第七膳 回答『春の訪れと天ぷら』
たとえ文明が滅びようとも世界は回り、自然は、花々は咲き誇る。
辛く寒い冬の終わりとともにやって来る春という穏やかな暖かさには心踊る。
わたしはタマと手をつなぎ、まるで親子のように買い物帰りにのんびりと散歩をしている。
文明が崩壊したこの世界は、秩序などなく暴力による恐怖で支配されているが、変態の館の城下町であるこの界隈は比較的安全だ。
それだけカノーさんの威光が大きいのだろう。
散歩を楽しむ余裕がある。
今回はわたしの大好きな天ぷらということもあって、ついつい買い込みすぎてしまった。
二人で食べるには大変な量だ。
ま、いつも通りカノーさんにお裾分けすればいいか。
などど思っていると、後ろに手を引っ張られたかのように転びそうになった。
タマが突然立ち止まって路地裏を覗いている。
「とっとっ! ……どうしたんだ、タマ?」
「……ニャー」
わたしが問いかけると、タマは悲しそうにペタンと耳を倒した。
その視線の先には、積まれたゴミ山を漁る薄汚れた子どもたちがいる。
このような終末世界になってしまってからは、路上で生活する子どもたちが後を絶たない。
ゴミの山から金目の物を探し出して、残飯のような食事と交換して生き延びている。
ここが他よりはマシとはいえ、カノーさんの威光が届く範囲には限界があるのだ。
わたしは見て見ないフリをしていたのだが、タマは見過ごせなかったようだ。
本当に優しい子だ。
もしもわたしと出会うことがなかったら、同じようにゴミ山を漁っていたのだろうか。
それとも、悪い大人に……
「……よし」
タマは不思議そうにわたしを見上げているが、構わずに歩いていった。
よくわからない小魚やイモのような物を揚げている屋台の老人は怪訝そうにわたしを見ている。
「すまない。今日一日、貴方の屋台を貸していただけませんか?」
「え? いや、その、いくらウンバチ様の食客とはいえ、そんなことされたら、こちとらオマンマの食い上げですぜ?」
「ええ、分かっています。もちろんタダではありません」
「な?! こ、これは……」
屋台の店主は驚愕に目を見開き、身体を震わせている。
イソギンチャクの彫られた金貨、この界隈でしか使用できないが、庶民なら1ヶ月は遊んで暮らせる価値がある。
ちょっとした騒ぎになるだろうから、迷惑料も込みだ。
では、屋台の中で天ぷらを揚げられるように整頓して料理開始だ。
天ぷらという料理はネタに衣をつけて揚げるだけ、実にシンプルだが奥は深い。
カラッとサクサクとした食感を出すのが簡単ではない。
しかし、ポイントを押さえればある程度は上手くできる。
まずは、脱水シートのようなもので、天ぷらの大敵、ネタの水分を取ってやる。
タマも料理が楽しくなったのか、手伝ってくれている。
次に衣を作る。
最初は卵黃と水を混ぜ合わせてから、粉を混ぜ合わせる。
屋台の店主も興味深そうに眺めている。
そして、衣にビールを混ぜる。
ビールに含まれる炭酸ガスが衣の中で発生し、揚げた時に熱を持つことで、中からも火が通るのだ。
イギリスのフィッシュアンドチップスの作り方だが、大人の味なコクが出る。
子供用には、あっさりとした炭酸水でも良いだろう。
揚げる前にネタに打ち粉をしてあげることも忘れてはならない。
衣が剥がれにくくなる効果があるのだ。
そうして、エビ、キス、ハルシメジ、アスパラ、菜の花など春の食材を次々と揚げていく。
道行く人々は油の弾ける心地よい音に足を止める。
揚げた天ぷらも溜まったことだし、頃合いだな。
「みんな、今日は無礼講だ! 変態の館からだ! 好きなだけ飲み食いしろ!」
わたしが大声を張り上げると同時に人々が殺到した。
ゴミの山にいた子供たちも遠慮なく、天ぷらに手を伸ばす。
サクッと音を立てた瞬間、驚きに目を見開く。
「うっめー! こんな美味しいの初めて食べた!」
「アハハ。これは天ぷらっていう料理だ」
「テンプラ?」
子供たちは目を輝かせ、絶望に打ちひしがれていた大人たちは止め処無く、喜びの涙を流す。
たった一度の食事で人々に希望を与えることができる。
楽しい食事というものには、それだけの力がある。
二人で楽しむ食事もきっと素敵だったことだろう。
でも、その輪をもっと大きく広げて、他の人達にも楽しい食事を提供していきたい。
ちらりとタマの方を見ると思わず笑みが溢れた。
隣りで、わたしを自慢するように腰に手を当てて鼻を高くしていた。
🍷🍷🍷
その夜、変態の館の一室に窓を叩く音が静かに響く。
関川フタヒロの隣ですやすやと眠っていたタマはベッドから起き出し寝ぼけ眼をこする。
そして、天高くそびえる摩天楼の窓を開く。
「……お遊びはもう終わり、帰る時間になったわ」
現れたのは、人間をやめた鈴月、宙に浮かび優しくタマに微笑みかける。
タマは不満そうに関川の方を振り返るが全く起きる様子がない。
「あの人は魔法でぐっすり眠っているわ。でも、大丈夫。きっとあの人なら後で会いに来てくれるわよ」
「ム~? ……ニャン!」
タマはわずかに逡巡した後、手を差し出す鈴月の胸に飛びついた。
二人は上空に浮かぶムー大陸へと飛び立っていった。
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