第11話


 みんな扇で顔を隠しているが、その装いは一の姫であるはずの董胡より豪華だ。

 特に真ん中で守られている姫君は、扇の上にかいえるほうけい(冠)も見事な細工でできていて、金銀の玉が垂れ下がり、大きな黒水晶がめ込まれている。

「部屋の外で前触れを受ける侍女もいらっしゃらないのかしら? 情けないこと」

「御簾の中に侍女をお招きになっておしゃべりだなんて、はしたない」

「やはり平民としてお育ちになった方が姫君のまねごとなど、すぐにが出ておしまいになりますわね。ふふふ」

 女達は扇の中でくすくすと笑い合った。

「華蘭様と侍女三人衆ですわ」

 青ざめた様子の茶民が小声で董胡にささやいた。その声が聞こえたのかどうか……。

「茶民! 壇々! 御簾から出なさい! 華蘭様より高い位置にいるとは、なんたる無礼! 罰を受けたいか!」

 威圧的な声が響いて、茶民と壇々は「はいっ!」と叫んで御簾から飛び出た。

 御簾の中は一段高いあつだたみになっているので、必然的に高座になってしまった。

 二人の侍女は鼓濤付きの自分たちの方が今は位が高いのどうのと言っていたが、いざ本人たちを目の前にすると、仕返しどころか完全服従してしまっている。

 御簾の外では扇を持つのが上級侍女のしきたりだが、二人とも慌てすぎて御簾の中に扇を忘れている。厚畳の両脇にうつむいたまま身を小さくして座っていた。

 董胡は一応、玄武公いわく一の姫だから高座にいていいらしい。

 全然敬われてなどいないだろうが、地位は華蘭より確かに高いようだ。

「何用でございましょうか?」

 御簾の中だが扇で顔をかくして尋ねた。外には見えないと思うが角髪みずら姿のままだった。そばに脱ぎ捨ててあったおもても慌てて肩に羽織ってごまかす。

「まずは座る許可をいただけますか、鼓濤様。立ち話など、ねえ……」

 侍女三人はくすくすと笑っている。身分が上の者が許可せねば座れないのだった。あれこれ教わったしきたりの中にあったのを思い出した。

 勝手に座るよりも、馬鹿にしたようなくすくす笑いの方がずっと無礼だと思うのだが、どちらにせよ本気で敬う気などないのだろう。

「皆様、お座りください」

 董胡が言うと、華蘭が三人の侍女に着物のすそを広げてもらいながら優雅に座して頭を下げた。

たびは皇帝陛下の一のきさきの下命、おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます」

 さすがに生粋の姫君だと思わせる重みのある声音と堂々とした所作だ。

 見事なあいさつだが、どこか底冷えのする響きがある。かんぺきであればあるほど人形のような冷たさを感じた。およそ董胡が出会ったことのない人種だと警戒を深める。

「ありがとうございます」

 なるべく余計なことは言うまいと、当たり障りのない言葉だけを返した。

「つきましては、お姉さまにお祝いの品をいくつか持って参りましたの」

「お祝いの品?」

 侍女たちが扇の中でくすくすと笑っている。

「お噂によると、ずいぶん下層のお暮らしをなさっていたとか。わたくしなどは恐ろしくて想像もできませんけれど……」

 侍女たちの笑い声が大きくなる。嫌な人達だ。

「父上が輿こしれの準備をして下さるとはいえ、にわかに集めた物では足りないことでございましょう? ですのでわたくしの使い古した物ですけど、着物やかんざしなどをお持ちしましたの。使ってくださいませ」

「…………」

 董胡としては、人の使い古した物だからといって気にしないが、侍女たちがくすくす笑っていることから、それが姫君を侮辱する行いなのだろうと分かった。

「次のみかどは父上のお話ではずいぶん個性的なお方だとか。お姉さまのように珍しい生い立ちの姫君の方が気に入られるかもしれませんわね。玄武の繁栄のためにも、陛下のごちようあいを受けて下さいませね。期待しておりますわ」

 どうやら華蘭も新しい帝には会ったことがないようだ。個性的とは、つまりうつけ者と言いたいのだろう。自分の身代わりにされた董胡をわらいにきたのだろうか。

「お心遣い、感謝致します」

 だが妙だとも思った。どれほどうつけ者の帝であっても、茶民たちの言うように董胡の身分が上になることは明らかだ。現にこうして董胡の方が高い場所に座っている。

 この気位の高い姫君たちが、そんな屈辱を素直に受け入れられるのだろうか。

「お姉さまに一つおびをしなければなりませんの」

「お詫び?」

「ええ。帝に嫁がれるにあたって、お父様から誰かよい侍女を推挙してくれと言われまして。でも平民暮らしのお姉さまになじめる者など私の周りには思い当らず……ふふ、ねえ」

