第7話 奇跡の人

 魔族の前線基地は、周囲を高い塀に囲まれており、門番はサレオスの姿を見ると大声で合図をし、大きな門を開けた。

 門をくぐると、正面に巨大な要塞が聳え立っていた。

 門から要塞入口にたどり着くまでのアプローチには狼のような複数の魔物が防犯用に放し飼いにされていた。

 サレオスに抱き上げられていたから良かったものの、普通に歩いていたらきっとあの魔物に食い殺されていたに違いない。


 基地の入口で警備していた魔族たちはサレオスが戻ってきたとわかると、歓声を上げて彼の帰還を喜んだ。中には泣いている魔族もいた。

 この人に人望があることがよくわかる。

 サレオスは彼らに、自分が帰還したことを報告せよと命じた。


 基地の中に入ると、通路の壁には壁掛けランプのような明りがたくさん灯っていて、とても明るかった。

 黒っぽく見えたサレオスの髪が実は青みがかっていたことがわかった。


「これから謁見の間へ行く。今この基地には魔王様がいらしていて、ちょうど戦の総括をしているところらしい」

「えっ!?魔王?」


(魔王?

 だって、魔王は100年前に勇者に倒されたって…)

 

「魔王って…復活してたの?」

「そうだ。つい先日な」


(知らなかった…。

 いや、…待って。どう考えても、ただの人間が魔王の前に出て無事で済むとは思えないんですけど!)


「どうした?緊張しているのか?」

「え、ええ…」

「心配するな。人間だからといって、すぐに殺すような真似はせん。何かあっても私が守る」


 サレオスはきっぱりそう云った。

 見るからに怖そうな魔族だけど、この人は信用しても良さそうだ。

 将軍クラスの魔族となると、その言葉も重く感じる。

 周囲の魔族たちの目が怖くて、私はローブのフードを深く被って顔を隠した。


 通路を奥へ進むと、ひときわ大きな扉があった。

 屈強そうな魔族が両脇に立って扉を護っている。

 サレオスが彼らに合図をする。

 どうやらこの向こうが謁見の間らしい。


 扉が開かれると、ゲームで見たことのあるような空間がそこに広がっていた。

 入口から玉座まで一直線にレッドカーペットが敷かれてる。

 真ん中のカーペットを挟んで、両脇には魔族たちが片膝をついて並んでいる。

 そして、正面の玉座には魔王が…


(…あれが魔王?)


 その姿は予想していたラスボスの魔王っぽいのじゃなくて、10歳くらいの人間の男の子に見えた。

 黒髪に珍しい金色の目をした絶世の美少年が、大きすぎる玉座にちょこんと座っていた。


 サレオスとアンフィスの後について、玉座の前まで進み出た私は、玉座の少年に釘付けになった。

 サレオスたちは片膝をついて、頭を垂れた。

 私も慌てて被っていたフードを後ろに払い、彼らに倣った。


「よくぞ戻ったな、サレオス。部下たちからおまえは死んだと聞いていたが、無事だったか」


 よく通る声で少年魔王が話した。


「弟のアンフィスが私を探しに来てくれました。その時、私の命は尽きようとしていましたが、こちらの方に救っていただいたのです」


 サレオスが私を手で示した。

 …できれば目立たせないで欲しい、と心から願った。


「救った、とはどういう意味だ?」

「信じてはいただけないかと思いますが、この者は回復魔法で私を救ってくれたのです」

「…回復魔法だと?何を言っているのだおまえは」

「本当です、兄は嘘は言っていません!」


 アンフィスは兄を擁護した。


「私はこの目で見ました!この女が兄を回復するところを」


 魔王は、じろり、と私を見た。

 周囲に居並ぶ魔族たちもざわつき始めた。

 皆、信じていないようだった。


(あわわわ。どうしよう。

 なんかすっごい睨まれてる…)


 魔王はふいに玉座から降りて、私の前まで歩いてきた。

 近くで見ると綺麗な顔立ちをしているのがわかった。

 鼻筋がすーっと通っていて、睫毛も長くて、肌は人形のように青白い。

 元の世界なら小学4、5年生くらいだろうか。


「この人間の女が、回復魔法をおまえにかけたというのか」


 やっぱり人間だとバレていた。


「はい。致命傷だった傷を一瞬で治し、更に魔力まで回復してくれました」


 謁見の間にいた他の魔族たちが更にざわついた。


「うーむ、にわかには信じられん。いまだかつて、そのような者の話はきいたことがない。だが確かにおまえの体は無傷のようだな。部下たちの話では、人間の剣士に腹を貫かれたと聞いたが」

