赤ずきんと狼クンのお話

一人と一匹

「狼クン、どうしたの?」

　赤い頭巾をかぶった少女は、体長一三〇センチ程度の若い狼に声をかけた。

　琥珀の両眼、足元は白く、上にいくにつれ灰色が混じる毛並みをもつ。テント一式が入ったリュックを背負っている。

『赤ずきん、血の臭いがするよ!』

　森林の間にある街道から逸れた狼は、臭いを辿って森林に入っていく。

　ふさふさの尻尾を垂らして左右に振るお尻を眺め、赤ずきんと呼ばれた少女は肩をすくめる。

「まだまだ子供だねぇ」

　赤ずきんの腰ベルトに吊るされたホルスターには六インチのダブルアクションリボルバー。肩に斜めにかけたポシェットと、ボルトアクションライフルを装備している。

　木々と茂みを掻き分けて、狼の尻尾を追う。

　太陽の明かりが差し込まれないほど深い森のなか、寂れた小屋が佇んでいるのを発見。

　狼は身を低くした姿勢で赤ずきんを待つ。

『赤ずきん、人食い狼が死んでる!』

　明るい声で報告する狼に、赤ずきんは呆れながら小屋の周囲を観察する。

　頭を撃ち抜かれ、仰向けで倒れている人食い狼(この世界では二足歩行する狼をそう呼ぶ）が一匹。乾いた赤黒い血液が飛び散り、草や土を濡らす。

「口の周り、牙も真っ赤。狩人さんと争ったかな、でもこの感じだと狩人さんも重傷だね」

『怪我してるの?　そういえば、他の血の臭いがする』

　狼は小屋の窓に前脚を乗せて、中を覗く。

「狼クン、警戒もなしに窓を覗き込んじゃダメだよ」

『えー平気だよ』

「人食い狼さんみたいになりたい?」

『……』

　狼は窓から離れ、尻尾を内側に丸めて大人しく赤ずきんの足元へ。

「よしよし、いい子だ」

　赤ずきんは背中に掛けたボルトアクションライフルを手に持ち、ドアの前に向かう。

　ボルトを起こして引き、薬室を覗いて銃弾の装填を確認し、右ボルトハンドルの位置を戻して下に倒す。

　地面には垂れた、どころではない血液が動線の役割をしている。

　金属の取っ手を掴み、ゆっくりと扉を押し開ける。蝶番の軋む音が森に響いた。

『うぅ、臭いが濃くなった』

　狼は顔を下に向けて赤ずきんの後ろでクンクン鳴く。

「そうだね」

　静かに返し、銃口を小屋の中に向けて、構えながら侵入。

　真っ暗な室内に、扉を開けたことで薄っすらとした頼りない明かりが差し込んだ。

　血が示す先を目で追いかけ、赤ずきんの瞳に映ったのは、ボルトアクションライフルを腕に抱え、真正面の壁に凭れて両脚を伸ばして座り込んだ狩人。右腕は太い牙で噛まれ、袖を真っ黒に染めている。

