第20話 シュブ=ニグラス

 巨大な桜のように見える樹がソフィアというハイエルフとの間を隔てている。木の枝は軟体動物の触手のようにウネウネと蠢き。その枝には無数の小さな……目が。


(……よりによって桜の花と似た、可憐な花を咲かせるとはね……っ。バケモノならバケモノらしく、禍々しい色の花を咲かせていればいいものを……!)


「ふふ。綺麗でしょ。ですが、これはシュブ=ニグラスのあくまで一部。ここまで育てるのは本当に大変だったのですよ。多くの協力者のおかげでここまで成長しました。自分で自分を褒めてあげたい気持ちですよ。まずはアルヴの里から去った、この里の背信者を生贄に捧げ、次はそうですね。エル・ファミルのゴミどもをエサとして使うのも良さそうですね」


 そう言い、一人で納得したかのように手をポンと叩く。


「それにしても桜の樹の下には死体が埋まっているなんて話がありますけど、あながち間違っていなかったのかもしれないですね。だって、これだけ綺麗な花を咲かせるのだから」


(……くっ。この瘴気……この樹が大元。精神をおかす甘い蜜の匂い……)


「シュブ=ニグラスもそろそろ親離れする時期だと思うの。過保護かなとも思ったのだけど、お嫁さんを探してあげるのも私の仕事かしら。あら、あなた良い母親になれそうですね」


 異形のしなる蔦を、寸前のところで回避。礼拝堂の赤い壁が爆ぜ飛ぶ。一時後退。私は教会の扉を蹴破り、外へ出る。


「隠れんぼかしら? でも逃げても無駄。既に、シュブ=ニグラスの根はエルフの里の地中全てを覆っているわ。どこに逃げても同じことよ」


 まるで霧のように濃い花粉。目は霞んで視界が悪い。瘴気でまともに呼吸すらできない。


「リュー。状況分析お願い」

『あれがシュブ=ニグラスなら例え分体だとして、勝ち目はゼロ』


「……勝ち目ゼロ。言ってくれるわね」

『事実だ。だが、安心しろ。そのバケモンを倒す必要はネェ』


 リューはそれ以上語らなかった。私は言葉の意味を理解し、即座に行動に移る。


「マジックミサイルから、三手で仕留める。リュー、サポートお願い」

『了解ッ、任されたァ!』


「まず一手目、火矢サジタ 必中ケルタ 射出ラディウス 【マジックミサイル】」


 空中に無数の魔法陣が展開。炎の矢が放たれ、シュブ=ニグラスに直撃、爆発。だが、シュブ=ニグラスに傷を負わせるには至らず。


(元よりあの程度の魔法でダメージを与えられるとは思っていないわ。爆発であの厄介な花粉を散らすため。それが、果たせただけで十分よ)


「あらあら。植物だから火が有効とでも思ったのかしら? 冥土の土産に教えてあげるわ。一般的な生木の含水率は八割。そして私のシュブ=ニグラスはそれ以上。火矢の魔法なんて、焼け石に水。あなたの努力は無価値。無意味。無益。でも、フフ……。勉強になりましたね」


『ペラペラとまァ。コイツ、戦いに関しては素人だッ』

「まったくね。弱点をペラペラ語るとは、まさに語るに落ちる。もっとも、あえて教えてもらうまでもなく、私が取るべき行動は決まっているわ」


 あのソフィアという女も、シュブ=ニグラスというバケモノも脅威には違いない。だが、こと戦闘においては私の方が多くの経験を積んでいるのは明らか。


 圧倒的な戦力差があるにも関わらず、この状況を打開できる逆転の一手はこちらにまだ残されている。一つは戦闘経験。もう一つはあの女の油断。


「――続けて二手。鋭き氷槍よ 貫き通せ 【アイシクルスピア】」


 シュブ=ニグラスを取り囲むように無数の魔法陣を展開。無数の巨大な氷柱が地面の奥深くまで突き刺さる。


 魔法で殺すことはできなくても動きを鈍らせることはできる。地中深くに突き刺さったアイシクルスピアがシュブ=ニグラスの中を駆け巡る水を凍らせ動きを止める。


「炎ではダメージを与えられないと悟ったまでは、良かったのですが。このシュブ=ニグラスを仕留めるには、その百倍の魔力量が必要です。残念でした。ですが、頑張ったあなたには努力賞をあげましょうか。冥土の土産にお持ち帰りして下さいね」


 二手目まで私が何をしようとしているか悟られることはなかった。つまり、次の三手目でこの状況を打破できることが確定した。


「三手、これで終わりよ。潰れ 千切れ 倒れろ 【フェイタルクラッシュ】」


 竜殺し包丁を力の限り横薙ぎに振るい、氷像と化したシュブ=ニグラスに叩きつける。バリィンッとガラスのように砕れ、倒れ、真っ赤な壁に覆われた教会とともに崩れ去るのであった。

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