うずまく

岸正真宙

1

 寒空の中、マフラーを口元まで手繰り寄せて身体の体温が逃げないように歩いた。欅の木が完全に葉を落としていて、来春にむけての準備をしている。うすく商店街が設置したスピーカーからクリスマスの音楽が流れ、年末の足音がすぐそばに来ているようだった。待ち合せの場所に向かっていたら、遠くでひょろっとした影が見えた。サクラのほうが僕より先に到着していたようだ。僕に気づいたサクラは煙草を持ったほうの手で軽く頭の近くまで挙げて「よう。」ともてる言葉の中で一番力を使わないで済む挨拶をした。紫煙が手の動きに遅れてサクラの頭のあたりを漂った。僕はちらっと時計を見て、遅れたわけじゃないことを確認してからサクラの傍に駆け寄った。




 ◇◇◇◇




 サクラと知り合ったのは大学生の時だ。以来僕の中ではずっと友達だ。サクラは色白でひげが濃く、メガネをかけた二枚目で、彼女が途切れるようなことは絶対にないやつだった。サクラは月みたいなやつで、近くで照らされたら心が乱れてしまうらしい。後輩の女の子はサクラと話している途中で気を失ったように感じ、気づいたら一緒に朝を迎えていたと話していたのだから、余程平常心ではいられない男なのだろう。


「おい、ユウ。モーニング食べに行こうぜ」


 ある朝、寝ぐせ姿のサクラにばったり会ったら、そう声をかけられた。


「おお、良いね」


 朝が苦手なのは、二人共で、講義前にご飯を食べることなく学校につくことが常であった。だから、午前の1コマ目は絶対にいれないようにして、二人で遅めの朝ご飯を近くの喫茶店「コニー」で食べることが自然と多くなった。口ひげを蓄えて、ハンティングキャップを被ったマスターが出してくれるコーヒーは香り高く美味しい。昔ブラジルでバリスタをしていたらしいが、うさん臭い人なので、きっとブラジル人が経営しているお店のバイトをしていたぐらいだろう。にこやかに挨拶をするのはかわいい女の子ぐらいなのだが、サクラには愛想のいい人だった。僕らは窓際の端の席をよく好んで座っていた。僕が陽の当たるほうの席を座り、サクラが影になる方をよく選んだ。北海道生まれのサクラは陽に当たると熱くて嫌なんだと言っていた。モーニングセットを二つたのみ、サクラがケチャップを外してほしいとマスターに注文をつけた。トマトが嫌いなのを知っているのは僕とサクラの彼女ぐらいだろう。席に着くや否や、文庫本を開くサクラの向かいで、スマフォを開きツイッターの流れを目で一通り通した。


「お前、限りなく透明に近いブルーを読んだほうがいいよ。俺すごい好きなんだよ」

 村上龍の代表作を、こちらを見向きもしないで勧めてきた。かねてより「センスの合う」


 人が好きなサクラはよく本や映画や音楽を勧めてくれる。僕とのギャップを感じているのだろうか、育てているのだろうか、そうしてサクラが好きなものを体に蓄えていくことが普通になっていった。


「人といるときも常に近くにいる女子を意識している。だからわざとその子の話題をしたりすることもあるよ」


 煙草を燻らせながら、遠くを見ながらサクラは言ったことがあった。あの時の僕にはそれは凄い事に思えた。




 ◇◇◇◇




 あれから時間がたち、僕らは社会人になったが、近くにいればたまに会うのは変わりない。あの頃、サクラの傍にいるとそれだけで自分のことを好きになれた。今も変わりないのかもしれないが。今日はサクラと一緒に近くのギャラリーに行く。ある展示会のオープニングパーティになるので、一緒に来ないかと誘われたわけだ。展示会は彫刻という美術的に前時代のアートを現代風に読み解くギャラリーであった。京都の若いアーティストと昔から彫刻をしていたアーティストが展示と彫刻の今後の在り方について討議するのと軽い飲食会がある。サクラはこの展示会へ出展する依子さんを後押ししたし、今の彼氏でもある。