 華蘭は侍女三人に笑いをこらえるようにして話を振った。

「ええ。仕方なく私どもが平民相手でもお話が合いそうな茶民と壇々の名を挙げたのですわ」

「でも他の者はみな汚らわしいと嫌がって二人しか見つかりませんでしたの」

「侍女頭が務まるような上流貴族を決めなければなりませんのに、みな頼むから華蘭様のお側に置いてくださいと懇願なさって、いまだに決まりませんのよ」

 嫌なことを言う。両脇の茶民と壇々はそうはくな顔でうつむいていた。

 大出世だと喜んでいたのに、さぞ傷ついていることだろう。こんなことをわざわざ言いに来る必要があるのだろうか?

 董胡は腹が立った。こういう時、余計な正義感を発揮してしまうのが董胡の長所でもあり短所でもあった。

「ご心配には及びません。茶民と壇々はとてもよく働いてくれています。二人で充分です」

 きっぱりと言う董胡に、茶民と壇々が驚いたように顔を上げた。

「それに帝の一の后となる私の侍女です。皆様にも言葉を謹んでいただきましょう」

「!!」

 華蘭と侍女三人衆は、驚いたように扇の向こうで顔を見合わせた。

 まさか、平民ごときに反撃されるとは思っていなかったのだろう。

「ま、まあ、驚きましたわね、華蘭様」

「平民育ちというのは常識がないゆえに怖いもの知らずですこと」

「おやかた様にも平気で口答えなさっていましたものね。あの時は肝が冷えましたわ」

 董胡の周りで一番偉い人といえば麒麟寮の寮官様ぐらいだ。絶対的な権力というものを、良くも悪くも知らなかった。その無鉄砲さは、貴族の世界では危険だ。

 ふいに董胡の前の御簾がゆらりと揺れた。そしてひゅんっと右頰を何かがかすめた。

「いっっ!」

 右頰に痛みが走り、手で押さえると薄く切れて血がにじみ出ていた。

(なに?)

 何が起こったのか分からない。鋭い風のようなものが董胡の右頰をかすめたのだ。

 はっと見ると、華蘭が御簾の向こうで扇を下げて恐ろしい目でこちらをにらみつけていた。御簾越しなのに、不思議なほどはっきりとその視線を感じた。

(まさか……。今のは華蘭様が?)

 だが、董胡以外は誰もなにも気付いていないらしい。

 華蘭はにやりと真っ赤な唇で微笑んで告げる。

「ほんに父上様がおっしゃった通り、ふてぶてしいところまで亡き濤麗様にそっくりですこと。ふたごころあるところまで似ていなければよいのですけど」

「二心?」

「あら、まだ聞いていらっしゃらなかったかしら? お姉さまが幼き頃にさらわれたなんていうのは表向きの話でございますわ。真相はもっと下世話でおぞましい事件です」

「おぞましい?」

 聞き返す董胡に、華蘭は赤い唇をさらにうれしそうにゆがめた。

「濤麗様は、この宮に仕えていた者と駆け落ちしたのでございます。お相手は共に消えた貴族の殿方だとばかり思って捜索していたようですが、まさか、診療所で働く下級医師と逃げていたなんて」

「ほんにみっともない。玄武の恥でございますわね」

「話すだけでも口が汚れるような気がしますわ」

「鼓濤様にしても、本当にお館様のお子であるかどうかも怪しいものですわ」

「まあ! いくらなんでも鼓濤様に失礼でございますわよ。ふふふ」

 侍女三人衆もおかしそうにくすくすと笑い声をあげる。

「まさか……」

 母と卜殷先生が恋仲だったということなのだろうか?

「あら、少しおしゃべりが過ぎましたわね。ではこれにて失礼致します。くれぐれも濤麗様のごとき二心を持って帝をお裏切りになることなどございませんよう。お姉さま、どうか身の程知らずのはかない栄華を存分にお楽しみくださいませ。ふふふ」

 嫌な捨て台詞ぜりふを残して、くすくす笑いながら去っていった。

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