第35話 寄りかかれる場所

「おお、二人とも今日は遅かったね。もうお客さんが来てるから対応頼むよ」

「遅れてすみません。すぐ準備します」


 バイト先に到着すると、すでに数組の客がいて島田が一人忙しそうに料理を作っていた。

 桐生と加佐見は準備をして、そのまま店へ立つ。


 その間もずっと、二人は言葉を交わすことはなく。

 気にしないようにと思っていても、桐生もずっと藤堂から聞いた話を意識してしまう。


 加佐見の父親が、桐生の父を裏切った主犯だった。

 そのショックは、妃に聞かされた事実より重くのしかかる。


 ここ最近、ずっと一緒だったこともありようやく打ち解けてきた加佐見の父の正体。

 今更何を聞いても驚かないと言った桐生だが、さすがに無感情ではいられない。

 そして加佐見は、ずっと桐生を苦しめてきた嘘の事実を作り上げたのが自身の父親と知り、当然ショックは隠せない。

 

 ギクシャクしたまま店をまわす。

 ただ、そんな様子を見て、島田は何かあったと気づいたようで、客がいったんはけたところで二人に言う。


「二人とも、今日は喧嘩でもしたのかい?」


 飲み物をもって、沈黙する二人のところへ。


「い、いえ。特に何も」

「はは、嘘はいけないな。それに、加佐見さんは表情すら隠せてない」

「すみません……あの、なんといえばいいのか」

「まあ、もうすぐ店が終わるからよかったらおじさんが話を聞くよ。誰かに吐き出した方が楽になることもあるだろうし」

「……すみません」


 もやもやした感情の行先は見当たらず、結局この後は客も来ることがなかったので閉店作業に移ってから、片付けが終わるとカウンターに座らされて島田から質問される。


「見るからに、鹿黒さん関連のことで何かあったね?」

「……鋭いですね」

「はは、伊達に君達より長く生きてはいないよ。でも、それ以上はわからない。加佐見さんとどういう関係が?」

「……加佐見さん、言ってもいいのか?」

「うん。隠すことじゃないから」

「そうか。実は」


 桐生の口から、今日何があったのかを島田に順を追って説明した。

 今、安藤を引きずり降ろそうとしていることや、その件でたどり着いた安藤の被害者である藤堂、そしてその藤堂から聞かされた残酷な真実について、淡々と。


「……なるほど。鹿黒さんの協力者というのは、加佐見さんのお父さんだったんだね。なんという因果だ」

「知らなかったんですね、やっぱり」

「ああ。でも、その話はおそらく事実だろう。この店、前の名前は『K.K』だったんだ。桐生鹿黒のイニシャルかと思っていたが、桐生と加佐見、だったんだね」

「……そこまで父が信頼していた人物が、なんで裏切ったのかは不思議ですけど。あと、そこまでする理由が、安藤の父にあったのかも疑問です」

「まあ、そればかりは本人に聞かないとわからないけど。安藤財閥の社長に会うなんて、そんなことはできっこない」

「……藤堂次第、か。すみません、変な話をしてしまって」

「いやいや、従業員の悩みを聞くのも福利厚生の一環だよ。なんでも言ってくれたまえ。あと、今日は帰ってゆっくりしなさい。寝て落ち着いたら、気分も少し楽になる」


 そう言って、島田は奥に下がる。

 桐生と加佐見は、そのまま店を出て夜道を歩いて駅を目指す。


「……加佐見さん」

「うん。ごめんね、いつも私の代わりに話してくれて」

「いや、いいよ。でも、親父たちが親友だったっていうなら、俺たちは昔どこかで会ったことがあるのかもな」

「そう、だね。私もあの頃の記憶はほとんどないけど。でも、もしそうだったら素敵だなとか、思っちゃう自分が今は嫌だな」

「いいじゃないか。その、運命、とかいうのも、女子は好き、なんだろ?」


 言いながら照れくさくなる桐生は、言葉に詰まる。

 すると、さっきまで暗かった加佐見の顔が少し明るくなる。


「ふふっ。桐生君の口から運命とか、おかしい。そういうこと、考える人なんだ」

