第七膳『春の訪れと天ぷら』
春の訪れと天ぷら 前半
まったくもって人生とは不思議なものだ。
料理する事、食べる事を楽しめる日がまたやってくるなんて思いもしなかった。
でも平九郎と出会ったあの日から、熾火だった想いははっきりと明るさと熱を取り戻した。もっとも昔のような燃え盛る炎じゃない。小さいけれど簡単には消えない、静かな熱量を持った炎だった。
改めてオレは自分の望みを知った。
美味しいものを作りたい、美味しいもをたべる笑顔が見たい。
それだけで良かったのだ。ただそれだけだったのだ。
だから今日はちょっと特別なごちそうにしようと思った。
「今日の晩御飯は天ぷらにしようと思うんだけど、どうだ?」
「天プラ、デスかっ! 一度食べてみたいと思ってたんデスっ!」
平九郎は天ぷらの言葉に目をキラキラさせていた。
「あたしも天ぷら食べたい! 食べてみたい! 作って! 作ってください!」
トモカちゃんも平九郎に負けず劣らず目を輝かせて迫ってくる。
うんうん。そうだろう、そうだろう。
天ぷらと言えばごちそう。それだけでもテンションが上がるというものだ。
しかも今回、オレが作ろうとしているのは『揚げたて天ぷら』だ。天ぷら屋さんのカウンターでしか味わえない、完璧な揚げたてを楽しめるコース仕立て。
今回は二人にそれを食べさせてあげたいと思っていた。
いや正確には違うな。
オレ自身が三人で一緒に食べたいと思ったのだ。
「海の幸と山の幸、揚げたての天ぷらはどれも最高においしいんだ」
「買い物デスね!」
「あたしも行く、行く!」
二人はさっそくパーカーを羽織り、エコバッグを肩にかける。
そして催促するように玄関でオレをじっと待っている。
分かった、分かった、すぐ行くよ!
「セキカワさんは天プラでなにが好きなんデスか?」
「実はシソが好きなんだよね、パリッとしてクシャッ、て食感がさ」
「あたしはエビ食べたい!」
「お肉はありマスか?」
「肉もつくってやる、もちろんエビもな」
何が好きか、何が苦手か。何を食べたいか。そんな会話がまた楽しいのだ。
もう自己満足だけの料理に興味はない。
目の前のお前たちが楽しめる料理、オレが作ることを楽しめる料理。
いつか。そう、いつか。
そんな楽しい料理を提供できるお店を開いてみたいな。
と、平九郎が不思議そうにオレを見ているのに気付く。
どうやらちょっとにやけていたらしい。
こんな風ににやけた表情が出てしまうのもまた本当に久しぶりのことだ。
「天ぷらの具材を考えてたらつい、な。春は美味しいものがそろうんだよ。ほかにもキスは外せないし、マイタケとか、かぼちゃ、アスパラなんかもうまいぞ」
三人でいつものスーパーに向かうお馴染みの散歩コース。
天気は快晴。空気はまだ肌寒いけれど、春は間近だ。桜もちらほら咲き出した。
これからもっともっと楽しい日が続いていくのだろう。
もっともっとたくさんの美味しい料理を二人で作って食べるのだろう。
そんな風に思っていた。
だからこの時のオレは気づいていなかった。
春は出会いと同時に別れの季節だったことに……
⇒ to be continued
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます