第13話 道端の幼女

「そうでした。あの森は、旦那様が権利を領民から没収したのですが、そのままになっておりました。すぐに領民たちが使えるよう手配しましょう」


 領民のところであった話をヨルドにすると、ヨルドは別の書類に目を通しながら、そう答えた。

 ヨルドは俺がこの地に来て「奴隷制度を変える」なんて口にしてから、とても忙しそうだった。冷静に一つ一つ仕事を片していくさまはとても頼りになるが、さすがに疲れているようだ。ベストのボタンを一つ掛け違えているのを見ながら俺は思った。

 それもそうだろう。これまでのゲシュタル家が掲げてきた方針を言葉通り180度転換しているのだ。

 ヨルドの仕事はこの家において多岐にわたっている。領主である俺のスケジュール管理から始まり、この家の切り盛りや政治的な方針の決定まで、彼があらゆることの最終決定をする。この家が崩壊していないのは彼がいるからこそで、今倒れられたら困る大切な人間だ。それに俺のを理解しているのも彼だけなのだ。


「ヨルドさん、休んでくださいね。あなたに倒れられては困ります」

「…はい。たしかに少々疲れているようです。もう私も若くないということですか」

「ヨルドさんの仕事を補佐できる人が必要ですね」

「そうですね。せめてこの家のことを任せられる人間がいたらいいのですが…」

「そういえばヨルドさんは執事長ですけど、この家にはメイド長がいないようですが?」


 俺がそういうと、ヨルドは苦虫を噛んだような顔で「ああ」といった。


「私がこの家に来た時にいろいろ世話を焼いてくれた方がずっとメイド長として切り盛りしていたんですが、先代さまが追放され旦那様がこの家の主人になった時、出て行ってしまいました。確かに彼女さえいれば家の心配はなくなりますが…」


 ヨルドは思案するように顎に手を当て宙を見た。

 この家の大きさ的にメイド長がいないのはおかしいと思っていたが、そういう理由だったのか。やはりメイドをまとめ家を全て任せられるメイド長というのは必要だ。

 しかしヨルドがということはかなりの高齢だろう。現役を引退したという線も考えられる。あえて今連れ戻そうというのは難しいかもしれない。

 新しいメイド長を育てるにしても、すぐにヨルドがやっていることと同じことをやれるメイドがいるようには思えない。後進を育てるという新しい仕事がヨルドに課せられるということを考えたら、俺の方が目の回る気分だった。


 ◇


 日差しで肌が焦げるのではないかと思うような太陽の中を少し歩き、俺は平に広がっていく領地を見に来た。


「あ、領主さま!!」


 草を刈り石を運んでいた皆が俺に気づき、仕事の手を止めこちらに近づいてくる。


「お暑い中わざわざ! さ、木陰に」


 そういうと男が俺の手を引き、ここらで一番大きい木の下に連れて行ってくれる。

 この体でこの暑さはなかなか辛い。全身から汗が吹き出し、体が鉛のように重たくなるのだ。俺は椅子に腰かけ、ぜぇぜぇと荒れた息を整えることに専念する。


「だいぶここら辺の開発も進んでまいりました」


 彼らは、このゲシュタル家の新しい領民であり、俺が買った奴隷たちである。ヨルドは俺が頼んだとおり、彼らに人としての権利を返上し衣食住を整えてくれた。彼らもはじめは動揺していたが、この地の開発を献身的に手助けしてくれている。

 さらには元々この地にいて先代と共に開発を進めていた領民たちともうまくやっているようで、彼らの教えを受けながらこれまで順調に荒地を開拓している。


「はぁはぁ、そうみたいだね。頼もしい限りだよ」


 皆、とても生き生きと働いているようで、少し小麦色に焼けた肌もあってとても健康的になっていて、これでよかったんだと再認識した。

 ただ…。


「ルディアの様子はどうだい?」

「だめですね…。暑いのが苦手なようで、ずっと木陰で体育座りしています。それに全然食事にも手を付けなくて。数か月何も食べてないんです。…ちょっと怖いです」


 ルディアとは、最初に奴隷商から買った時にいた奴隷の少年だ。「僕は食べなくても大丈夫なんです」といって食事をとらなかった。最初はただ環境の変化で心を閉ざしてしまっているだけでいつかは限界が来ると思い根気よく待っていたのだが、それは強がりでもなんでもなく、本当にここ数か月に渡り何も食べずに水だけ飲んで生活をしているようだった。

