第43話 逃げない、逃がさない

「親父はやっぱり死んでたんだ……」


 か細い声で桐生が言うと、横で目線を同じくする加佐見が聞く。


「桐生君……でも、知ってたんじゃなかったの?」

「嘘だよ。ただ、聞いてた加佐見さんの父親の人物像なら、自発的に殺人を犯すようなことはしないだろうなと。だから、あいつが裏で手を引いていたことくらいは想像がついてたし。ああやって、人のせいにしたがるところは息子そっくりだから」

「あの状況でかまをかけたんだ。やっぱり桐生君は、すごいね」

「すごいもんか。今だって、動揺して立ってもいられない」

「……ごめんなさい。私、お父さんのこと、知らなくて」

「加佐見さんのせいじゃない。俺も、君も、親父も、君の父親もみんな、あのクズの被害者なんだよ」

「だけど……桐生君は、自分の親を殺したかもしれない人の娘と、ずっと一緒にいられる?」

「……問題ない」

「嘘。私といると、ずっと考えちゃうし思い出しちゃう。お父さんがどんな最後だったのか、どうして死なないといけなかったのか、殺したのは誰かって。辛い思い出が、忘れられないままだよ。そんなの、苦しいよ」

「忘れる必要なんてない。それに……俺はそんな辛い記憶を、楽しい記憶で埋めたい。そのためには、加佐見さんがいてくれないと」

「……桐生君、迷ってる。ほんとは、私と一緒にならない方がいいかもとか、思ってるよ」

「思ってなんかない」

「んーん、わかるもん。それに、それでいいと思うの。私たちって、やっぱり一緒にいるべき人間じゃなかったのかもしれない」

「加佐見さん、それは」

「私、今日は先に帰るね。あと、桐生君の家からは、一度離れようと思う。あの家に住む資格なんて、私にはない」

「お、おい」


 加佐見は、ゆっくり立ち上がりそのまま部屋を出ていく。

 慌てて追いかけようとして、しかし桐生は躊躇う。

 躊躇ってしまった自分に気づき、足を止める。


「……」

「どうした桐生君、加佐見さんを追いかけないのか?」


 その場で話を聞いていた妃が、桐生の肩に手を置く。


「……俺といる限り、加佐見はずっと、罪の意識に苛まれる。このまま、離れる方が互いのためなのかもしれないなって」

「それはそうだろう。君も彼女も、一緒にいるだけ辛いのかもしれん。だから私はああしろこうしろとお節介は焼かない。ただ、自分の気持ちに嘘はつくな。見栄や嘘や、自己犠牲の精神なんてものは必ずこの先で後悔しか生まない。やって失敗するのは青春の思い出、しかしやらずに失敗したとあとで思うのは、青春に置き忘れてきた負の遺産。そして決して後から取り返せるものではない。それだけは肝に銘じて、よく考えたまえ」


 妃は、言い終えるとそのまま奥に引っ込んでいった。


 そして桐生は、ゆっくり廊下に出る。


 今日は授業を受ける気にもなれず。

 また、決着した安藤たちとのこれからについてを考える余裕もなく。

 

 家に帰った。



「ただいま」


 何気なく玄関で呟いてから足元を見ると、加佐見の靴があった。

 ほっとして、キッチンに向かうと加佐見はいつもと変わらぬ様子で料理をしていた。


「あ、おかえり。桐生君も今日はさぼったの?」

「あんなことの後で授業なんて身に入らない。ていうか、なんで料理してんの?」

「……今日はまだ、ここに住んでるから。やることはやらないとって思って。ごめん、迷惑だったらすぐ」

「迷惑じゃない。ていうか出て行ってどこ行くつもりだ。ここにいればいいだろ」

「……ここにいることが、私たちにとって正解、なのかな。ただ、目の前の楽なとこに逃げてるだけじゃないかな」

「逃げるのは自己防衛手段として正しい。無謀に立ち向かって死ぬ奴の方がどうかしてる。戦場で一番賢いのは生き延びたやつだ」

「だったらこの場からも、逃げ出したいって思っちゃう私は、正しいの?」

「加佐見さん……」

「ごめんなさい、もっと普通にふるまえないかなって思って、やってみたんだけど。できないよ、やっぱり。桐生君とずっと一緒にいる資格なんて、私には、ないよ」


 料理する手を止めて、加佐見はうつむいてシンクを見つめる。


 何か声をかけられるような様子ではない加佐見を、いつもの桐生ならそっとしておいただろう。

 しかし、今日はそのまま加佐見の方へ行くと、後ろからそっと抱きしめた。


「桐生、君?」

「……俺も辛いよ。親父がどうやって死んだのか、その時加佐見さんの父親が何をしていたのか、どんな顔をしてたのか、考えるだけで吐きそうになる。でも、それ以上に明日目が覚めた時に加佐見さんがいない朝を想像した方がきつい。吐きそうというか、死にそうになる」

「それ、嘘とかお世辞じゃ、ない?」

「俺は嘘つくのが下手なんだろ? だったら嘘かほんとかくらい、わかれよ」

「……うん。私も、ほんとはずっとそう言ってほしかっただけなのかも。いつも桐生君に選ばせて、悩ませて、責任をおしつけて、そんな女だよ私って」

「そう考えたら、結構悪女だな。詐欺師のなり損ないみたいな俺には、ちょうどいいのかも」

「なにそれ、ほめてない。でも、ちょうどいいなら、嬉しい」

「ああ、加佐見さんしかいないよ」

「桐生君……」


 そのまま、二人で何時間立ち尽くしたのか、その間、どんな話をしたのか、何も覚えてなんていない。


 ただ夢中に、抱き合って時間だけが過ぎていく。


 ここで、二人で過ごしていく覚悟が決まるまでどちらかが逃げ出さないように。


 ずっと。


 その手に、その髪に、触れていた。

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