27.兎の目に似ている

 それは、こう呼ばれていた。

 マチコからの伝言、と。


 そんなにかしこまらなくてもいいよ。

 これは非公式の会合だから。

 記録も残さない。

 もっとも、リリィにログは残るけど。

 近頃はもうあのくそったれな評議会の目が届かない場所はないからね。

 ふん。

 あいかわらず心配性だな、あんたは。

 体勢側が恐くて研究なんかやってられるかってんだ。

 あんたの立場上、気持ちは分からんでもないがね。

 ああ、そうか、そうだね。

 彼女には一応説明しておこう。

 君はまだここに来たばかりだから、知らなくて当然だ。

 この研究所では、たまに不思議な現象が起きるんだよ。

 所員の端末に、突然不可解なメッセージが送信される。

 差出人の名前は、マチコ・アマネ・フリーレン。

 確かに、その人はこの研究所の所員だった。

 三十二年前までは、ね。

 今はもう亡くなってる。

 もちろん、僕は面識がないよ。

 たぶん、所内で彼女を知っている人はもういなんじゃないかな。

 発信経路は不明。

 驚くべきことに、発信者は特定できないんだ。

 リリィをもってしても。

 それだけでも、大きな謎なんだけど。

 そのマチコから、数年に一度、メッセージが届く。

 どれも短いメッセージだ。

 たいていは、ある小説のタイトルが書かれている。

 いずれも、昔の地球の小説だ。

 その小説を読め、ということらしい。

 前回は、確か『一九八四年』だった。

 ちょうど二年前だ。

 どうして覚えているかというと、そのとき、例の制度強化があったからだ。

 すべての組織体の会合のログを取ることが決まった。

 あの、例の劣悪な制度施行が決まったときだ。

 君、『一九八四年』は読んだ?

 まあ、大昔の小説だからね。

 なにせ、書かれたのは今から二百四十年も前だから。

 それでも、この小説はとても示唆に富んでいる。

 いや、今こそ読まれるべき小説だと言える。

 つまり、こういうことだ。

 マチコのメッセージに書かれた小説は、そのとき、僕たちが読み、そこから何かを読み取り、紐解き、行動を起こす、よすがとなるべきもの、そんな作品だということなんだ。

 そして昨日、新しいマチコからの伝言が届いた。


『A Rabbit's Eyes』――抵抗を忘れるな。


 これも、大昔の地球の小説だった。

 原題も同じ意味で『兎の眼』。

 作者は、ケンジロウ・ハイタニ。

 兎って、知ってるかな。

 そう、森林公園にいる、あの生き物。

 長い耳の。

 あれは、サイバネティクスロボットだけど。

 兎の目、見たことある?

 うん。

 なんか、優しそうな目だよね。

 いつも濡れてるような。

 ああ、いや。

 僕の目は関係ない。

 これは、夜通し起きてたから。

 この小説があまりにも素晴らしくて。

 一気に読んじゃったんだ。

 ところで、作中に、ある仏像が出てくるんだよね。

 仏像っていうのは――そう。

 リトル・ルナではあらゆる宗教が排除されているから、普通の人にはピンとこないだろうけど。

 ここにいる人間なら、分かるよね。

 その仏像の目が、兎の目に似ているって、主人公は思うんだ。

 美しい目をしている。

 人の目というよりも、兎の目だ、と。

 そして、主人公が知り合う、ある老人の目にも、同じものを感じる。

 説明すると長くなるからやめるけど。

 とにかく、素晴らしい小説だったよ。

 大昔の地球の、しかも小さな島国の話だから、分からない部分もたくさんあった。

 それでも、僕の心に響いた。

 いや、打ちのめされた、と言ってもいい。

 この小説に、こんなセリフが出てくるんだ。

 人間は抵抗、レジスタンスが必要だ。人間が美しくあるために、抵抗の精神を忘れてはならない。

 さて、みんな。

 なぜ今、マチコからの伝言が届いたか、もう分かっただろ。

 ここの規模が縮小されることが、昨日決まった。

 しかも、地球の文献や資料にアクセスするには評議会の許可が必要になる。

 ここだけじゃない。

 同様の研究機関すべてに対してだ。

 今日、僕たち上層部の人間はずっとその件で話し合ってきた。

 結論はまだ出てない。

 少なくとも、僕は抵抗しようと思っている。

 もちろん、賛同してくれと強要するつもりはない。

 ただ、みんなにも読んでほしいんだ。

 今回の件だけじゃなく、抵抗のことだけじゃなく、いろんな大事なことが書かれている。

 リトル・ルナではもう、新しい小説はほとんど書かれていない。

 このままだと、こんな小説は二度と生まれてこなくなる。

 だから、さ。

 手遅れになる前に。


 遅くなってごめん。

 アイリス、久しぶり。

 さっき、確認してきた。

 ちゃんと、ダミーの映像と音声が流れてたよ。

 なんと、みんなで歌を歌ってた。

 それが。

『L’estaca』なんだ。

 昔の地球のある国で歌われてた抵抗歌だよ。

 杭っていう意味。

 みんなで引っ張れば杭は倒せる。

 杭はもう充分腐ってる。

 そういう内容の歌。

 評議会は英語圏以外の作品のチェックは甘いから。

 もちろん、今のアーカイブにはないしね。

 アイリスもなかなかやるね。

 それと、メッセージありがとう。

 ああ、さっきその話をしてきた。

 みんなに響けばいいんだけど。

 どうだろう。

 いずれにしろ、各機関との連携が必要だ。

 ところでアイリス。

 アイナの様子はどう?

 そうか、よかった。

 彼女が子供を作るって聞いた時はびっくりしたよ。

 体外受精だって知って、なるほど、とは思ったけど。

 今度、お見舞いに行くよ。

 それから。

 あとでまた聞かせてほしんだ。

 マチコのこと。

 彼女が『兎の眼』について、何て言ってたか。

 個人的に知りたいんだ。

 ありがとう。

 さて、じゃあ本題に入ろう。

 抵抗の話をしようか。

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