「彫刻って、存在感があるメディアだよ。絵や現代アートより、濃縮されたものだからね。だけども、展示する場所であり方が大いに変わってしまう」


 歩きながらサクラは僕にそう説明した。三条通に差し掛かるころには周りはだんだんと賑わっていき、若い人も増えてきた。他の季節に比べて、街中の服装は色味をへらし、黒や白が基調になるのに、暗い雰囲気にならないのは帽子や、手袋、マフラーなどにワンポイントが入っているからだろう。街中も商戦間近となり、カラフルに人目を惹きつけようとしている。そんななか、黒いロングコートに黒い髪の背の高いサクラが颯爽すると、周りは逆に目を向けてしまうのか、彼の歩く軌跡を目で追ってしまう人も多いだろう。普段は少しだけ気だるそうに見えるサクラだが、歩くときはまっすぐ前を見つめる。だからしゃべるときもあまりこっちを見ない。歩幅を合わせて講釈を聞きながら、今日の会が彫刻界、京都芸術界どんなに意味があるかを教示された。






「依子さん、これいいですね。タイトルがまたいい!」


 会場について一通り、見たあとにやっぱり知り合いの作品はすごく見てしまう。芸術とか彫刻とか読み解き方があるはずだけど、後ろに作った人が分かるほうが感じやすいのだろう。いずれにせよ感性とは程遠い見方かもしれない。依子さんの作品は男の人と思わしきモチーフが女の人と思わしきモチーフに丸まって取り込まれてしまっているような作品だ。男性のほうは鋭角なところが多く、一部だけ滑らかな箇所がある、そこを守るように丸まっている。それを覆いかぶさるように、石が滑らかに削られている女性がいるような構図になっていると依子さんは教えてくれた。また女性のほうのモチーフには髪がかかっている。モチーフから生えいるのか、髪の毛のかつらをそこに置いてあるのかと見まがうほど、髪の毛は抽象性から外れリアリティを持ってできている。このちぐはぐな感じがいいと思った。依子さんにそれを伝えると、意図しているところと違っていたらしく、それはそれで発見だから、嬉しいとのことだった。やっぱり見方が分からないものなんだなとも思った。


「サクラはどこにいるのかしら」


 依子さんはウェルカムドリンクのシャンパングラスを口に添えながら言った。睫毛が長く、小柄な身長のせいで可愛らしく見えるが、目元はとても切れ長でむしろ美人顔といえる。ピンクに映えた唇は少しグロスで照かっていて、膨らみを強調し、チャームポイントになっていた。


「サクラなら、あっちよ」

「あ、夢乃さん。こんばんは」


 このギャラリーのオーナーともいうべき共同経営者である夢乃さんが、僕らの会話を聞いていたのか、指をさしてサクラの居場所を教えた。夢乃さんは背中の開いたドレスを着こなし、耳に長めのピアスが揺れており、青、ワインレッド、緑の石が縦に繋がれていた。髪は後ろにアップされて、はらりとほほに長い前髪が垂れており、黒髪は艶やかで、目鼻だちがはっきりしていた。目を少し細めて笑顔を作り僕に会釈し、依子さんの作品を彫刻の観点、芸術の観点から褒めたたえていた。依子さんは自分より背の高い夢乃さんを見るため、顔を上げざるを得ず、そのせいか聴講をしている学生にさえみえてしまった。それでも依子さんは一言一句大事なことと聞き逃すことなく、その賞賛を浴びてここちよさそうであった。夢乃さんに礼をし、依子さんはサクラの場所と思わしきところへ駆けていった。


