第16話 鎌倉殿の13人と楠木正成

☆ 楠木正成との接点 ☆


 接点その1は大江時親。13人のひとり大江広元の曾孫で六波羅探題の評定衆。元服前の正成は二里の道程を通ってこの時親に兵法書の教えを請うたと伝わる。正成が単なる土豪ではなく、鎌倉幕府の関係者(北条御内人)だった可能性を匂わせる逸話。('22/03/19)

 ちなみに大江時親の別名は毛利時親。安芸吉田荘の地頭職として現地に赴き子孫を残す。九代後の子孫があの毛利元就。('22/03/19)


 接点その2は三善信連。鎌倉幕府初代問注所執事、三善康信の子孫は建武の新政で雑訴決断所に名を連ね、三善信連は正成の北条残党討伐の際に与力として飯盛山に遣わされる。一族の三善常房は飯尾流書道の始祖で、信長・秀吉の右筆として名を上げた楠木正虎はこの流派を修めた。('22/03/20)


 接点その3は和田朝正。一説に鎌倉幕府初代侍所別当の和田義盛の曾孫とも云われ、出家して龍覚坊。楠木家の菩提寺である観心寺中院の院主で、元服前の正成が学問を学んだと伝わる。('22/03/20)


 接点その4は二階堂貞藤(道蘊)。13人の一人、政所別当、二階堂行政の玄孫で政所執事。楠木正成挙兵の際は千早城攻めに出陣すれど幕府は滅亡。しかし、建武政権より賢才の誉れ高きと処罰されず、正成も勤める雑訴決断所の奉行人となった。('22/04/19)

 しかし、この貞藤、中先代の乱の直前、西園寺公宗の北条家再興(北条時行)の陰謀に加担したとされ、六条河原で処刑される。('22/04/19)


 接点その5は安達泰盛。源頼朝の従者であった安達盛長の曾孫。有力御家人であったが、霜月騒動で北条の内管領、平頼綱に滅ぼされる。このとき安達氏が持っていた観心寺領が北条氏に召し上げられ、代官として送り込まれたのが楠木氏、という説もある。('22/04/19)


 接点その6は三浦義勝。13人の一人、三浦義澄の弟、義久の子孫。この家(大多和)は宝治合戦後も続き、新田義貞の鎌倉攻めでは先陣を務める。だが恩賞に不満を募らせ、北条時行の鎌倉奪還に協力。しかし敗れて捕虜となり、預けられた先が楠木正成。('22/04/19)

 しかし義勝は赦されて領国に帰郷。後年、義勝の子孫は室町幕府に敗れた楠木某を匿ったという話が伝わる。('22/04/19)


 鎌倉殿の13人と楠木正成の接点のご紹介、6人まで行きました。北条の二人は後に残し、あとは梶原景時、比企能員、足立遠元、八田知家、中原親能の5人だけど、接点が見つからないので止まってる。汗('22/04/28)


 鎌倉殿の13人と楠木正成の接点、最後は北条高時。言わずと知れた主人公、北条義時の直系子孫。普恩寺流仲時、政村流時益、阿蘇流治時、赤橋流守時、金沢流貞顕、名越流高家、みんな子孫です。なお大仏流貞直は義時の子孫ではなく、父の北条時政に繋がる子孫。正成との接点は……言うまでもないですね。('22/05/01)

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