　力なく、だらん、と首は下を向く。頑強で背が高い、濃い髭を蓄え、毛皮の帽子。

「狼クン、外を見張ってくれる?」

『分かった!』

　狼は明るく返事をした。

　銃口を左右に向けて見回した後、赤ずきんは座り込む狩人に近寄り、観察する。

　左手で握りしめた皺の寄った便箋を見つけ、赤ずきんはボルトアクションライフルを背中に戻してから、そっと抜く。

　赤ずきんは、黙って封を開けた。

　ペンで綴った硬い文字を黙読し、眉を微かに下げて小さく息を吐き出す。

　ポシェットに便箋を入れた後、赤ずきんは狩人に抱えられたボルトアクションライフルを掴んだ。

　ボルトハンドルを後ろに引き、中身を覗けば銃弾が装填されている。

　トリガーガードの前部分にある掛け金を押せば底のフタが外れ、銃弾は赤ずきんの手に落下。

　ポシェットの内側にある銃弾専用の穴へ入れ込む。

『赤ずきん、それ泥棒だよ……っ』

「まさか、落ちていた物を拾っただけだよ。さ、あまり長居すると人食い狼さん達が寄ってくる、道に戻ろう」

　狼は森の周囲をキョロキョロと見回し始める。

　その様子に赤ずきんはボルトアクションライフルを再び手に取り、窓を強引に開けて小屋の外を睨む。

『赤ずきん、人食い狼の臭いがするよ!』

「言った途端にこれだ……あんまり無駄撃ちしたくないなぁ」

　狼は窓から見える範囲へ移動する。鼻面に皺を寄せ、牙を剥き出しに唸り始めた。

　草が何かと擦れる音が連続して鳴る。

　前傾姿勢に猫背気味に、銃床を肩に当て、頬も密着させて構え、照準器越しに獲物を待つ。

　草の擦れがどんどん騒がしく、大きくなり、影が飛び出す。

　後ろ脚で器用に走り、涎と舌を垂らした人食い狼が大きな口を開けて襲い掛かる。

『ぎゃ、気持ち悪い!』

　狼は悲鳴を上げ、窓に向かって逃げるように駆け出す。

「……」

　真正面に走ってくる人食い狼を捉え、衝撃波を生む破裂音が森全体に響き渡った。一斉に木から飛び立つ野鳥。

　心臓を撃ち抜いた後、人食い狼は衝撃で後ろ脚を一歩下げる。

　赤ずきんはボルトハンドルを起こして引き、空薬莢が空を舞う。再び前に押して下へ倒す。もう一度発砲。

　今度は首を撃ち抜く。皮膚が裂けて内部を抉り貫き、背中から倒れていく人食い狼。

「ふぅ」

　赤ずきんはボルトハンドルを肩にかけ、小屋の外に出る。

　すぐに足元へ駆け寄る狼は、尻尾を横に振ってクンクン鳴く。

『一匹だけで良かったね!』

「そうだね。群れからはぐれたか、追い出されたか……さぁ、日が暮れる前に戻ってテントを立てよう」

　赤ずきんは小屋から離れ、街道近くの平原に戻った。

　ワンポール式テント、折り畳みの軽量イス、折り畳みの軽量ミニテーブル、折り畳みの焚火台を組み立てる。

　集めた枝木を焚火台に入れて火をつけ、テーブルにはミニボトルの赤ワインと干し肉。

　狼には水と干し肉を渡す。

『赤ずきん、何を拾ったの?』

「手紙」

　ポシェットから便箋を取り出した。

『手紙?　手紙ってなに?』

「思いを綴って、相手に伝える為の手段、かな。駅馬車に頼めば、伝えたい相手がいる町に届けてくれる」

『凄い!　ねぇねぇ何が書いてあったの?』

　興味津々に訊ねられ、赤ずきんは微笑んだ。

「……家族に宛てた手紙だよ。元気にしてるって」

『じゃあ届けなきゃ!』

「えぇー駅馬車に頼むとお金がかかるしなぁ。弾代、食料代を切り崩すのはちょっと」

　赤ずきんは渋る。

『じゃあボク達で届けよう!』

「……直接家族に?　やめた方がいいんじゃない」

『どうして?』

「まぁちょっと、色々とね。苦い経験から得た勘ってやつ」

『ますます分かんない』

「狼クンはまだまだ子供だからねぇ。この大陸を旅してると善意や綺麗事がどれだけ無駄か、よく分かるよ」

　手紙を掴み、夕暮れの草原と遠くまで続く街道を眺めた赤ずきん。

　狼は純粋に染まった琥珀の瞳を逸らし、伏せた。

『……赤ずきんがそう言うなら』

　ふふ、と赤ずきんは微笑む。

「いつか町に寄ることがあったら、家の前に置いておこう。それでどう?」

　頭を起こした狼は尻尾を振って喜んだ。

『分かった!』

　一人と一匹は夕食を摂り、体が温まるまで取り留めのない会話を続けた。