第15話

 玄武の一の姫の輿こしれは盛大な大行列だった。

 沿道は行列を見物するために集まった貴族の輿や、拝座で見送る民衆であふれていた。

 玄武の色でもある黒の漆塗りの輿は、五色の飾り彫りで彩られ、屋根の四縁からは金糸の房が垂れている。八人もの従者で持ち上げられ、前後にはお付きの輿が二つと、近従たちが列をなしている。全部で二百人ほどもの大行列だ。

 先頭は馬上の武人だったが、黒を薄めた灰色のほうに五色の弓矢を背に負っている。五色彫りの大刀をき、髪を一つにまとめ縦に長い冠をかぶって威厳を放っていた。その後ろはみな歩いていたが、さらに黒をうすめた武人服に身を包み、同じく弓矢と大刀を身につけている。全体に黒いが五色が混じっているので暗い感じは受けない。

 黒が濃いほど位が高いようで、前後の輿は真ん中の輿より黒を薄めた灰色だ。

 行列は黒と灰色の濃淡を作り、従者すらもその調和の一つになっている。

 それはまるで絵巻物を見るような行列だった。

 黒水晶の宮から真っ直ぐ延びた大通りは、皇帝の治める麒麟の都につながり、そのまま碁盤の目のようになった街並みの中心を突っ切って王宮に向かっている。

 麒麟の都に住む民たちは、大歓声を上げて玄武の姫の輿を見送っていた。

 董胡は輿に揺られながら、不思議な思いでごしに見える光景を見下ろす。

 小さな輿の中は黒の表着を五色の熨斗のしがらで彩った見事な衣装が広がっていた。

 きつこう模様の金糸しゆうはくいつつぎぬの重ねが、真っ赤な帯垂れと共に幾重もの流線を描いて輿の中を埋め尽くし、身動きもとれない。

 手には上半身を覆ってしまうほどの大きな飾り扇を持たされ、式典用に高く結った髪を飾る金細工のほうけいからは、黒水晶の玉飾りが両脇に長く垂れてずっしりと重かった。

 昨日までは王宮に入ったら一の后の立場を使って楊庵と卜殷の安全を確保し、すぐに逃げ出そうなどと考えていたが、この大衆の歓迎を見るにつけ、皇帝の后という責任の重さを感じてしまう。即席の后なれど、この大衆を裏切ってしまう後ろめたさがある。

(逃げるなら輿入れ前の今しかない?)

 そんな心の声が聞こえてくる。だが、それも現実的ではない。

 今、董胡が輿から飛び出て逃げ出したなら、楊庵は捕らえられ、卜殷先生には追っ手が放たれ、茶民や壇々や董胡付きとなった女孺たちも面目を失いどうなるか分からない。

 身分があるということの重みを、董胡は歓迎する大衆を見てひしひしと実感していた。


 朝早く出発した輿は、昼前に王宮の南にある殿てんじよう広場に辿たどり着いた。

 玄武、青龍、白虎、朱雀の四つの領地から輿に乗ってきた一の姫たちは、朱雀の領地に向いた殿上広場で重臣や民衆の見守る中、皇帝即位と立后の式典に出席する。

 朱雀は芸術の都ゆえ、式典を彩る踊りや芸能に優れた者が多い。最も栄えているのは遊郭街だとも言われているが、国を挙げての大きな式典を担うのは朱雀の役人たちだった。

 姫の乗った輿は、中央の長い大階段をのぼり、雲に届きそうな壇上のくらに四つ並べられた。大階段の両脇には正装の重臣や官吏たちが階段下までずらりと並んでいる。

 玄武公を始めとした四公も、大階段の最上段に左右に分かれて並んでいる。

 董胡が御簾に顔を貼り付け下をのぞき込むと、かすみがかかりそうな山の上から見下ろすように豆粒のような大勢の人々が見えた。大階段の下は民衆が集まる広場になっていて、一目皇帝陛下の即位式を見ようと大勢の人々が集まっているらしい。

 蟻のように見える人々は広場からはみ出して、碁盤の目に広がる街並みの通りまで埋め尽くしている。

(すごい……)

 董胡はその光景を目の当たりにして息をのんだ。

 平民育ちの董胡が想像していた輿入れの規模と違い過ぎた。

 すべてが壮大すぎて、大げさすぎて頭がついていかない。

(大変なところに来てしまった)

 あちこちに居並ぶ黄軍の兵士の数を考えてみても、董胡ごときが簡単に逃げ出せるようなところではなかった。


 やがてドーンという大きな太鼓の音が響き、わあああという歓声が響き渡る。

 どうやら姫たちの輿が並ぶ中央の一段高いたかくらに皇帝陛下の輿が到着したらしい。

(いよいよ皇帝陛下のお姿が拝見できる……)

 平民だった頃は生涯の中でかいることさえあり得ないと思っていた方だ。

 うつけなどという噂があったとしても、董胡にとっては雲の上の皇帝様だった。

(どんなお方だろう……)

 今日から夫になる人という実感はない。大衆の一人としての野次馬的な興味だ。

「第十七代、伍尭國皇帝陛下のおなりでございます」

 じんいんの神官が告げると、一斉に階段に並ぶ貴族たちと広場の民衆が地面にかたひざをつき、拝座の姿勢でこうべを垂れた。

 するすると皇帝の御簾が巻き上げられ、尊いお姿を現したようだが、神官以外は顔を伏せているため、見ることは出来ない。こっそり垣間見たとしても大衆からは豆粒ぐらいの大きさで顔の造作までは分からない。そして隣に輿を並べた董胡たち后にも姿は見えなかった。

(うそ……。見えない。どのようなお顔をなさっているのだろう……)

