1-7 雪のお菓子

 それから祈祷を済ませて塔を降りたシェスティンは、日課の朝の散歩の代わりに、船上での訓練を終えたクルトをバルコニーに呼ぼうとした。

 しかし急に雲が厚くなって雪も降り出してきたので、結局二人は図書棟の書斎で会った。


 図書棟の書斎はかつてシェスティンが神官たちの授業を受けていた場所で、二つの机と教科書にしていた古い本が収められた本棚が置かれた狭い部屋である。

 授業を受ける機会が減ってからは、シェスティンはクルトと会うためにその書斎をよく使っていた。


「今日は特別に、お菓子とお茶を用意してきたんです」


 本来は本を読んだり文章を書いたりするためにあるはずの机の天板に、シェスティンは温かい金属製のポットや紙で包んだ菓子の入った籠を置いた。


「ここで二人で食べましょう」


 シェスティンは自分とクルトのカップを並べて、ポットから爽やかな匂いのお茶を注ぐ。

 向かいの席に座るクルトは、籠の中の菓子をじっと見つめていた。


「お菓子を見たのは、久しぶりです」


「最近は厨房も、食料を節約してますからね。これは私の部屋の戸棚に残っていた分です」


 一つの菓子を籠から取り出し、シェスティンはその包み紙をといた。中に入っているのは真っ白な粉砂糖をまぶした、丸い雪の玉のような菓子である。

 以前は食べる機会も種類も豊富にあったお菓子も、オルキデア帝国の侵略がひどくなってからは手にするのが難しいものになった。

 シェスティンは特別に融通してもらっていた分まだ食べることができるが、聖女でなければ何も手元にはなかっただろう。


「確か、クルトの好物ですよね」


 白く丸い菓子を手のひらに載せて、シェスティンはクルトに訓練を頑張っている褒美の気持ちで差し出した。

 与えられたから持っているだけで、シェスティンは別にそう菓子が好きではないし、そもそも食べることにそれほど思い入れがない。

 自分の手でクルトにお菓子をあげるのが楽しいのであって、砂糖の甘さにはそう興味はないのだ。


「はい。俺が好きなお菓子です」


 精悍な顔にやわらかな表情を浮かべて手を伸ばし、クルトはシェスティンの細い手に載ったお菓子に触れようとした。

 クルトが甘いものに目がなく、特にこの白く丸い菓子を好んでいることを、シェスティンは知っていた。菓子を食べることができる機会が減った今なら、クルトはより喜んで菓子を手にすると思った。


(美味しそうに菓子を食べるクルトは、それは可愛いですからね)


 しかしシェスティンの期待に反してクルトは途中で遠慮した態度をとり、菓子には触れずにシェスティンの手を両手で包む。

 そして名残惜しそうに笑顔を作って、クルトはシェスティンに優しい声で話しかけた。


「……だけど俺は、お茶だけにしておきます。戦争を控えた今、甘いものは貴重ですから、お菓子はシェスティン様だけでお召し上がりください」


 そう言って菓子を譲るクルトの手は大きく温かいが、眼差しは哀愁を帯びてシェスティンに向けられている。

 クルトはシェスティンが甘味や食事に執着がないことを知らずに、守るべき聖女から貴重な食料を奪ってはいけないと、戦争を目前にして自制していた。おそらく他の騎士を差し置いて自分だけが贅沢をすることはできないと、我慢しているところもあるのだろう。


(戦争があるというのは、こういうことなのですね)


 好物を口にしないクルトを前にして、シェスティンは自分の置かれた状況が平和から遠ざかりつつあることを実感した。それはシェスティンにとっては意外で、現実がよくわかる結果だった。

 だがシェスティンは必要以上には深く考えずに、クルトに勧められるままに、菓子をつまんだ。


「ありがとうございます。では、私だけでいただきます」


 クルトの苦悩にはあえて気づかないふりをして、粉砂糖を落とさないように注意しながら、シェスティンは菓子を口の中に放り込む。

 神殿のある島は年中寒く虫も少ないため、古い菓子もある程度は安心して食べることができた。


(普通に、甘いです)


 アーモンドの香りをほのかに残して、丸く白い菓子はほろりともろく口の中でくずれる。

 雪のようにほどけていくその甘さは、きっと一部の人間にだけ許された贅沢な味なのだと思われた。その価値を言葉で理解してはいても、シェスティンはそれを美味しいとは思わない。

 だが菓子をよく味わって目をあげると、クルトが切なげな表情でこちらを見ていたので、シェスティンは満足する。


(これはこれで、悪くはありません)


 クルトが切実に考えているのはおそらく、戦争でシェスティンが菓子を食べられなくなる日のことであり、自分が菓子を食べられないことではない。

 それでも菓子が好きなクルトの前で、クルトの好きな菓子を食べるのは、シェスティンにとっては面白かった。


「クルトは偉いですね」


「何でしょうか。いきなり」


 シェスティンはクルトを無意味に褒めて、菓子の代わりの褒美にする。

 不安そうな顔でクルトは意図を尋ねたが、シェスティンは答えることなく二つ目の菓子を手にとった。


 カップに入ったお茶からあがる湯気が温かな一方で、狭間飾り付きの窓の外では冷たく白い粉雪が地面に降り積もっている。

 その雪を見ながらシェスティンは、雪と同じ色をした菓子の口溶けを味わった。

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