月下の紫龍

赤木フランカ(旧・赤木律夫)

壱・リリと華瑠

 本棚の影と夕日が作った縞模様の上を歩き、リリは友だちの姿を探す。図書室の中央、本棚に入りきらない本が山にして積まれた机のところに、黒髪の少女が座っているのを見つける。


華瑠ハル……?」


 リリは少し躊躇いがちに声をかける。声に気付いた華瑠が振り返り、紫色の瞳がリリの方を向いた。


「あぁ、リリ……」

「何読んでたの?」


 肩越しに覗き込むと、華瑠の前にはトカゲのような生き物の挿絵が書かれた本が広げられていた。ページの上の方には「蘭泰湖らんたいこ紫龍しりゅう」というタイトルが記されている。


「紫龍?」


 リリが尋ねると、華瑠は「この街に伝わる伝説だよ」と答える。


「昔、この蘭泰の街は大きな湖で、そこには紫色のタテガミを生やした龍が住んでいたんだって。でも、ある時龍は姿を消してしまって、主のいなくなった湖はどんどん北の方へ移動していったの」

「へぇ……でも、そんなのただのおとぎ話でしょ?」

「いや、そうとも言えないらしいよ。地質調査によれば、実際にこの街は二千年くらい前までは湖だったみたい。紫龍の伝説は、そういった歴史を反映しているんだって……」


 そう語る華瑠の横顔は、わずかに物憂げな雰囲気を纏い、どこか遠くを見ているようだった。

 遠くで時計塔の鐘が鳴る。リリ「ほら、鐘が鳴っちゃったよ。もう帰らなきゃ……」と華瑠を促す。


「え……もうそんな時間?」

「華瑠ったら……本を読み始めると時間なんて忘れちゃうんだから……ほら、早くして」


 華瑠は頷くと、本を閉じて立ち上がる。スッとしなやかな肢体が伸び、黒髪が揺れる。その時、蓮の花に似た香りを含んだ風が、リリの顔をかすめていった。


 華瑠が本棚に本を戻すと、リリは彼女と一緒に図書館を出た。


「今日は家でご飯食べていく?」


 家に向かって歩きながら、リリは隣の華瑠に尋ねる。二人分のローファーが石畳を叩き、コツコツという心地よい音を鳴らす。


 華瑠は「ごめん、ちょっと今日は予定が入ってるから」と言って顔を曇らせた。


 リリと華瑠は小学校の頃からの友だちだった。学校へ行くときも、学校から帰るときも一緒。二人は週に二回から三回ほど一緒に夕ご飯を食べるし、リリの家に華瑠が泊まることもあった。


「家の用事?」

「う、うん……そうだよ」


 長い付き合いなのに、何故かリリは華瑠の家族について詳しくは知らなかった。会った事もなければ、彼等がどんな仕事をしているのかも話してもらったことがない。リリが華瑠の家に招かれたことも、一度としてなかった。


「前から気になってたんだけどさ、華瑠の家族ってどんな人たちなの?」


 別に今聴く必要のないことではあったが、気になったリリは尋ねてみる。華瑠は「別に、普通だよ」と気のない声を返す。


「普通って……もう少し詳しく教えてよ? 兄弟姉妹はいるの? お母さんやお父さんはどんな仕事をしているの?」


 質問を重ねながら、リリは肩を寄せる。華瑠はバツが悪そうに目を逸らす。


「きょ、兄弟はたくさんいるよ。お兄ちゃんが二人、弟と妹が一人ずつ……私は五人兄妹の真ん中。両親は農家で、毎日畑仕事してるよ……」

「へぇー! ねぇ、今度華瑠の家に行っていい?」

「ダメだよ……お父さん忙しいから、邪魔したら怒られる……」


 華瑠はリリの肩に手を置き、鬱陶しそうに押しやる。


「邪魔しないからさ、ねぇ、良いでしょう?」


 リリがそう食い下がると、華瑠は「ダメだって!」と少し声を荒らげる。彼女の眉間にはしわが刻まれ、拒絶の色が顔に浮かんでいた。


「は、華瑠……?」


 初めて聴く友だちの怒りを含んだ声に、リリは石のように硬直する。その様子に気付いたのか、華瑠はすぐに「ごめん」と謝る。


「いや、こっちこそゴメンね……嫌がってるのに、しつこく絡んだりして……」


 いつの間にか、二人はそれぞれの家へと道が別れるところに来ていた。


「明日は夕ご飯、一緒に食べられる?」


 別れ際、リリは華瑠にそう尋ねた。華瑠はゆっくりと頷く。


「うん、明日なら大丈夫……じゃあね……」


 手を振り、華瑠は彼女の家の方へ歩き出す。その華奢な背中を、リリも手を振って見送った。

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