増田先輩

「あぁ、樋口君、今日も練習かい?」


ある日の放課後、打楽器室に入ると唐突に話しかけられた。


声だけで誰かわかったが、一応は振り返ってから返事をする。


『はい。先輩もですか?』


先輩は、いつもの落ち着いた表情でいるのかと思っていたが、実際は違っていた。


いつもより、少し神経質な印象を受ける。


いつも余裕の笑みを浮かべている口元は真一文字に結ばれていて、どこか俯き加減に見える。


『…どうか、しましたか?』


思わず聞いてしまった。


「あ、いや、大したことではないんだけど、今日は、練習の後はなにか用事はあるかい?」


??なんだろう?


『いえ、今日はなにも。練習だけです。』


すると、先輩の表情が少しだけ緩んだような気がした。


「そうか、なら、練習の後少し付き合ってもらえないか?」


なんと…今日は珍しい日だ。


『えぇ、もちろん。込み入った話なら、学校を出てしますか?』


先輩の表情がさらに緩んだ。なるほど。そういうタイプの相談か…?


「あぁ、では、ご飯でも行こうか。僕がご馳走するよ。僕は、302の教室で練習をしているので、樋口君の都合がついたら呼びにきてくれるか?」


まぁ、それは構いませんが、そんなご馳走なんて…と言おうしたが、先輩は言うだけで言って足早に打楽器室を去って行った。


珍しい、あの増田があんなにも狼狽えるなんて。


先輩はパーマのかかった髪と縁の太いおしゃれな眼鏡が特徴で、いつでも冷静な尊敬できる3年生の先輩だ。

楽器にもよるが、4年生よりも上手いとすら感じる時もある。

音楽の知識や演奏の経験も豊富で、既に安藤先生(俺達の打楽器の先生)からも演奏の仕事をもらっている数少ない門下生の1人だ。


俺もいつか、学校意外で増田先輩と一緒に演奏したいと思っている。

その先輩から、話したいなんて、本当に珍しいと思う。

だけど、内容のおおよその検討はついた。


相手まではわからないけど笑





結局、あまり待たせても申し訳ないので1時間程で先輩のいる教室を訪ねた。


ちょうど演奏が途切れたところでドアを開けて室内に声を掛ける。


『お疲れ様です。大丈夫ですか?』


振り返った先輩は、いつもの余裕の表情だった。


「ん。僕は構わないけど、もういいのかい?」


えぇ、気になって仕方ないのでw


『はい、先輩さえ良ければ。』


すると先輩は、少し笑って言う。


「ありがとう。では、片付けたらすぐに行くので、打楽器室の前で待っていてくれるかい?」






言われた通り打楽器室の前で待っていると、5分もしないうちに先輩が降りてきた。


促されるままに学校を出て、なんとなくついていく。


「樋口君、君は、モテそうだね。」


何を言い出すのかと思ったらw


『いえ、そんなことは、モテそうなのは、むしろ先輩の方ですよ』


これは本心だ。オシャレに気を遣いながらもあのレベルで演奏できて、その上頭も良さそうだ。


こう言う人こそ、俺の中では【モテそうな人】なんだが。


「お世辞でも、嬉しいけど、僕はそんなにはモテないよ。」


はぁ、そうなんですか。


なんと答えていいかわからないままいると、目的地についたようだ。


「変わったところは何もない洋食屋だけど、いいかい?味は、保証する」


『えぇ、もちろん。』


増田先輩は、そもそもあまり口数が多い人ではないが、今回は先輩が話し始めるまで待っているのが正解だと思っていたので、世間話には適当に相槌を打ちながら本題を待っていた。