 董胡は少しでも見えないものかと御簾の隙間から覗いてみたが、高御座の前を行き交ういろの袍を着た神官の姿しか見えなかった。

 神器の承継と金銀の玉の下がったべんかんたいかん、それから代々の皇帝に伝わるぞうしやくぎよくの承継。

 神官の口上と共に儀式は粛々と行われているようだ。

 帝自身は声を出すこともなく動く物音すら聞こえない。

 やがて即位の儀式が終わり、后のお披露目にうつる。

「皇帝陛下の即位に際しまして、四公より一の姫様がお輿入れされます」

 今度はするすると四姫の輿の御簾が巻き上がる。

 董胡は慌てて脇に置いていた飾り扇を手に持ち、顔を隠した。

 民衆はまだ拝座のままの姿勢のはずだが、おおっというどよめきが起こる。

 もちろん豆粒ほどの大きさなのは皇帝と変わらないはずだが、きらびやかな扇の装飾と輿いっぱいに広がる着物の華やかさは遠くからでもきらめいて見えたのだろう。

 董胡の広げ持つ扇には亀甲はなびしの文様が五色で彩られ、じやくの羽根で縁取られている。扇で隠しきれない着物は黒と紫が基本色だが、華やかなにしきの織襟と帔帛が幾重にも垂れて衣装を飾っているため、ため息がでるほど美しいうねりを見せているはずだ。

 四人の姫には皇帝から黄玉の冠と緋色のたすきえりが贈呈される。

 神官が帝から受け取り、それぞれの姫の前にささげ置く。

 これにより董胡は玄武の一の姫として皇帝の妻となった。

 堅苦しい儀式はここまでで、皇帝と后の御簾は胸元まで下ろされ、祝い酒とぜんが運ばれてくる。

 そして階段途中の踊り場の数か所に据えられた舞台で舞踊と雅楽が始まった。

 華やかな踊り子たちが舞台の上でくるくると舞い、りゆうてきしようの音色が混じり合う。

 鬼面の男が剣舞を踊り、鼓打ちが合いの手をいれて盛り上げる。

 董胡には見るものも聞くものも初めてのものばかりで、夢のように時間が過ぎた。


「これより新たな皇帝陛下の先読みの御力を万民にお示しいただきます」

 一段落ついたところで神官が告げた。

「先読みの御力?」

 董胡の側にはいつの間にか茶民と壇々が控えていたので小声で尋ねた。

「麒麟のお力をお示しになるのでございますわ。慣例の儀式でございます!」

「代々の皇帝陛下は、民衆に見事に先読みの御力をお示しになったとか……」

 階段の中間あたりにある踊り場に弓矢の的が据え付けられる。全部で五つの的がこちらに向いていた。それぞれ一から五まで数字が大きく書かれている。

 そしてみかどの前に大きな飾り弓を背負った正装の男が進み出る。

 どうやら帝の前の壇上から、階段下の踊り場に向かって弓を放つらしい。

「一から五までのどの的に当たるのか予言するのでございます」

 茶民が小声で教えてくれる。

「どの的にも当たらなかったらどうするの?」

「それも何代か前の皇帝陛下は当てたそうでございますわ。天のお力でございますもの」

「帝は神様より天術を授かっておいでですから、外れることはございませんのよ」

 茶民も壇々も自信たっぷりに言う。

 董胡も素直に二人の言葉を信じた。うつけの噂があったとしても、麒麟の血筋には違いない。即位の場でこうして大衆に麒麟の力を示して民の信頼を得れば、多少の悪い噂もふつしよくされるだろうと思った。

 やがて皇帝が先読みで視えた的の数字を紙に書き、神官が受け取る。

 そして大衆が見守る中、正装の弓師が大きく弓を引いた。

 ドンッという大きな音がして、弓は二の的のど真ん中に突き刺さった。

 大衆がシンと見つめる中、神官が皇帝の書いた紙を広げて掲げ見せる。

 本来なら「おお~っ!」という歓声が上がるはずが、ざわざわと貴族たちが顔を見合わせているのが見えた。

「どうしたの? 何と書いてあったの?」

 董胡からは紙の文字がよく見えず、首を伸ばして覗き見ている壇々に尋ねた。

「ま、まあ……。なんということでしょう……。四と書いてありますわ」

「なんて不吉な……。外れるなんて聞いたことがありませんわ!」

 どうやら帝は先読みを外したらしい。

 ざわつく中で慣例の通り、続けて三度の先読みが行われた。

 されど三回とも帝は先読みを外してしまった。

「恐ろしや。やはり帝がうつけ者だという噂は本当なのでは……」

「しっ! 壇々、声が大きいったら。聞こえたらどうするのよ」

 茶民と壇々が動揺しているが、他の后たちも同じように驚いたらしく、侍女達とこそこそ言い合っているようだ。

 階段の横に居並ぶ貴族たちも気まずそうに顔を見合わせ、広場に集まる民衆も騒然としていた。こんなことは初めてらしい。

しつけながら、やはり麒麟のお力がどんどん薄れているというのは本当ですのね」

「神のご加護がなくなるということなの? 伍尭國はどうなるのかしら……」

 神の加護があってこその皇帝であり、麒麟だった。

 それをこの即位の場で示せなかった皇帝の先行きは不安しかない。

(どうやら本当にうつけ者の帝らしい)

 后として添い遂げる気などはなからない董胡にとっては、うつけであったところで絶望するわけではない。むしろ妙な能力を持つ切れ者の帝より、うつけぐらいの方が隙が出来て逃げ出すには容易かもしれない。でも……。

 董胡は何か大きな不幸の渦に飲まれていくような不安を、漠然と感じていた。

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