「はい。確かに腹に穴が開いておりましたが、それを塞いでくれました」

「ふ~む」


 サレオスの話を聞くと、少年魔王はおもむろに私の腕を掴んだ。


「本当かどうか試してやる。こっちへ来い」

「は?ちょっ、えっと…」

「いいからついて来い」


 そう云って、魔王は謁見の間から無理矢理私を連れ出した。

 後ろからサレオスや魔王の側近たちもぞろぞろとついてくる。


 私が連れて行かれたのは、基地の1階から長い螺旋階段を降りた地下だった。

 薄暗い地下の大きな広間に、大勢の魔族が寝かされていた。

 広間中にうめき声がこだまする。

 すえた血の臭いが鼻を突いた。


「何、ここ…」

「遺体安置所だ」

「い、遺体!?」

「まあ、まだ生きている者がほとんどだが、時間の問題だ。ここにいる連中は皆、先の戦いで重傷を負った者たちだ。ポーションも効かぬほどの状態の者が多く、もはやここで死を待つばかりだ。どうだ、おまえにこの者たちを救うことができるか?」


 そこに寝かされている魔族たちは、石の床に茣蓙ござのようなものを敷いた上にただ寝かされているだけだった。

 広間を埋め尽くすほど、隙間なく寝かされている魔族の負傷者たちは、何の手当もされておらず、流れた血は黒くこびりついていた。

 皆、痛みのためにひどくうめき声をあげている。

 放っておけば彼らはこのままここで、死んでいくのだろう。


(これが戦争の代償…)


 魔族の回復手段はポーションしかないと云っていたが、この人数ではポーションがあったところで全員にいきわたらないだろう。魔族のポーションがどの程度効くのかはわからないけど、治りきらない者もいるに違いない。


 ポーションは飲んだり、外傷の場合は患部に直接かけたりして使うものだが、全身に怪我をしている場合は1本では到底足りない。しかも、一時的にポーションの耐性がついてしまうためか、連続での使用ができないというのが致命的だ。

 この人たちを私に治せるだろうか。


「どうした?できないのなら、我に嘘をついた罪人としてこの場で処刑するぞ」


 魔王は私を脅した。

 できるかどうかじゃない。

 やってみるしかない。

 さっきの回復がまぐれでないなら、この人たちを助けられるかもしれないんだ。

 怪我に苦しんでいる人に、人間も魔族もない。

 放っておけば彼らは死ぬ。私だけが彼らを助けられるとしたら、やらないという選択肢はない。

 もし、失敗したら、殺される前に看護師としてできるかぎりの手当はさせてもらえるよう交渉してみよう。


「やります」


 私は入口近くに寝かされていた魔族の側に座り、怪我の様子を診た。

 全身火傷で皮膚が赤黒くただれている。


(火傷か…苦手な治療なんだよね。

 前回もいくらやっても治せなかったし。

 大丈夫かな、私…。

 ううん、ダメ元でもやってみるしかない)


「回復」


 私が手をかざすと、自分の手からうっすらと光の粒子が放射されるのが見えた気がした。

 光の粒子はその魔族の全身を包んだ。

 すると火傷によるただれと裂傷の痕が消え、全快した。


「…やった…!できた!」


「おお!」


 後ろで見ていた魔族から歓声が上がった。


「…すごい。本当に癒したのか…!?」


 魔王の呟きが聞こえた。

 構わず、私は次々と魔族たちを癒していった。

 中には腕や足を失っている者もいた。

 さすがにこれは元通りにするのは難しいかなと思ったけど、頭の中で欠損部の再生をイメージをすると、なんと元通りに復元することができた。

 これには我ながら驚いた。


「信じられん…」


 それ以上に周囲は驚いていた。


「お、俺は夢を見ているのか?手足が元に戻ったぞ」

「人間の回復魔法だって、こんな奇跡は起こせないはずだ」

「一体、何が起こっている?」


 10人くらい癒したところで、残りの人数を見た。薄暗くて正確な人数はわからないけど、途方もない人数だ。ひとりずつやってたら何日かかるかわからないし、その間に死んじゃう人もいるかもしれない。

