第20話 新薬

 カーテンの隙間から入る日の光で目を覚まし、俺はベットからのっそりと降りると一つ伸びをする。朝起きたばかりのこの体は関節周りが痛くてたまらない。できるだけストレッチを日常の中に入れるようにしてるが、どうも朝は弱かった。

 部屋にいくつもあるカーテンの一つをざっと開けると、まだ起きるには早い時間帯だった。


「まいったな。目が覚めちゃった」


 元の世界の俺なら枕が変わるぐらい屁でもなく、床でだっていくらでも眠れたが、この体は腹が立つことにそういうところで繊細らしい。ゲス貴族のくせに…と思いつつ、窓の外を眺める。

 主人である俺があんまりにも早く起きると、兵やヨルド達に気を遣わせてしまう。メイドのアンはそこらへんが図太いようで、遅刻ギリギリに髪も整えずやってくるのだが、メイドとしてはどうなのかと思いつつも、周りを気にして気疲れする俺としては少し安心する。


 昨日は、窓の外を見るほど落ち着いたのはあたりが暗くなってからだったため、初めてここからの景色を見ることができた。

 屋敷の周辺には綺麗な庭が広がっていて、庭師らしき人たちがせっせと仕事の準備を始めている。今晩、いろいろな地域から貴族たちがここに招かれ【契りの晩餐】が行われるため、朝早くから奉公人は大忙しなのだろう。忙しい時に前日入りしたのを申し訳なかったなと反省しながら、これからどうするかと思案する。

 窓の景色は朝が早いためか少し霧が出ていて遠くまで見渡すことはできなかったが、霧の切れ目に何か白く高い建物が立っているのが、ふと目に飛び込んできた。


「なんだアレ…?」


 他の建物は装飾が豪華でコテコテした印象だが、あの建物はそれらとはどこか雰囲気が違う。なんというか少し潔癖ささえ感じる無機質な白といった感じだった。

 と、言いつつも俺はそれほど気にも留めず、ボーっとその建物のあたりを見つめ時間が過ぎるのを待った。


 コンコン。


 部屋をノックする音で我に返り返事をすると、ヨルドが相変わらずぴちっとした格好でやって来た。異世界こちらに来て結構な時間を彼と過ごしているが、だらしない所を見たことが無い。それではロボットのようで人間味がないかと言われればそれも違い、常にという感じなため、余計に感心する。


「旦那様、起きてらしたんですね」

「うん、目が覚めちゃってね」

「早いですが、朝食の準備が整ったようです。昨晩遅くにテンボラス様が屋敷にお帰りになられたようで、日中は【契りの晩餐】の準備でお忙しいとのことで、朝食を旦那様とご一緒したいとのことでしたがどうされますか?」

「テンボラス…。うん、わかった。それでいいよ」

「では私は向こう方にその旨を伝えつつ、アンを起こしてまいりますので、旦那様はアンに手伝わせ準備を整え次第、食堂の方へいらっしゃってください」

「いいよ、アンは俺が起こしに行くから」

「…わかりました。ではお願いいたします」


 最近はヨルドの仕事量を調整したり、周りの人員の補充を積極的に行ったりしているため、俺がヨルドの体の心配をしているのが伝わっているようで、全部を自分でやろうとはせず、柔軟にいろいろ任せてくれるようになった。

 最も主人がメイドを起こしに行くのはなんともおかしな話ではあるが。


「…それと」


 ヨルドは振り向き、言葉を続けた。


「テンボラス様とこれからお会いになられますが、テンボラス様と旦那様はお顔見知りです。毎年この時期にはお会いになる間柄。

 旦那様が前の旦那様と違うということを悟られるのはよろしくないと思いますので、できる限りお話を合わせに行ってください」

「! そっか」


 契りの晩餐のメンバーの大半は顔見知りであるだろう。ここから先は、俺が転生者であることは悟られないに越したことはない。

 ヨルドやメイド長ポピィのように理解が早いとも限らないし、これまで出会ったのは皆ゲシュタル家領の者たちだったから変化も受け入れてくれたが、これから会う者はほとんどが位の差はあれど対等な貴族であり、敵か味方かも定かではない相手だ。

 特にこの契りの晩餐は黒い事業を進めるのに使われるパーティー。奴隷制度を変えたり、まっとうな政策を打ちたい俺は異端であるだろう。

 ヨルドは一つ頷くと部屋を後にした。



 アンの部屋は俺の部屋を出てすぐの小部屋で、「用があればすぐに駆け付けられる距離がいいでしょう」と、この屋敷の留守を任されていたボブスレーが近い部屋を用意してくれた。

 ボブスレーは「今夜はあのメイドを? それともこちらで用意しましょうか?」とゲスな話を持ち掛けてきたところを見ると、アンを俺が連れ歩くとでも思っているのだろう。


 コンコンと戸を叩いてしばらく経っても出てこないので、仕方なく部屋へ入らせてもらう。いっても女の子の部屋なので主人と言えどこんなおじさんが部屋に入るのは申し訳ないと思い、あまり部屋の中を見ないようにする。

