第27話 セルペーパーは坊ちゃんの手の中に

 坊ちゃんが背中を向けたまま待っていてくれたので、わたしはお風呂に入ることができた。温泉が湧いているのか、浴槽にはお湯が入っていた。


 シャワーがあれば完璧だったけれど、贅沢は言っていられない。


 お風呂が終わるともう寝る時間だった。食事は一日二食のようだ。


 そして一週間。一日二食なことにも、シャワーのないお風呂にも慣れてきた。スケジュールは毎日同じで、坊ちゃんの勉強時間がわたしの自由時間だ。


 自由時間になると、わたしは毎回図書室に行った。そして図鑑のような、わたしでもわかる本を探して読むのだ。それを続けていると、一つのことがわかった。


(この世界には、虫がいないのかもしれない)


 ドラゴンを含む爬虫類っぽい生き物の描かれた本や、哺乳類らしき生き物、植物の描かれた本は見つかったけれど、虫が描かれた本は一つも見つからなかったのだ。


 思えば、前の集落は森に囲まれていたのに、虫を一匹も見なかった。ここに来たとき、花畑が作り物じみて見えたのは、蝶一匹すら飛んでいなかったせいなのかもしれない。


 図書室にしばらくいると、外の教会にお人形ちゃんたちが入っていく。わたしはそれが見えると、本を片付けて教会に向かう。


 気づかないこともあるから毎日ではないけれど、そこでお祈りをしてから演奏を聞くのが日課になっていた。


 演奏される曲は日替わりだったけれど、どれも教会にふさわしい厳かな雰囲気の曲だった。お人形ちゃんは速い曲でも遅い曲でも、同じように体を揺らして、ノリノリで聞いている。


(まさかわたしが、自分から人のいる場所に行くようになるなんて)


 音楽とお人形ちゃんによってなされる、天国のような世界観。それを見るためだけに、わたしはここに来ていた。


 その光景に心を震わせ、高まったモチベーションを部屋まで持って帰り、セルペーパーにぶつけるのだ。


 作品はかなり完成に近づいてきていた。すでにクライマックスのドラゴンを倒すところまで描き終えている。お城に帰るエンドシーンを描き終えれば完成だ。


 エンドシーンを作るのは、描き始めと同じくらい心高まる作業だ。扉が開く音が聞こえても、手を止めずに進めたかった。けれど、そんなことをしたら坊ちゃんは、すぐに一人でどこかに行ってしまう。


(仕方ないか)


 手を止めて背中を伸ばし、振り向いた。


「え? わ!」


 一歩踏み込めば手の届く距離に坊ちゃんがいて、その手に一週間描き溜めたセルペーパーが握られていた。


「か、返して……!」


 手を伸ばしたけれど、坊ちゃんには簡単に避けれれてしまった。


 坊ちゃんはセルペーパーをパラパラとめくり、一枚を抜出して何か言った。


 そこに描かれているのは、頭に剣を突き立てられて、倒れている竜だ。坊ちゃんは男の子だから、竜とかが描かれている絵が好きなのだろうか。


 坊ちゃんは束から、どんどんとセルペーパーを抜き出していく。


(順番変えないで欲しいんだけどなぁ)


 坊ちゃんは十数枚のセルペーパーを抜き取ると、残った束をわたしに押し付けるように渡してきた。坊ちゃんの手に残った十数枚の中に、さっきの竜の絵も残っている。


 渡された束を確認してみると、竜の絵をすべて抜かれたわけではなさそうだ。傷ついた竜の絵だけを抜いたのだろうか。


 坊ちゃんは手元に残った絵を、アタッシュケースの中に入れて閉じた。そして廊下の扉を指さして、顔の前でバッテンを作る。


「えと、外に、持っていくなってこと……?」


 わたしの言葉に疑問符があるのがわかったのか、坊ちゃんの説明は続く。


 今度はわたしの手元にある束から、竜の描かれている絵を探して指さし、坊ちゃんは両手を交差させるように胸に当てた。


 そのポーズには見覚えがあった。


(たしかお人形ちゃんが、教会でお祈りするとき、このポーズを取らされてたっけ)


 無垢なメイドさんは頭に手をのせる、前の集落でも見たお祈りの仕方だったけれど、お人形ちゃんにはそれをさせていなかった。


(わたしが自分の神様に祈っているみたいに、別の神様にお祈りしてるとか?)


 玉座の後ろに、竜の石像があるのを思いだした。


(竜は敬意を示す相手であって、倒す対象ではない?)


 空想の生き物に敬意を示すのは変な気もするけれど、神様みたいなものなら納得がいく。


 答え合わせをするには、作品を作り直して観てもらうしかない。


 坊ちゃんはしきりにアタッシュケースと廊下側を指さして、バッテンを作っている。細かい説明は諦めて、さっきの絵を外に持っていくなとだけ、伝えようとしているみたいだ。


(わたしが他の人に嫌われないように、心配してくれたのかな?)


 なんとなく坊ちゃんの頭を撫でたら、思いっきり振り払われて、坊ちゃんは廊下へと出て行ってしまった。


(かわいくないなぁ)


 後を追うわたしの足は、少しだけ軽やかだった。

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