 なんとか一度に回復できないものだろうか…。


「そうだ、範囲回復…」


 ホリーが云っていた範囲回復魔法。

 私は立ち上がって、その場を見回した。

 確か、複数の対象者を視認しながら、回復魔法をかけるのだとホリーは云っていた。

 私は広間全体を見渡せる場所を探して、螺旋階段を登った。


「おい、どこへ行く?」


 魔王が呼び止めた。


「黙って見てて」


 私が強めに云うと、彼は面食らった顔をしていた。

 目の前のことに必死で、魔王にタメ口きいていたことなんか気にもしていなかった。


「よし、ここなら全員が見下ろせるわ」


(やれるかな…?

 落ちこぼれ回復士の私に、SS級回復士と同じことができるのかな…?

 ええい、やってみるしかない!)


 広間に横たわる魔族たち全員を視界に入れられる場所にたどり着いた私は、そこで両手を広げた。

 

「この部屋にいる怪我人、完全回復する!」


 私はダメ元で声に出して叫んだ。

 次の瞬間、私の広げた両手から柔らかい光が広間中に降り注いだ。


「おお…!」

「なんという暖かな光だ…」


 その光景を見ていた魔族たちは、その場に崩れ落ちるように膝をついた。

 光が収まると、そこに寝かされていた魔族たちが、むくり、むくりと次々に起き上がってきた。


「あれ…、生きてる?」

「痛みが消えている…」

「うおおお!傷が消えた!」

「俺の腕が、腕がある!!」

「足が元に戻ったぁ!」


 皆、傷が治った、回復したと喜んでいる。


「あは…大成功…」


 それは私自身にも信じられない光景だった。

 まさか本当に治せるなんて、正直ビックリしてる。

 あのホリーもビックリのSS級広範囲回復魔法に成功してしまったのだ。


 奇跡はそれだけではなかった。

 たまたまその場に居合わせた魔族の中には、実は戦いで軽傷を負っていた者も多くいて、その怪我さえも治っていたと騒ぎ出したのだ。


 広間は、「奇跡だ」と大騒ぎになった。

 だが一部の魔族からは、疑問も上がった。


「そんなはずはない。魔族を癒せる魔法などありえん。ポーションを使ったのではないのか?」

「いや、ポーションでは傷は治せても、失った腕や足は戻らないぞ」

「では、今のは一体なんだ?誰か説明できるのか?」


 辺りは騒然となった。


「あの方が治してくださったんだ!」


 最初に回復された魔族が、私の姿を見つけて叫んだ。

 すると、その周囲にいた魔族たち全員が、ウェーブのように階段の上にいる私に向かって平伏し始めた。


「奇跡だ!」

「神様のなせる業だ!」

「いいや、あれは女神様だ!」


 そんなことを口々に叫ぶ。

 広間中が歓喜に沸いていた。

 遠巻きに見ていた魔王とその部下たちは口を開けたまま、ただただボーゼンとしていた。

 サレオスの弟アンフィスだけが、「どうだ」とばかりにドヤ顔になっていた。


「ふう…」


 無事全員を回復できて安心したせいか、私は少しふらついた。


「大丈夫ですか?」


 私の体を力強く支えてくれたのは、サレオスだった。


「サレオス…さん」

「本当にありがとう。あなたには感謝してもしきれない」


 こっちの世界へきてから初めて納得できる仕事をした気がする。


「いいえ、そんな…」


 そう返事をした途端、盛大にお腹が「グゥーッ」と鳴った。

 ホッとして、忘れていた空腹感が蘇ってきた。


「おなか…すいた…倒れそう」


 ハハハッ、と笑い声を上げたのは魔王だった。


「サレオス、食事の用意をしてやれ。我らの恩人に、最大の感謝を込めて、な」

「はっ」


 サレオスは返事をして、私に微笑みかけた。


「あなたは今から魔王様の客人です。我々はあなたを歓迎しますよ」


 その言葉に安心して、私は気を失ってしまった。

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