第8話 襲撃

 オフィーリアの住む離宮には、小さいながらも立派に整備された庭園があった。

 中央には小さな噴水があり、そこから十字に石畳の敷かれたみちが延びている。路に沿うように腰の高さで剪定された庭木が並んでいた。庭木で正方形の囲いをいくつも作ってあり、その中には幾何学模様に植えられた花々が咲いていた。


 新たな記憶が目覚めて以来、天気の良い日はその庭園を歩くのがオフィーリアの日課になっていた。よく手入れされた庭は見ていて気持ちがいい。今日も庭師が数人、手入れをしていた。


「今日はいい天気ですね、オフィーリア様!」


 ハリエットの言葉にオフィーリアは頷いて見せた。


「そうね。館から見る庭園も綺麗だけど、こうして中を歩くとまた違った発見があるわ」

「オフィーリア様は本当に変わられましたね」

「そ、そう?」


 いつもは抜けているくせに、たまに妙に鋭くなる。そんなハリエットに内心舌を巻きながらオフィーリアは言葉を返す。

 変わったという自覚はオフィーリアにもあった。その原因にも心当たりはある。


「はい。以前は天気が良くても外に出ることはありませんでした」


(〝わたし〟であればそうだっただろう。でも部屋にずっと籠もってるなんて〝あたし〟は嫌だ)

 オフィーリアは病室に籠もりっきりだった頃の記憶を思い出していた。もう一人の自分の記憶。窓から外を眺めるだけの記憶。あれほど退屈だと思ったことはなかった。


「変……かな?」

「いいえ。ハティは嬉しいんです。オフィーリア様はいつもドジばかりしてるハティに優しくしてくれます。いつもハティに笑顔を下さいます。でもどこか寂しそうでした」


 ハリエットの言葉がオフィーリアの胸に刺さった。抜けているようで、ハリエットは自分をよく見てくれていたのだ。それが今は痛いほど分かる。


「けどあんな恐ろしいことがあった後なのに、オフィーリア様は明るくなられました。今の笑顔、ハティは大好きです」ハリエットがハッとした表情になる。「あ、いえ。今までの笑顔も大好きですっ」


 慌てたように言い直すハリエットを見て、温かい気持ちがオフィーリアの中に生まれる。〝わたし〟であった時には感じたことのない感情だ。


「ハティ、ありがとう。あたしも大好きよ」


 オフィーリアはハリエットに笑顔を向けた。それは大輪の花が咲いたような笑顔だった。


「そ、そんな。もったいないですっ」顔を真っ赤にしてハリエットが言う。

「オフィーリア様、こちらにいらっしゃいましたか」


 俯いて恥ずかしそうにしているハリエットの後ろから、カークウッドがやって来るのが見えた。その台詞からオフィーリアのことを探していたのだろう。


「どうしたのです――」

「オフィーリア様!」


 答えようとしたオフィーリアの言葉を遮るように、カークウッドが叫んだ。その表情は厳しく真剣なものだ。視線の先はオフィーリアの後ろへと向けられていた。

 思わず背後を振り向く。いつの間か彼女のすぐ後ろに庭師が立っていた。剪定用の大きな鋏を持っており、その切っ先はオフィーリアに向けられている。庭師の目は血走っており、とても正気には見えなかった。

 オフィーリアは咄嗟に頭を庇うように両腕を挙げた。同時に衝撃が横から彼女を襲った。オフィーリアは押し飛ばされて地面へ倒れた。


「ハティ!?」


 次にオフィーリアが見たのは地面に横たわるハリエットだった。右肩の辺りから血を流して倒れていた。すぐそばには襲ってきた庭師。手に持った剪定鋏の先はには血がついていた。


「オフィーリア……様。逃げて……ください」


 顔を上げ、こちらを見つめながらハリエットが言う。

 剪定鋏を持ち上げる庭師。その鋏が振り下ろされようとした瞬間、オフィーリアは立ち上がりハリエットに覆い被さっていた。


 キンッ――という硬質な何かが割れるような音が響いた。

 その音に聞き覚えがある気がして、オフィーリアは顔を上げる。青白い炎に包まれた手が見えた。その手は振り下ろされたはずの剪定鋏へと伸びている。

 カークウッドの右腕から血が流れていた。一見すると、剪定鋏の刃の部分が彼の腕を貫いているかのように見えた。しかし持ち手だけで刃はなく、よくみると刃は地面へと落ちていた。


「くそっ。不愉快だな」


 声を上げたのがカークウッドであると気づくのに数秒を要した。

 カークウッドは庭師を蹴り飛ばし、オフィーリアたちから引き離す。そして転がされた庭師へと近づいた。その時、カークウッドの右目。片眼鏡モノクルの辺りに青白い炎が浮かんでいるのが見えた気がした。


鬼火ウィルオウィスプ

 なぜそう思ったのか、オフィーリアには分からなかった。でも見た瞬間に思い浮かんだのはその言葉だった。

 カークウッドは起き上がろうとした庭師を踏みつけ、その片腕を取ると器用にひっくり返した。そしてそのまま背中に乗り、腕を肩関節の限界まで捻り上げる。

 痛みを感じないのか、庭師がそれで怯むことはなかった。しかしカークウッドに抑え込まれ暴れることはできないようだった。

 俄に周りが騒がしくなった。騒ぎを聞きつけた衛兵がやって来たのだ。


「オフィーリア様、ご無事ですか?」


 庭師を衛兵に引き渡し、カークウッドがオフィーリアの所までやって来る。彼の右手にも右目にも、青白い炎は見あたらない。しばしカークウッドを見ていたオフィーリアだったが、錆びた鉄の匂いで我に返った。


「ハティ? ハティ!」


 ハリエットの右肩から流れた血は石畳に溜まっていた。血はオフィーリアのドレスにも付いている。気を失っているのかハリエットからの返事はない。微かに聞こえてくる呼吸の音だけが、彼女が生きていることを示していた。

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