第23話 母と娘
「こちらになります」
マドックの案内で、オフィーリアとカークウッドはイルマの寝室の前へと来ていた。メイナードとスケアクロウの姿はない。
扉の前には近衛騎士が一人、立っている。騎士はマドックを見て敬礼をした。
「失礼します」
扉を開けて三人が入っていく。広い部屋だった。入って正面には壁一面の大きな窓。レースのカーテンが閉じられており、日光を柔らかく遮っている。左右の壁には調度品がいくつも並べられていた。
そして部屋の中央に大きなベッドが一つ置いてあった。その上で横になっているのはイルマだ。彼に寄り添うように女性が一人、ベッド脇に座っていた。
「アネット様」
それを見たマドックが声をかける。女性はゆっくりと振り返った。亜麻色の髪に
イルマとオフィーリアの母親であるアネットだ。
アネットの瞳がオフィーリアを捕らえた。視線を反らしたいのを我慢して、オフィーリアも見つめ返す。母親の瞳が僅かに揺らいだ気がした。
「マドック、本当にイルマは助かるのですか?」
だがアネットがオフィーリアに声をかけることはなかった。マドックへと視線を向ける。
そんな母親の態度にオフィーリアは一瞬目を伏せた。だがすぐに顔を上げ表情を引き締めると、再びアネットの顔を見て口を開く。
「大変な中、時間を取っていただきありがとうございます……お母様」
オフィーリアが挨拶をしても、アネットはマドックを見ている。
「アネット様」諭すようにマドックが言う。「私は皇女殿下を信じております。ですからお連れしたのです」
「そう……。イルマを、あの子をお願いします」
アネットが立ち上がり、ベッドから離れる。
ようやくオフィーリアに向けられた母親の言葉は他人行儀なものだった。それでもオフィーリアは気丈に頷いてみせる。そしてカークウッドに目で合図すると、ベッドに寝ているイルマに近づいた。
「これは……」
ベッドに寝ているイルマは息苦しそうに浅い呼吸を繰り返していた。首もとから顎の辺りまで赤黒い痣が見える。痣は先日見た時より明らかに広がっていた。
「カークウッド」
「失礼します」
そう言って近寄って来たカークウッドと入れ替わるように、オフィーリアはベッドから離れる。
執事はイルマにかけられたシーツを剥いだ。ダルマティカのような白い
カークウッドの右目に青白い炎が宿った。それを見たアネットが息を飲む音が聞こえる。
魔眼を通して見たイルマの構成式には、胸の部分に通常とは異なる幾何学模様が見てとれた。魔術の術式だ。およそ心臓の位置に食い込むように一つ。その周りを囲うように三つ、正三角形の頂点にそれぞれ術式があった。
カークウッドの知らない術式だった。だがその術式が何を目的としたものなのかを推測することはできた。
右手に青白い炎が宿る。カークウッドはまず中央の術式に触れた。キンッ――という硬質な何かが割れるような音が、室内に響く。
「うわぁぁぁぁ!」
刹那、イルマがベッドの上で跳ねた。
「イルマ!」
アネットが叫び、イルマに近寄ろうとする。
「オフィーリア様」
カークウッドは振り向くことなくオフィーリアの名を呼んだ。その意味に気づき、彼女はアネットがイルマに触れないように、母親を抱き留める。
「お母様、信じて。お願い!」
「離してっ。離しなさいオフィーリア! アーベル殿下だけでなく、イルマも殺す気!?」
その言葉にオフィーリアの力が一瞬、緩んだ。アネットはそれをを見逃さない。オフィーリアを振りほどいてイルマに触れようとした。
「ちっ」
カークウッドは舌打ちと共に振り向いた。刹那、アネットの視界が真っ白になる。ベッドの上にあったシーツをカークウッドが左手で引っ張り、素早く広げたのだ。シーツにまとわりつかれたアネットの足が止まる。
その隙にオフィーリアが後ろから抱きついた。
「イルマ! イルマぁ!」
泣き叫ぶアネットの声。マドックが動こうとしてカークウッドの視線に射貫かれる。予想外の鋭い視線に、老いたとはいえ歴戦の勇士であったマドックの足が止まってしまった。
「助けたかったら、邪魔はしないでください」
カークウッドはイルマに視線を戻した。左手で服を掴み、苦しそうに右手を伸ばしているイルマの姿があった。
イルマの額を左手で押さえると、カークウッドは素早く残りの術式に触れた。キンッという音が三度ほど続く。するとまるで力を失ったかのように、伸ばされた右手が落ちた。
「終わりました」
カークウッドがイルマから離れる。その言葉が合図だったかのように、マドックの足が動き出した。慌ててイルマへと近づいた。
「おおっ」
ベッドの上には安らかな寝息をたてているイルマの姿があった。顎の下まで迫っていた青黒い痣もすっかり消えている。
「術式は直接、病を起こすのではなく体の中に働きかけるものでした」
カークウッドが言う。右目と右手の炎はいつの間にか消えていた。
「どういうことだ?」マドックが訊く。
「弱い毒か、あるいは別のものか……イルマ殿下の体自体に何か仕掛けられている可能性があります」
「ではまだ?」
「用心に越したことはありませんが術式を取り除いた以上、大丈夫かと。恐らくこれは術式ありきで効果が発生するものでしょう。何か仕掛けてられていたとしても、しっかり療養すれば体は回復するはずです。
司祭にちゃんと診て貰ってください。できれば治癒ではなく〝浄化〟を」
「分かった。感謝するぞ、執事」
「お礼は私ではなくオフィーリア様に。今回のことを思いついたのは皇女殿下ですから」
「イルマ!」
シーツから抜け出したアネットが眠っているイルマに抱きついた。
「
そう言ってカークウッドはオフィーリアに視線を向ける。オフィーリアは頷くと、優しくアネットの両肩を掴んだ。
「お母様。大丈夫ですから、もう少しイルマを休ませてあげてください」
その言葉にアネットが大人しく従った。イルマをベッドにそっと横たえると、オフィーリアの方を向く。
「ありがとうオフィーリア。さっきは……ごめんなさい」
涙を浮かべてアネットが言う。オフィーリアの瞳も涙で濡れていた。
「うん。お母様」
オフィーリアが母親に抱きついた。アネットも娘をしっかりと抱きしめ返した。
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