第4章 毒りんごを食べない白雪姫

4-1 皇帝の子どもたちの食卓

 白い布がかかった広く細長い天板のテーブルに、鉄の焼き皿に盛り付けられた鶏の炙り焼きが置かれている。

 骨付きのまま一羽丸ごと焼かれた鶏は、艶のある皮にちょうど良い具合に焦げ目がついていて、添えられた香草タイムの小さな葉の緑色が映えていた。


 ナイフとフォークを手にしてテーブルの前の椅子に座るギジェルミーナは、その焼き上がったばかりの肉の香ばしい匂いに赤みの強い褐色の瞳を輝かせる。


(わたしの好きな、焼いたとり)


 ギジェルミーナは鶏の炙り焼きが、中でも特に赤すぐりの実とさくらんぼを中に詰めて焼いたものが好きだった。


 七歳になったギジェルミーナは、自分の好きな食べ物と嫌いな食べ物を知ってる。

 しかし好き嫌い以外については、自分がどんな人間であるのかよくわかってはいなかった。


 給仕の男が鶏肉を包丁で切り分けて、ギジェルミーナのための白い皿に載せる。


「どうぞ、お召し上がりください」


「はい。いただきます」


 ギジェルミーナは礼儀正しく給仕に返事をした。部位もまたギジェルミーナの好きなもも肉で、中に詰められた果物のペーストと一緒に綺麗に盛り付けられていた。


(きょうはこれが、わたしのお肉)


 早速ナイフとフォークで器用に骨から切り離し、ギジェルミーナは一口大にした肉片を食べる。

 そしてそのほどよく火の通ったやわらかいものを噛めば、小さな口の中には温かい肉汁がいっぱいに広がった。


(あまずっぱくて、おいしい)


 赤すぐりの実とさくらんぼの甘味と酸味に引き立てられた鶏肉の旨みを、ギジェルミーナは幼い味覚で楽しんだ。


 小高い丘の上に建てられた赤い漆喰の塗られた宮殿にある天井の高い広間で、ギジェルミーナはそうした幸福な食事を毎日している。

 ギジェルミーナは知らなかったが、それは宮殿の外に住んでいる人のものと比べて、とても豪華な食事だった。


 白磁の食器に載った立派なご馳走をいつも食べることができるのは、ギジェルミーナが一国の皇女だからである。

 だがギジェルミーナは、自分が皇女であるということが、どんな意味を持っているのかを理解してはいなかった。


 ギジェルミーナの父親は、オルキデア帝国という国の皇帝だった。


 彼は優れた統治者であると同時に冷酷な戦略家でもあり、隣国からは侵略者と呼ばれて恐れられていた。

 しかし政務で忙しい父はあまり子どもに姿を見せず、また侍女や教育係もあまり父について語らなかったので、ギジェルミーナは父親の評判を知らなかった。


 物心ついたときにはもういなかった母親については、父親のこと以上に何もわからない。


 しかしギジェルミーナには腹違いでも兄が二人いたので、少なくともまったくの孤独ではなかった。

 ギジェルミーナの座る食卓には常に、長兄アルデフォンソと、次兄エルベルトがいた。


「またペーストに果物の種が入っている。ちゃんと取っておけって言ったのに」


 今年で十五歳になったアルデフォンソは、肉をフォークで弄びながら毒づいた。絶世の美女だった母親譲りらしい金髪と甘い顔が美しいアルデフォンソはいつも横柄な態度をとっていて、ギジェルミーナは彼が謙虚に振る舞っているところを見たことがない。


「申し訳ありません。厨房にまた言って聞かせておきます」


 給仕の男が丁寧に、しかし内心は反感を隠した様子で、アルデフォンソに対応する。

 そしてもう一方の皇子であるそばかすだらけのぱっとしない十三歳のエルベルトは、文句しか口にしない兄を横目に粛々と食事をとってた。


「別に種が入っていても構わないから、もう一切れくれないか」


「はい。かしこまりました」


 地味だが食欲旺盛なエルベルトは、給仕に鶏肉を切らせて二皿目を食べ始める。

 どちらも、幼い妹に話しかけたり、気を使ったりはしない。

 二人の兄はまったく似たところがなかったが、妹に無関心であるところは同じだった。


 だからギジェルミーナも兄たちのことを好きにも嫌いにもならず、ただ兄妹であることを理由に食卓を囲んだ。

 身分が低い愛妾から生まれた兄弟なら他にも大勢いるらしいのだが、高貴な血筋の母を持つギジェルミーナは彼らについてはよく知らない。


(わたしももうひとつ食べたいけど、おなかいっぱいになっちゃうからな)


 まだそれほど多くの量を食べることができないギジェルミーナは、一皿の肉を大切に食べる。


 ギジェルミーナは自分が兄たちと比べて優れているのか、それとも劣っているのかも、考えたことがなかった。

 なぜなら兄も侍女も教育係も、ギジェルミーナを貶さない代わりに特に褒めもしなかった。


 ギジェルミーナには可愛がってくれる人もいなければ、虐げてくる人もいない。

 だからくせのない黒髪を伸ばして若草色のドレスを着た自分の姿が可愛らしいのかどうかも、ギジェルミーナは知らなかった。


(とりのかわも、ぱりぱりでおいしい)


 ギジェルミーナは鶏肉を味わいながら、兄たちのいる食卓ではなく、大きな飾り窓から見える濃い青色に晴れた空を眺める。その窓の外に広がっているのが、ギジェルミーナの国であるオルキデア帝国だった。


 オルキデア帝国は大陸の南の豊かな土地を支配し、常に戦に勝ち領土を広げ続ける大国である。

 肥沃な平野には十分な量の麦が実り、東の端の山脈からは良質な鉄と火薬が産出される。

 だからその地の兵士は飢えを知らず、彼らが手にする武器も優れたものだった。


 隣国からは侵略者と呼ばれ、国の名が恐れられていた大帝国。


 ギジェルミーナはそのオルキデア帝国の皇女だったが、自分の国の強大さについても知らなかった。


(はれの空は、ちょっとあつい)


 温暖で豊かな代わりに、オルキデア帝国の夏は蒸し暑い。宮殿は比較的涼しい高原に立地しているが、それでも完全に快適というわけにはいかない。

 鶏肉の美味しさ以外のことは何もわからないまま、ギジェルミーナはその場所で食事をとっていた。

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