 案の定アンは口から涎を垂らし気持ちよさそうに熟睡していた。


「おい、アン。朝だぞ」

「ううん…」


 眉間にしわを寄せ、俺の声を遮るように壁側に寝返りをうった。どうもこのままお行儀よく起こしてもこいつが起きることはなさそうなので、俺は意を決してある言葉を耳元で囁いた。


「アン、朝食の準備ができたぞ」


 それを聞いたアンは飛び起き、寝ぼけた目であたりを見回す。

 大成功だ。どんだけ食い意地が強いんだろうかと思っていたが、睡眠欲より食欲が勝るらしい。


「あれ! だ、旦那様!?」

「おはよう。これから朝食だから身支度をてつだってもらえるかな」

「ご、ご飯は…」

「申し訳ないけど俺が朝食をとった後かな…」


 朝食が食べれると思って飛び起きたのに、と絶望した顔をしたあと少し冷静になったのか、メイドである自分を主人が起こしに来ているこの状況に気づき慌てて準備を始めた。


 ◇


「お久しぶりでございますゲシュタル様!」


 真ん中わけのサラサラな金色の髪を揺らし大げさに手を広げる男はローレリック・テンボラス。この領地の領主にして、【契りの晩餐】の主催者である。

 思ったよりも若い。もしかしたら彼もテンボラスの何代目かで、代々契りの晩餐を主催しているのかもしれない。

 若いがしかし、彼のその張り付いた笑顔は奇妙なもので、腹の中を見せる気はさらさらないといった印象を受けた。


「お久しぶりです。テンボラス様。元気でしたか?」


 テンボラスは一瞬驚いたような顔をして固まる。

 いきなりなにか、まずったかもしれない。敬語で話すのがダメだったか…?


「嫌だな、ゲシュタル様! いつものようにローレリックとお呼びください! 確かに昨年、私は父からこのテンボラスを引き継ぎ当主になりましたが、いきなりそんなに突き放されてはかまいませんよ」


 まんざらでもないテンボラスの様子に少し安堵する。そういった関係性だったのか、と頭の中で情報を上書きしていく。俺は笑ってその場をつなぎ、次の話題に移るのを待った。


「前日入りされるとは思っていませんで、屋敷を空けていて申し訳ありませんでした」

「いやこっちが早くついてしまっただけだから」

「なんと心がのお広いことか!」


「聞いたか!」と周りに控える、メイドや執事たちに語り掛ける。

 …やりにくい。固い話だけなら情報の中で会話をやりくりすればいいが、こうもテンションが高いとそれが難しい。このテンションに乗っかりすぎるとボロが必ず生じる。

 話のテンポをこちらでコントロールしたいと思い、違う話題を探す。


「そういえば、あの窓から見えた白い塔は?」

「? ゲシュタル様、やはり大丈夫ですか? それとも私を試されてる?

 ゲシュタル様にもいつも送らせていただいている薬の工場ですよ」

「! ああそうだったね。最近物忘れが激しくて」


 やくの工場がここにあるのか…。


「あ、もしかして例の件、耳に入っていたりしますか?

 さすがゲシュタル様ですね! 情報統制はかなりしているつもりでしたが、そうとういい情報屋を抱えているようだ」


 俺は何を言ってるかさっぱりで横に控えるヨルドに視線を向けるが、ヨルドも小さく首を横に振った。幸いなことにテンボラスは俺に疑問を持たず、サラサラと話を進めてくれた。


「フォージュリアット様と、新薬を作っています。まださすがにどんなぶつかまでは知りませんよね?」

「!」


 ヨルドも驚いているようだった。なるほど、ここに来るまでにヨルドと話していた疑念が一つ繋がった。

 フォージュリアット家がただでテンボラス家を支援するのはおかしい。なにかあるはずと思っていたが、テンボラスで新薬を作らせていたわけだ。薬の生産ラインがあり新薬を生産する体制も整っているのだろう。

 もちろん俺は南の大貴族フォージュリアット家とテンボラスが共同で新薬を作っているなんてことも知らないし、無論中身に関してなんか知るわけもなく、テンボラスの問いかけにはとりあえず頷いておく。


「ふふふ、よかった。この新薬のお披露目を今回のパーティーのメインにする予定でしたので、内容を知ってらしたらどうしようかと思いましたよ。楽しみですね」


 何を考えているかわからない笑みを浮かべ、彼は朝食を済ませると「それでは、私は準備を進めさせていただきます。ゲシュタル様はごゆっくり」と言って食堂を後にした。


 俺は彼とお付きの者が部屋をあとにした後も放心を続け、しばらくたってやっと息を大きく吐き出した。ボロは出していなかったと思う。新薬がなにかは聞き出せなかったが、そのお披露目が今夜の【契りの晩餐】の一番のメインディッシュだということはわかった。

 ヨルドも何か考えているようで、しばらく宙を見ていた。

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