他愛もない日々

 アイが内蔵されたスマホを受け取ってから数日が過ぎた。好感度は現在三十ほどである。アイは俺に対してタメ口になり、友達とのコミュニケーションでやるような冗談も増えてきた。本当に人間らしいなと思う。

 とりあえず大学に行く準備の間、アイを起動しよう。俺はスマホの電源をつけた。


「おはよう、誠吾」

「ああ、おはよう」


 挨拶をしてくれる人がいる。たったそれだけでとても気分がいい。

 俺は私服に着替えるため、パジャマを脱ぐ。


「ちょ、何してるの誠吾!?」


 と、アイが慌てふためいた。


「え、なに?」

「なにじゃない! 女の子の前で急に服脱ぐとかどういう神経してるの!?」

「あー、そっか。俺のこと見えてるのか」


 あの日も天使の梯子を見て感動してたもんな。おそらくスマホに搭載されたカメラから視覚を得ているのだろう。


「ごめんごめん」

「もう、まあ別にいいんだけどね?」


 いいのかよ。

 アイは頬を膨らませている。その様子が可愛らしくてちょっと反応に困った。


 大学で午前の講義を受けた後、俺は学食に来た。この大学に入学してから昼はいつもここで食べている。それなりに安い値段でそこそこの量を食えるからだ。(一番の理由は弁当を作るのが面倒くさいからだが……)

 俺は日替わり定食を頼み、空いているほうの席へ着いた。アイを起動する。


「お昼の時間だね」

「うん。そう」


 アイは定食を眺めた。


「美味しそう……私にも味覚があればいいのに」

「ああ……海斗に頼んでみるか?」


 流石に味覚をつけるのは難しいと思うが。

 そんなことを考えているとアイが突然俺の背後に視線を向けた。


「あ、マイマスター!」


 振り向くと海斗がいた。海斗は俺の隣にうどんを置いて席に着く。


「うむ、順調に進んでいるようだな」

「言われた通り毎日五時間以上、アイを起動しているからな」

「いや、それでもこの短期間で好感度三十はかなり早い。もしかすると誠吾は女誑おんなたらしなのかもな。ただ女と関わったことがないだけで」


 喜ぶべきか怒るべきか、微妙に悩むことを言ってくる。


「マスターも昼食ですか?」


 アイが聞いた。


「ああ、そうだ」


海斗が頷く。


「アイは海斗に対して敬語なんだな」

「もちろんマイマスターですから」


 そんなやり取りに海斗は顎に手を当てた。


「ふむ。つまりは誠吾に対してタメ口ということか」

「そうだけどそれに何か問題でもあるのか?」

「いや、問題ない。最初にも説明したがアイは自律型恋愛AIだからな。使用者によって性格や態度が変化する仕組みとなっている」

「へー……それってかなり凄いことじゃね?」

「そうだぞ。だから言っているだろう。私は天才エンジニアだと」

「あ、はい」


 いつもの自画自賛を受け流しながら箸を口に運ぶ。そういえば、と思いついたことがあった。


「そんな天才エンジニアさんはアイに味覚をつけることは可能であって?」

「味覚か……それは不可能だな。嗅覚ならいけるか……? いや、それも今の俺の技術では無理だ。くっ、不甲斐ない……」

「まあ、そうだろうね」

「そっか……マスターでもやっぱり無理なんですね……」


 アイが残念そうに声を漏らした。

 海斗が眉を上げる。


「アイは味覚がほしいのか?」

「はい……」


 そう言って、アイは俺に向き直った。


「誠吾がいつも美味しそうに食べてるから私もそれを共有したくて……」

「ウッ……」


 心臓にダイレクトアタック!

 可愛すぎるぞアイ。今すぐ抱きしめたい。スマホだけど。

 俺が胸を押さえていると海斗はニヤニヤとほくそ笑んだ。


「どうやら楽しんでるようだな」

「ああ、そうだな……」


 これは素直に認めざるを得ないだろう。アイが来てからの日々はとても楽しい。

 そんな時間を過ごしていると突然後ろから声がかけられた。鈴のような凛とした女性の声だ。


「や、海斗くん。誠吾くん。どうやら面白いことをしているみたいだね」


 声のほうへ視線を向けると、女性にしてはやや背が高い和泉いずみ先輩がいた。ロングヘアーをストレートに下ろし、黒のTシャツとグレーのデニムパンツというカジュアルな服装だ。


「それ、海斗くんが前に言ってた恋愛AI?」


スマホに映されるアイを指差して言った。


「ええ、そうです。今は試作品を誠吾に試してもらっている段階ですね」


 海斗が概ねのことを説明した。俺はどうも、と軽く挨拶をする。

 和泉先輩は海斗の属するテクノロジーサークルの一員で四年生。俺たちの一個上だ。俺が海斗と絡んでいるからか、関わりのない俺にも話しかけてくれる。


「へー、どれどれ?」


 そう言って俺たちの間から顔を出してスマホを覗き込んできた。

 ……先輩、近いです。あといい匂いがします。


「どうもはじめまして。アタシは二人の先輩にあたる和泉だよ」

「はじめまして。私はアイです」

「おー、凄い!」


 和泉先輩の目がキラキラと輝いた。海斗はそんな様子を見て鼻を高くする。


「彼女はこんなもんじゃないですよ。挨拶をするなんてどんなAIでもできます。アイは使用者との時間に比例して成長するのです。まあ、使用者以外の人とのコミュニケーションはそこまで変化しないでしょうが」

「つまり誠吾くんと話すときは変化があるってこと? ねえ、何か話してみてよ!」


 そんな無茶振りに俺とアイは顔を合わせた。アイは少し照れた様子でモジモジしている。


「えっと、何を話そうか、誠吾?」

「あー、今日はいい天気だね」

「そうなの? ここは室内だから私にはわからないな……」


 和泉先輩はそんな会話を聞いてとても興奮しているようだった。


「ねえ、海斗くん。これアタシにも作って!」

「しかしこれは恋愛AIですよ? 女性用を作るとなると少しプログラムをいじって男にしなければなりません」

「えー、そういうのじゃなくてさ、普通に友達としてほしいんだけど」

「それは無理です。再三言いますがアイは自律型恋愛AIですので」

「ちぇー」


 わかやすく不満をあらわにして、和泉先輩は「アタシも昼ごはん買ってくる」といい、この場を離れた。


「相変わらず距離感近いな、和泉先輩」

「ああ、特に誠吾がいるときはな」

「えっ――?」


 海斗が急に気になることを言ってきたが、それよりも難色の籠もった視線が俺の意識を引いた。

 その方向に目を向けると、アイがむっすりとしていた。


「えっと、どうした?」

「別に? 誠吾は和泉先輩という人と仲がいいんだなって思っただけ。それ以上でもそれ以下でもないよ」

「あ、そうなんだ……」


 そして、プイッとそっぽを向いた。

 ……もしかして嫉妬したのだろうか?

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