第八膳 回答『孤独を癒すラーメン』
わたしは変態の館の廊下を千鳥足で歩く。
思わず、クリスタル製の前衛アートのようなよくわからない調度品にぶつかりそうになった。
「荒れてるな、関川さん?」
カノーさんが黄金色に輝くエレベーターの前で腕を組んで壁に寄りかかっていた。
まるで初めからわたしがやって来ることを分かっていたかのようにニヒルに嗤う。
「カ、カノーさん。わたしは、別に……」
「クックック。ごまかさなくてもバレバレだぜ? 可愛い娘を別れた嫁に取られちまった哀れなパパの顔してるよ」
何もかもお見通しのように含み笑いをするカノーさんに、背筋に冷たいものを感じた。
わたしはゴクリと喉を鳴らし、震える声で問いかける。
「か、カノーさんは知っていたのですか?」
「ああ、館内で起こったことは全て把握しているよ。……ま、立ち話も何だ。飯でも食べながら話そうじゃないか」
「い、いえ、わたしはそんな……」
「遠慮しなくてもいい。おあつらえ向きの良い店を知っているんだ」
カノーさんが身体の向きを変えるとエレベーターのドアが開いた。
そして、恭しく頭を下げ、わたしを誘う。
わたしは大きく深呼吸をしてエレベーターに乗り込んだ。
エレベーターは中層階に止まった。
そこには何の変哲もない木製のドアがあるだけだった。
カノーさんは無造作にドアを開き、螺旋階段を下っていく。
別世界に導かれるうさぎの穴のようだ。
螺旋階段を降りきった先は、観葉植物が充実した室内、明るいリビングのような雰囲気ながら、テーブルや座席が多かった。
まるで大樹の中にいるような木のぬくもりも感じる。
「ここは、カフェ?」
「いえ、ここは食堂、
オープンカウンターの奥から自然な笑顔が美しい女性が声をかけてきた。
それからカノーさんに頭を下げる。
「いつもありがとうございます、カノー様。そして、ようこそ、関川様」
「え? どうして、わたしを……」
「クックック。琥珀食堂は生きているのさ。内に居るものの思考や感覚、心理を
カノーさんはすでにカウンター席についていて、わたしを隣に座るように促した。
女性、
わたしが二人の会話を眺めながら席に着くと、いつの間にかテーブルの上に食事が置かれていた。
「こ、これは!」
「まあ、初めてなら驚くよな? 客が注文せずとも、欲しているものが自動的に提供されるのさ。さあ、食べようじゃないか」
カノーさんは箸を手にワカメを山盛りにしたラーメンを啜りだした。
一方わたしの手元には『冷やしラーメン』があった。
その名の通り冷たいラーメンであり、スープも麺も冷たく、氷も浮かんでいた。
冷やし中華とは異なり、通常のラーメンと同じようにたっぷりのスープに麺が浸されている。
これが、わたしの望んだもの?
頭を冷やせ、という意味なのか?
とりあえず、食べよう。
お腹がグーと鳴る音が『いただきます』の代わりだった……
「アッ―――」
醤油ベースの鶏ガラスープの優しい味わいが、荒れた五臓六腑に染み渡り癒やされていくようだ。
アルコールでぼやけていた頭も冴え渡っていく。
まるで歴戦の勇士のように身体には精気が漲り、頭はクールに。
そうか、これがわたしの望み、か。
見て見ないフリをしていた。
わたしとの結婚指輪を窓枠に置いていった鈴月がタマを連れて行ったことを。
「……カノ―さん。わたしもムー大陸に向かいます。そこに大切なものがきっとあるはずですから」
「そうか」
「ですが、カノ―さんはなぜ?」
カノ―さんは、わたしの問いかけに僅かに宙に目をやり、フッと笑った。
「変態の館もこの琥珀食堂のように生きている。館の一室にここへの入り口があったのは、お互いに共感し合っているからだ。館長である私も館と繋がっているからこそ、館の求めているものが伝わってくる」
「えっと、それって、一体どういう……」
「つまり、だ。私は館が望んでいるように、本来の姿に戻したいだけなんだ。館は元々、自由に創造する
カノーさんも求めているラーメンを食べたお陰だろうか、心の内をさらけ出してくれたような気がした。
わたしたちは口角を上げて頷きあい、琥珀食堂を後にした。
最上階へと向かうエレベーターの中で疑問に思っていたことを口に出した。
カノーさんの意見を聞いてみたかったからだ。
「どうして鈴月はタマを連れていったのでしょうか?」
「さあな? 彼女の考えは私にも分からんよ。だが、背後にいるヤツの考えなら分かる」
「それは、一体?」
「そいつは簡単さ。ヤツはあんたを恐れているんだよ」
「わたしを? ですが、わたしはただの料理人ですよ?」
「アッハッハ! 自分のことが何も分かっていないな、関川さん? あんたはただの料理人じゃない、『飯テロリスト』だ」
カノ―さんは楽しそうに笑い、わたしの方を見る。
ちょうどエレベーターが最上階のペントハウスに到着し、先を行くカノ―さんについて歩く。
「飯テロリストって一体?」
「クックック。ヤツにとってはまさに文字通りの意味さ。ヤツは恐怖心で世界を支配している。だが、その対極にある力には弱い。幸福ってやつだ。こないだ、城下町で天ぷらを振る舞っていただろう? あの天ぷらで人々は幸せを感じ、ムー大陸の支配から一時だけ解放されたんだよ。あんたの料理にはそれだけの力がある」
「まさか! いや、そうか。だからタマを連れ去って、わたしをまたどん底に突き落とそうと」
「そういうこった。さて、行こうじゃないか、こいつで」
カノ―さんはそそりたつロケットに手を置いた。
天空に浮かぶムー大陸に向けているが、その形状に言葉も出てこない。
「エレクチオン号をヤツのケツにぶち込んでやろうぜ?」
カノ―さんはニヤリと嗤った。
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