもらうための話術だよ。嘘は言ってないし、依頼も完遂した。そもそも嘘だったとして、領民から馬鹿みたいな税金巻き上げてる領主だから問題なし」

 そう言ってさっさと帰路につこうとするベルの後ろで、ラフは黙って肩をすくめた。



 大陸の西にある街には、ギルド連合本部がある。広場にある派遣所では冒険者を対象にした今回のような魔物の討伐依頼をはじめとする仕事も紹介されているので、常にサロンは冒険者でいっぱいだ。

「あれ? ニーナちゃん」

 受付に顔を出すと女性が顔をのぞかせてにこっと笑った。

「お疲れ様です、ベルさん、ラフさん」

「今日は仕事休みって言ってなかった?」

 ニーナはベルが受付に置いた書類を見分しながら、

「ステラに急用ができたとかで」

と説明した。

「はい、それでは、今回のお仕事はこれで……」

 依頼完了の際のお決まりの文句を最後まで言い切る前に、ニーナは口を噤んだ。そして受付の奥にちらりと目をやってから「あの、実は」と切り出した。

「内容が内容だったので、一旦はお断りしたんですけど、一昨日ロジーナ座の座長さんから依頼があったんです。なんでも、奥様のアメリアさんのお声が出なくなったとかで」

 アメリアは一座を担う歌い手だ。ベルは眉を上げた。

「何かの病気?」

「いえ…… 始めは座長さんもそう考えてあちこちの医者に診せたり、ギルドの方でも秘薬と呼ばれる薬やその素材集めに何人か派遣しました。でも……」

「効かなかった、と」

 ラフが後ろから呟くと、ニーナは肯定するようにうつむいた。

「ロジーナ座は大きな一座ですし、影響力もあるので所長も初めは手を尽くしていたんですけど、昨日の朝一人のギルド連合員が大怪我して帰ってきてから一切を断るようになってしまって」

「…………」

「…… らしくないな」

 ラフが言って、ベルも頷いた。

「所長らしくない。よりによってロジーナ座相手に」

 二人がそろって考え込むように口を閉ざすと、ニーナがためらいがちに口を開いた。

「―― エルフの呪いです」



 ロジーナ座は普段なら街の広場にテントをいくつも立てているが、今は興行を一部中止しているため、小さなテントがひとつあるきりだった。

「失礼」

 ベルはテントの前に立つ若い男に声をかけた。

「座長はこちらに?」

「すみませんが、どちらさまで……」

 男が口を開きかけた時、テントの中から中年の男が顔を出した。本来は中年と呼ぶには少し若すぎるのかもしれないが、やつれているせいか歳を食っているように見えた。彼ははっと目を見開くと、

「もしかして、バーダー所長の言っていた方々ですか?」

と、尋ねた。

「え? いや俺たちは――」

「まあそんな感じです」

 ラフが首を傾げつつ言うのにかぶせるように、ベルは言った。

 それを見るや彼はあからさまに安心したような顔を見せ、「どうぞこちらへ」と二人を別のテントの中へ案内した。

「申し遅れました、私、ロジーナ座の座長を務めております、ディルクです」

 ディルクの話はこうだった。

 ふた月ほど前、いつものように地方で興行があって、急いでいたこともあって傭兵を雇いいつもは通らない西の森を抜けた。その際に歌い手であるアメリアが下等霧魔に襲われ腕を負傷した。それ自体は大した傷ではなかったし、数日のうちに治り興行にも支障はなかった。

「でも、娘が…… 妻との、アメリアとの間に五つの娘がいるんですが、そいつがね、森を抜けた時に言ったんですよ。エルフがいたって、しきりに。でも本当にあの森にエルフがいて、あそこがエルフの棲み処なんだったら、踏み入った時点で当然私たちも無事ではいられないはずですから、子どもの言うことと思って本気にはしていなかったのですが。それでもあんまりしつこいので、私が苛立ち始めた時でした」

 妻の声が出なくなったのは。

 ディルクは続けた。

「飲み薬やら何やら試せるものはすべて試しました。でもどれひとつ効かなくて…… こうなるともう、娘の言う通りあそこはエルフの領域で、自分たちがそこを侵してしまったせいで呪われたとしか……。実はずっと昔にもあったようなんですよ、こういったことが」

「なるほど」

 ベルは薄く笑みを浮かべて言った。

「調査のため、団員の皆さんにお話をうかがっても?」

「もちろんです。外にいますのでなんでも聞いてください」

 二人が外へ出ると、少女を連れた女性が寄ってきた。

「妹のこと、何卒よろしくお願いします」

「妹というと……」

「アメリアの姉のヘラです。この子はアメリアの娘のエリーゼ」

 ヘラが紹介する傍ら少女と目が合って、ベルは大きな体躯をかがめた。

「こんにちは」

 少女―― エリーゼはベルとは視線を合わせずスカートをぎゅっと握りしめた。

「ごめんなさい。ちょっと内気な子なんです」

「歌い手は世襲じゃないんですね?」

 しゃがんだままのベルの後ろでラフが聞けば、ヘラは「世襲ですよ」と答えた。

「ただ、ほぼ、という言葉が頭につきますけど」

「ほぼ?」

「いえ、別に、それほど複雑な話じゃないですよ。単に、私の実力が妹より劣っていて、亡くなった前座長が実力主義だったというのもあって。―― ごめんなさい。私、予行演習に参加しないといけないので、これで。今度の公演、私が妹の代わりに歌うことになったんです。よかったらお二人もいらしてください」

 ヘラはエリーゼを促して、その場を去った。


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