3-11 寵姫が心を捨てる理由

 ヤスライネ城を落城させた後も、レオカディオの率いる軍は進軍を続け、彼らが去った後には夥しい数の死体が残された。

 手足を切り取られた死体に、木に吊り下げられた死体。顔を焼かれた死体に、水に沈められた死体。

 ヴィヴィはレオカディオに戦場から戦場へと連れ回され、様々な死体をその目で見る。


 かつてのヴィヴィは、死体となった人々と同じように、虐げられて殺される側にいる人間であった。

 しかし今やレオカディオの寵姫となったヴィヴィは、勝者たちとともに死と破壊を眺めている。

 レオカディオの軍は兵糧も豊富で、天幕などの軍備も宮殿のように豪華だったので、凄惨な戦場とは対照的にヴィヴィの生活は恐ろしいほどに快適だった。


(だって戦場なのに、お風呂がある)


 人の死にも慣れてきたある夜、天幕の中に置かれた木製の桶の中で、ヴィヴィは裸で温かな湯に浸かる。

 白い薄布に囲まれた桶に注がれた湯は、外で沸かして風呂係の兵士が木のバケツで運んできたものだ。ヴィヴィはレオカディオの寵姫であるので、一番最初の綺麗な湯を使うことができる。


(匂いも姿も綺麗に変わったら、最後に私の何が残るんだろう)


 ヴィヴィは石けんと言うらしい白い固体を湯に溶かして、できた泡で身体を洗った。淡く甘い匂いがする石けんの泡は、ヴィヴィの肌を美しくなめらかにする。


 農民の娘に生まれたヴィヴィは、これまで人生で数えるほどしか風呂に入ったことがなかったが、最近は最低でも三日に一度は入っている。

 村の生活では考えられない贅沢さに、ヴィヴィはオルキデア帝国の豊かさを実感した。


(遠い親戚でこれなら、本当のオルキデアの王子様たちはどれだけ豪華に生きているのかな)


 薄布越しに差し込む蝋燭の灯りが、ヴィヴィの肉の少ない身体をかすかに照らす。

 そうしたほの暗さの中で、丁寧に磨かれた桶の縁に寄りかかり、ヴィヴィは湯のぬくもりに包まれてまどろんだ。


 死んだほうがましだと思うことも、あるにはあった。しかし無残に死んでゆく人々を見ると同時に、勝者の豊かさを享受してみると、死にたくはない気持ちの方が強まる。


 殺されてしまった人々と違って、ヴィヴィは生きている。死にたくはないヴィヴィは、これからも生きなければならない。

 そして無力なヴィヴィが今後生きていくためには、侵略者であるレオカディオに頼らなくてはならなかった。


(生きて、何かができるというわけじゃないけど)


 薄闇の中で目を閉じて、ヴィヴィは自分にできることとできないことについて考える。


 幼馴染や家族を奪ったレオカディオを、ヴィヴィは絶対に許せなかった。

 しかし無学なヴィヴィには、レオカディオに復讐ができる器量はない。


 運命に抗うことは選ばれた者にしかできず、そういう人間はきっと臆病で弱いヴィヴィとは違う。

 どうせ駄目だとわかっているのなら、傷ついてまで抗う必要はあるとはヴィヴィは思えない。


 だから死んだ人々に何かしらの報復を期待されているとしても、ヴィヴィは困るのだ。


(辛いのはもう、嫌だから)


 濡れたヴィヴィの頬を、温かい何かが伝う。

 それが涙なのか、それともただの湯なのかは、すべてを諦めようとしているヴィヴィにはわからなかった。

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