第25話 試されてるのはわかってるけど

「はあ、クレープ美味しかったあ。毎日食べたいなあ」

「……」


 二人で帰宅したころにはもう、すっかり夜だった。

 そして桐生はクレープ屋に並んだあとからずっと、無言のまま。

 そんな様子の桐生を見て、加佐見は少しだけ笑いが漏れる。


「ふふっ、私と手つないでドキドキした?」

「……してない」

「あー、今のうそでしょ。桐生君も、握り返してくれてたもんね」

「返してない。咄嗟だったから離すのを忘れただけだ」

「ふーん。ま、そういうことにしときますか。ね、お風呂今日は先に入っていい? ちょっと汗かいちゃって」

「まあ、いいけど。それなら今日は俺が飯作ろうか?」

「え、いいの? ていうか桐生君、料理できるの?」

「ずっと一人暮らしなんだから自炊くらいできるさ」

「じゃあ、今日は甘えようかな。桐生君の作ったご飯、食べてみたいし」


 本来ならこの時間も勉強に当てたいと、以前ならそんなふうに考えていた。

 だから自ら進んで加佐見の代わりに料理をすると申し出たことが我ながら不思議だった。


 久々に我が家の台所に立つと、以前より随分と整頓されてきれいになっていることに気づく。

 すっかり、加佐見仕様だなと。

 場所の変わった調味料を探していると、まるで他人の家に来たような気分にさせられながら。


 今日は簡単にパスタでも作ろうと、お湯を沸かし始める。


 

「桐生君、ごめんちょっといいかなあ」


 しばらくして、ようやくお湯が沸騰しようかとなった頃に風呂場から加佐見の声が届く。


 一度火を切って、キッチンから外に。


「なんだ。タオルなら置いてると思うけど」

「そうじゃなくって。そのままお風呂場来たから着替え持ってなくって。部屋に畳んでおいてるんだけど、持ってきてくれない?」

「……あとで取りに行けよ」

「えー、でも裸で家の中をうろうろするのはちょっと。あー、それとも私をタオル一枚で部屋まで行かせたいのかなあ?」

「……わかったよ。持っていくから出てくるなよ」

「はーい」


 桐生は、加佐見に貸した部屋に向かうと、我が家の一室のはずなのに恐る恐る部屋の中へ。


 しばらく使ってなかった空き部屋は、すっかり女子の部屋になっていた。

 どことなく、いい香りもする。

 整頓された本棚には参考書などがずらりと並んでいて。

 机の上は女の子らしい筆記用具や小物が並んでいる。


「……あれか」


 そして部屋の隅に、畳まれたジャージを見つける。

 桐生が昔使っていた、黒の無地のジャージ。

 元々自分のものだからと、抵抗なくそれを手にとると、その中からひらりと何かが落ちた。


「……あ」


 下着だ。

 白の、無地の質素なパンツ。

 それが落ちているのを見て、慌てて桐生は目を逸らす。


「……くそっ、下着くらい持って行っとけよ」


 しかしどうしたものか。

 さすがに加佐見が使っている部屋で加佐見の下着を拾うというのは、抵抗がある。


 やはり加佐見に、自分で部屋まで戻るように言おうかと。

 目のやり場に困っていると、机の上に置かれた写真立てが目に入る。


「……あれは、さっきの写真?」


 今日、倉庫で見つけた桐生の父親が写った写真。 

 それを大事そうに飾ってあるのを見て、桐生は首をかしげる。


 どうして人の父親の写真をわざわざ部屋に飾るのか。

 ここに住まわせてもらっているせめてもの感謝のつもりか。


「でも、あれがあるってことは部屋に一回戻ってるってことだよな」


 つまり、帰ってから一度ここに戻ってきたということになる。


「……あいつ、わざとだな」


 自分が加佐見の着替えを手に取ってあたふたするのを見越して、彼女はあえてそうさせたのだと。

 そんな彼女のいたずら心がわかると、こうして術中に嵌って慌てふためく自分が嫌になる。

 すぐに、彼女の下着を拾い上げてからジャージと一緒に風呂場へ持っていく。


「おい、これ置いておくからな」

「あ、桐生君持ってきてくれたんだ」


 白々しい声が風呂場の中から。

 桐生は籠に着替えを放り投げてから苦言を呈する。


「加佐見さん、俺をからかうのもいい加減にしろ」

「あはは、バレちゃったか。ね、私の下着見て、ドキドキした?」

「……しない。ただの布だよ」

「ふーん」


 その瞬間、がちゃっと風呂場の扉が開く。

 そして、桐生の目の前には、タオルを巻いた加佐見が現れた。

 慌てて桐生は目を逸らす。


「お、おい何考えてんだよ……」

「あ、顔が真っ赤だ。桐生君も、女の子にドキドキするんだ」

「だ、誰だってするだろ……も、もう行くから。そんな恰好で出てくるなよ」


 逃げるように風呂場を去る。

 扉が開いた瞬間、心臓が止まるような感覚だったのを思い出して、そして早くなる動悸を抑えようと胸を抑えながら桐生は台所へ戻り。


「……肌、綺麗だったな」


 そんなことを呟きながら、再びコンロの火をつけてから、お湯が沸くのを待った。



「あ、すごーいカルボナーラだ!」


 桐生が料理を作り終えてテーブルに運んでいるところに、ちょうど風呂上がりの加佐見が戻ってきた。


 さっき持って行ったジャージを着て。

 髪はまだ少し濡れていた。


「ああ、意外と簡単だからな」

「へえ、料理できる男子ってポイント高いなあ。桐生君、絶対モテるよね」

「皮肉のつもりか?」

「あはは、みんな誤解してるだけだよ。本当の桐生君を知ったらきっと人気者だよ。頭いいし、優しいし」

「別に自分を偽った記憶はないけどな。それより、早く食べるぞ。明日も学校なんだから」


 向かい合わせに、テーブルに着く。

 そして加佐見はまだ少し湿った髪をかき分けながらパスタを一口。


「ん! おいひいよこれ」

「口の中に入れたまましゃべるなよ」

「ごめん、びっくりしちゃって。でも、本当においしい。お店の味みたい」

「毎日やってたらそれなりにもなるさ」

「そんなもんかなあ? この腕なら桐生君、お店でもやればいいのに」

「飲食店なんて儲からないよ。いい大学に行って、いい会社に勤めて勉強して企業して、そのほうがいくらか有意義だ」

「でも、職人さんってかっこいいけど。桐生君、社長さんタイプじゃないし」

「ほっとけ。食べたら俺も風呂に入るからな」


 さっさと自分で作ったパスタを食べ終えてから、桐生はまだ食事途中の加佐見を置いて風呂場に向かう。


 そして、張られた湯船にさっさと入ると、脱衣所の方から加佐見の声がする。


「桐生君、ご馳走様。すっごくおいしかったよ」

「お粗末様でした。ていうかそんなこと言いにわざわざ来るなよ」

「あはは、いいじゃんか。それより、私がさっきまで入ってたお風呂に桐生君が入ってるのってちょっとエッチだなあ」

「……変なこと言うなよ」


 急に、湯船に浸かっているのが気まずくなる。

 そして慌てて風呂から出ようとすると、「あれー、桐生君ってそういうの意識する人なんだ」と。

 そう言われて、また湯船に。

 どうも振り回されているなと、桐生は一旦頭までお湯に浸かってそのあとシャワーで冷水を浴びる。


「……なんで俺なんかがいいんだよ」


 頭を冷やした後、鏡に映る自分の顔を見て、桐生はぽそり。


 でも、心なしか、その顔に悲痛さは漂っていなかった。

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