 あまりにも人間離れしているため、周りの奴隷たちも少し気味悪がって近づかなくなってしまったそうだった。

 俺は彼が気がかりで、たまに時間ができるとこうして荒地の開発を見がてら彼の様子を確認しにやってきていた。


「やぁルディア。どうだい調子は」

「特に変わりません」

「相変わらず何も食べてないけど大丈夫なのかい?」

「僕は水を飲んでたら大丈夫です」

「うん、そうだったね」

「…」

「ルディア。そろそろ、キミが何者なのか教えてくれないかい?」

「…すみません」


 彼は頑なに過去について話したがらなかった。俺も別に何者でなにがあったかを詮索したいわけではない。ここに居る人たちは皆、何らかの傷や事情を抱えている。奴隷に落ちた日のことを思い出すと今でも全身が震え崩れ落ちてしまう者もいた。最近はひと時でも彼らの日常に平穏が訪れるよう努めようと俺は思っている。今を生きられればそれでいいと思っていることは事実だ。

 ただ、彼の生命の糸がだんだん小さくなっているようで、いつかこと切れてしまうのではないかと心配でたまらなかった。


「わかった。ごめんね、いつもいつも」

「いえ。…あなたは変わっていますね」

「え?」

「人間の貴族はもっと傲慢で、ひどい者だと思っていました。しかしここの皆の顔を見ていれば、そうでないってのがすぐにわかる」


 ルディアが「人間の貴族」と言ったのが少し気になった。薄々気づいていたが、彼は人間の見た目をしているが人間ではないのかもしれない。

 俺はヨルドの言っていたことを思い出していた。

「人間が6割、獣人が3割、そして残り1割がその他の特殊な種族──」

 もしかしたら彼も1割の特殊な種族なのかもしれない。そしてそれを悟られれば命が危険にさらされると考えているのかもしれない。


「その認識は間違ってないと思うよ。人間はおろかだ。だからキミは自分のことだけ考えていたらいい。もしキミのことを話せる日が来たら、その時話してくれたらいい」


 俺はそういうとポンポンと彼の頭に手を添え、皆の元へ戻っていった。


 荒地の開拓はなかなか順調なようで、1年もしたらここでとれたものだけで彼らは生きていけるだろう。農業に従事する者だけではなく商売や運搬を行う者も出てくるかもしれない。人が増えればそれだけ無限の広がりと発展を見せるはずだ。

 俺はワクワクに胸を膨らませながら帰路に就いた。


「後は家のことだ。ヨルドが倒れる前に何とかしないと…」


 そう思いながら帰路を進んでいるとふと視界に見慣れないものがはいってきたのを感じ、目を細めそれを見る。道端に黒い塊が横たわっている。獰猛な野生動物かもしれないと兵士が剣を抜くのを視界の端のほうで確認する。

 日が暮れ始め、あたりが薄暗いためすぐにはそれが何かはわからなかったが、少し近づくとそれが女の子であることがわかった。


「!」


 俺はすぐに駆け寄る。お付きの兵も俺に続いて、走ってくる。


「旦那様、死んでいるんですか?」

「…いえ、息はしているようです。にしてもなんでこんなところに…」


 そんなことを兵士と喋っているとその幼女は息を吹き返したように、ゴホゴホと乾いた咳をした。


「!」

「み…」

「み?」

「水…」


 幼女がそう言ったのを聞くと、すぐに兵士が腰に下げていた皮の水筒を取り出し、幼女の口に水を運んだ。

 ごくごくごく。

 思ったよりもずいぶんと飲みっぷりがいい。


「ぷはー! 死ぬかと思った!!いやいったん死んだ!!!」


 幼女は覚醒したように、目をカッと開くとおっさんのような口調で口早に話だし、俺も兵士も度肝を抜かれてしまった。そして細目で俺の方を見つめると、何かに気づいたように大げさに手を広げる。


「…って、お主、くそ坊ちゃんではないか!!」


 どう見ても彼女は俺の方を向いて言っているようだった。このゲス貴族の見た目に対して「坊ちゃん」と幼女に言われる日が来るとは思わなかった。傍から見たら滑稽なシチュエーションがリアルで起きていた。


「へ…?」


 俺は幼女を前に、マヌケな声を出すことしかできなかった。

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