お互いのメインの料理が運ばれてきた。


先輩は【ペスカトーレ】俺は【カルボナーラ】それに、2人ともこのお店の定番だというフォカッチャを注文した。


飲み物は2人ともコーヒーだ。


食べ始めたところで唐突に切り出された。


「樋口君、君は、あのクラの1年生と付き合っているのか?」


やっぱり。そうきたか。


『ご存知でしたか。えぇ、お付き合いさせていただいてます。』


本当にその通り。見た目も中身もドストライクな自慢の彼女です。


「そうか、変なことを聞くが、それは、君から切り出したのか?」


本当に変なことだな。w


『んー、微妙なところです。(詳しくはBlue Ribbon第6話参照)』


こう言うことは2人の間だけに留めておきたいので、突っ込まれてもかわすつもりでいたのだが…


「そうか。では質問を返させてくれ。そう言うことは、やはり男から言い出すべきか?」


いや状況次第でしょうけど…。


『まぁ、そうですかね。でも、言い方は悪いですが、行けそうならって言うのが前提かと。』


全くの脈なしの相手に告白したって迷惑だろうし…。もちろん見極めるのは難しいけど。


もう少しだな。まだここで聞き返すべきじゃないな。


「なるほど。行けそうなら、か。それは、どう判断したらいいんだろうか?」


もしかして、先輩は…?


『必ずしも全部がってことはないですけど、2人きりで会う誘いに乗ってくれたら、ある程度は脈はあるんじゃないですか?1、2回じゃ判断できないですけど、でも、例え一回だって、相手に気がある場合もあるとは思いますよ。』


思案の表情に変わる先輩。真剣だ。


「そうか、ではやっぱり、誘ってみないことには何もわからないよな。」


えぇ。


『それは、そうだと思います。』


するとパッと顔を上げて俺の目をまっすぐに見る。


「実は、気になっている人がいてね。」


でしょうねw


「君の彼女と同じ、クラの人なんだ。」


なるほど。


『そうなんですか。』


「うん、藤原先輩ってわかるかい?」


えぇ、もちろん。


『わかります。4年生の先輩ですよね。』


ん?どうやって知り合ったんだろう?


「うん。Aブラスのオーディションの後、飲み会になっただろう?あの時、彼女は1年生の君たちだけを先に帰しただろう?それを見て、なんて気の利く人なんだと思ってね。話しかけに行ったんだ。知り合いではなかったけど、藤原先輩の演奏は他の学生とは別格だから、僕の方は知っていたしね。それに、どうやら先輩も僕のことを演奏で覚えてくれていたみたいなんだ。」


なるほど。


演奏でお互いのことを覚えてるって言うのがすごいな。羨ましい。


「それからと言うもの、どうにも先輩のことが気になってね。そしたらこの間、たまたま帰りが一緒になってご飯に行ったんだ。それで、連絡先を交換したんだけど、それからどうしたらいいか迷っていてね。」


迷う必要などないような気がするが…。w


『せっかく連絡先を交換したのであれば、もう一度ご飯に誘ってみたらどうです?今お話を伺っている感じだと、来てくれると思いますよ?』


「そうかな?」


『はい、だって、一度はご飯に行ってる訳ですから。仮に断られてしまったとしても、今が忙しいだけかもしれませんし。』


「確かに。でも、もし断られてしまった場合は、嫌なのか、それともただ忙しいだけなのか、わかるもんだろうか?」


あぁ、やっぱり。


『ですから、それを確かめるためにも誘ってみればいいんですよ。もしただ忙しいだけなら、いつなら行けるとか、そう言うことを言ってくれるかもしれないですよ?』


先輩は…天然なんだなw


「なるほど。とにもかくにも、自分で動いてみないと始まらないと言うことか。」


そうです。そう言うことです。


『はい、それこそ、男の役目かもしれませんよ。』


そもそも一回自分から話しかけに行ってる訳だし、メールでご飯に誘うのなんてそこまでハードル高くもないような気がするが…w


「そうか。ありがとう。やっぱり君はモテるだろう?君の言葉には説得力があるよ。まぁ、僕が経験不足なだけかもしれないけど。」


その後の話で、増田先輩は恋愛経験が全くないと言うことがわかった。


ただ、あの見た目、あの実力だ。もしかしたら女性からのアタックに気付いてなかったんじゃないかと思うw


今日はもう遅いから明日にでもメールをしてみると嬉しそうに話していた。


後輩の俺が言うのも変な話だけど、なんというか…純粋な人だ。


うまく行くといいな。


もし、藤原先輩も増田先輩に対して興味があるなら、結が何か聞いているかもしれない。


今度、聞いてみようかな。



少し肌寒い秋風の中、暖かい心で帰り道を歩いた。

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