「こんばんは、本日は当ギャラリーの彫刻展示会にお越しいただきありがとうございます」


 夢乃さんは依子さんを送った後に僕に律儀にお礼を述べてくれた。


「依子さんのお知合いですか?」


 僕は、自分がサクラの友人で、依子さんとはその縁で知り合いであると伝え、本日のギャラリーの感想を大まかに伝えた。


「では、この後もゆっくり観覧、歓談を楽しんでいただければと思います。失礼します」


 会釈の際の夢乃さんは何万回も繰り返したであろう、その美しい笑顔を僕に向けた。華やかさとは違う、女性の神髄ともいえる顔である。綺麗な人であった。そのあとは自分が主催した会をぐるりと回るため、しなやかに歩き出した。腰からヒップへのラインが流線型で、すべての車会社のデザイナーが真似すべきものに見えたし、背中はセラミックの見えない板で補強しているかのようなまっすぐさであった。肩が歩くたびに左右に少し傾き、それは、陰と陽をいったりきたりする夢乃さんの性質そのものを表してさえいそうであった。




「ハイボールを一つください。」


 僕はある程度観覧し、一通り話も終えたのでカウンターに座りお酒を嗜むことにした。周りの喧騒もどことなく落ち着き始め、人だかりもある程度固定化してきているように見えた。ポツポツとだが、基本的には作家さんの周りに人が集っているように見える。そんななか、一番奥の方に大きめの集まりがあった。サクラの集まりであった。特に作家でもない、肩書のあるわけでもない、ただの社会人のはずなのに、人を集めてしまっていた。周りの人はアイツの何を聞いているのだろうか、それとも酔っているのだろうか、アイツ自身も酔っちゃいないかなと、少しだけチクリと思ってしまった。


「にごり杏露酒で作ってもらっていい?」


 横を見ると夢乃さんが居た。手を組んで、テーブルに肘をつき、少し体重を預けているように見えた。夢乃さんは、落としている前髪の一部を、いったん耳にかけて、お酒を飲めるようにしていた。


「ちょっと、休憩ですね。ホストもそういうひと時が必要ですもんね」


 僕がそういうと夢乃さんは美人を取り外した顔で、可愛く微笑んだ。

「甘いの飲んで、少し休憩。ユウくんはもうおしまい?」


 下の名前で呼ばれてすこしびっくりしたが、自然と嫌ではなかった。


「はい、おしまいです。楽しい場をありがとうございました」

「いいえ、こちらこそ」


 夢乃さんのお酒がちょうどタイミングよく出されたので、二人で軽くグラスを重ね合わせた。夢乃さんは山吹色のお酒を口につけ、グラスを傾けた。唇をゆったりとはがして、口に含んだ甘い杏をゆるりとのどに流し込み、目を閉じて、ゆっくりと目を開けてからこちらを見た。睫毛がきれいで、眉のラインに永遠を感じた。


「ふう、美味しい。杏っていいわね、可愛らしくて、きっと誰からも疎まれないわ。私だってすごく好きよ。もし下の名前に貸してもらえたら、少しは可愛らし気になるんだろうな。ユウくんは、甘いもの好き?」

「僕は、甘いものも好きだけど、頑張っている人が好きですよ」


 そう伝えると、軽く下を見ながら笑った夢乃さんは小さくありがとうと教えてくれた。そうして、今日の会を開くに至った経緯や、会全体の感想をきいたりした。話をしている夢乃さんは色香を脱いだみたいになっていたし、それこそそこいらの少女のような人になっていた。ふり幅が大きくて、つい懐にいれてしまいたくなってしまう。そういうところを感じてしまった。夢乃さんの仕草はきれいとかわいいをいったりきたりした。話しているときにグラスで遊ぶ指はきれいになまめかしいのに、その間の瞳は明るく、大きくひらいて、飴細工のようでもあった。お酒を口に含む、横顔はつけたピアスがほほの空白の間をゆるゆると揺れて、大きく開いたきれいな首筋をより白くしたのに、グラスを持つ手は両手で包むように持ち、大事な残りを楽しむ童心が見えてしまっていた。


「ふう、美味しかった」


 そう言って、秘密を打ち明けた時の笑顔を僕に見せたとき、後ろから40代の男性に声をかけられた。するとすぐに夢乃さんは夢乃さんに戻り、そのままその男性にエスコートされながら歩いて行った。僕は、強めのバーボンを追加して、飲んだら帰ろうと思った。




 ◇◇◇◇




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