星月夜

ムラサキハルカ

 緩やかに楕円状の渦を巻くように伸びる雲の間から、丸い月が顔をのぞかせていた。月に届こうとでも願っているのか、木々の並びから顔を出した一際背の高い糸杉が月明かりに照らされ、誇らしげな姿をさらしている。

 その木のかたわらにある道を、彼方は姉の手を引いて歩いている。姉の掌は小枝のようにか細く、速歩きしすぎると折れてしまいそうだった。ゆえに彼方は、コンクリートの上で打ちつけられる靴の音を慎重にたしかめながら、歩幅や歩速を決めていく。

「ねぇ」

 か細い声音とともに手を引かれる。彼方がゆったりと振りむけば、異様に白い肌と色素が薄い髪の毛、薄青の瞳が目に入った。他人が姉を定義づける際の特徴を自然と捉えてからすぐ、感情の起伏が窺いがたい眠たげな瞼がうったえかけてくるのを読みとる。

「なに、姉ちゃん」

「空を、見て」

 弱視である姉には、彼方の姿は、おそらく輪郭程度しか映っていないだろう。それと同じように、周りの世界もまた、ぼやけているに違いない。生まれ落ちてから二十年に少し満たない期間、一度として目が不自由になったことがない彼方には、姉の目に見えている世界は想像することくらいしかできなかったが、付き添っている時間が長くなるにつれて、外面に出る苦労についてはある程度、理解しているつもりでいた。わかった、と呟き、天をあおぐ。

「なにが見える」

「鼠色の雲に、紫に染まった空、ちらほらと光る星。それと、まん丸い月かな」

 できうるかぎり目にしたものをつたえようとするが、いかんせん、彼方の語彙はそれほど豊富でないため、どうしても事実だけを切りとった味気ない説明になってしまう。姉は、そう、と答えたきり黙ってしまったため、彼方もまた立ちつくす。

 少しして首が疲れたのを感じ、顔を下ろすと、姉が空を見あげている姿がある。青い瞳には、いったいどんな景色が映りこんでいるのか。少しばかり興味はあったものの、たとえ姉に口で説明されたところで、同じ視界を分かちあえないのだから取りこぼしが多くなることだろう。そのことを虚しく思いながら、少しでも似た景色を見ようと姉の視線の先を追おうとする。

 ふと、姉の額によった皺が目にはいる。感情がうかがいにくくはあっても、どことなく悔しげにしているのがつたわってくるその表情は、幼き日の姉を連想させた。


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