「べ、別に。加佐見さんがずっと暗いとこっちまで気分が下がるんだよ」

「ふーん、どうして?」

「……さあな」


 そのまま、電車に乗って街へ戻る。

 そしてまた、真っ暗な夜道を二人で帰り、家に着くとすぐに加佐見が「夕食の支度、してくるね」と。


 キッチンへ向かう彼女を見送ってから桐生は静かに部屋に戻る。


 また、長い一日がこうして終わっていく。



「桐生君、ちょっといいかな」


 夕食と風呂を済ませて再び寝室へ戻った桐生の元へ、加佐見が来る。


「ああ、なんだ?」

「ふふっ、今日は来るなとか言わないんだ」

「断っても入ってくるだろ」

「そうでした。ね、ちょっとお話したいんだけど」

「ああ、入れよ」


 部屋に加佐見を招き、ベッドに並んで腰かける。

 少しだけ沈黙があった後、加佐見は気まずそうに桐生の手を握る。


「……なんだよ」

「桐生君の人生をめちゃくちゃにしたの、私のお父さんだったって聞いて、とても辛かった。それに、ひどい父親なのに、まだ身内として嫌いになれない私自身にも、腹が立つの」

「藤堂も言ってたけど、最後は反省してたんだろ? だったらいいじゃないか。それに諸悪の根源は全部安藤だ。あの一家のせいで、どれだけの人が苦しめば済むんだって話だろ」

「そ、だね。でも、なんでも安藤君たちのせいにしたらダメだと思う。悪いことは悪いって、ちゃんと反省しないと」

「そう、だな。ただ、うちの親父は加佐見さんの父親のことを恨んでない気がする」

「どうして?」

「そういう人だったって、今なら思う。罪を憎んで人を憎まず、そんな人だよあの人は」

「そ、っか。桐生君と一緒だね、やっぱり」

「どこがだ。俺はしっかり人を憎んでるさ」

「ううん、会長さんも、私のことも、あっさり許してくれてるじゃん。普通、自分や自分の肉親をひどい目に遭わせた人の身内なんて、許せないよ? みんなが桐生君に辛くあたってたのだって、同じ理由だし」

「俺はあんな連中みたく心が狭くないだけだ。苦労は人一倍してるから、その辺は大人なんだよ」

「あはは、桐生君らしい。そういうところがね……私は、好きだよ」


 加佐見は、握った手に力を籠める。

 桐生は、そんな加佐見の言葉に、ただうつむいたまま息を止める。


「……加佐見さんは物好きだな」

「うん、そうかもね。でも、人を見る目はあると思うよ」

「俺と一緒になっても苦しいだけだ。ずっと働きづめで、大学に行けてもバイト三昧だ。借金はあるし貧乏人生まっしぐらだし、こんな性格だから愛想を振りまくこともない」

「だけど、一緒にいて落ち着くし、守ってくれるし、何より誰よりもかっこいいもん。私は、そんな桐生君とずっと一緒にいたい」

「……バカだよ、ほんと」

「うん、バカだもん私って」

「……ありがとう」


 桐生は、ようやく少しだけ加佐見を見た。

 横で、いつものように嬉しそうに笑っている彼女の目には、しかしなぜか涙が溜まっていた。


「なんで泣いてんだよ」

「だって、桐生君とこうしてるのが嬉しくて」

「別に今更だろ」

「でも、今日もしかしたら拒絶されるのかなって。出て行けって言われるかなって、バイト中もずっと怖かった」

「言わねえよ。俺、家事するの嫌いだし」

「じゃあ、このままずっと、ここにいてもいい?」

「……好きにしろよ」

「ほんとに? 私、そういう言葉は忘れないよ? 約束したよ?」

「二言はない。俺は、吐いた唾を吞むのが大っ嫌いなんだよ」

「うん。じゃあ、今日はもう少しこうしてていい?」

「……好きにしろ」


 加佐見は桐生の肩にもたれかかり、そのまま目を閉じる。

 桐生は、加佐見の重さを肩に感じながらも、その感覚にどこか安心感を覚えていた。


 そっと、加佐見の肩を抱く。

 

 そのまま、何も語ることはなく夜は更けていった。

 

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