狂犬は恋に従順

梶井スパナ

第1話 だいたいセックスから始まる



 褐色の肌、長いまつげ、唇はぽってりと膨らみ、赤く染まっているので普段は紫色の口紅を好んでつけている。胸のサイズはF、身長が小さく腰がとても細いので、上半身はほとんど胸だとからかわれた事もあるが、それを逆手にとって、なお余りある愛嬌のある話術に、からかってきた者たちはすべて、岸辺鈴鹿きしべすずか──彼女のとりこになっている。


 鈴鹿は、真白のシーツをするりとつま先で撫でてから、起き上がると、制服のネクタイが無くてそこらを探した。

 さすがに今月二本目なので、親──と言っても実親ではないが──に怒られそうだなと思い、ベッドの脇や、盛り上がってしまった玄関へ探しに行く。


「あ、あった♡」

 さきほどまでセックスしていた相手の足首に、なぜか絡まっていたので、そこからシュルリと取り出した。

「あ……もう行くの?」

 女性は眠そうな目をこすりながら、前髪をかき上げた。時間とお金のかかっていそうな、シルクのような肌を、鈴鹿は手の甲で下からなぞる。

「うん、ガッコーいかなきゃじゃん?」

 8時の時計を指さして、鈴鹿はにっこり笑った。八重歯が白く見える。

「遅刻?」

「大丈夫、お姉さんのお家からすぐだから、泊めてもらったの」

「なんだ、私が気に入ったからじゃないんだ?」

「ううんお姉さんが気に入ったから、お姉さんのお家なら朝までできるじゃん!って思ったんだよ?それってお家で選んだってことになるのかな?」

「なにそれー…もう♡」

 少し拗ねた彼女だったが、まんざらでもない様子に変わった事を見つめて、鈴鹿は嬉しそうに微笑む。他人の感情を動かすことが好きだ。もしかしたら、セックスよりも好きかもしれない。(いや嘘だけど)鈴鹿は、舌をだす。


「んじゃー、またにゃ」

 彼女のおでこにキスを落として、鈴鹿は手を振る。

「待って、パンツ!」

「あ~…忘れてた」

 パンツだけ受け取ってささっとはくと、お姉さんが一万円をくれた。

「これ、少ないかもだけど…また学校までゆっくりいきたい日があったら言ってね」

「あ~♡ありがとう!いってきまーす」



 ::::::::::::


 夕暮れのファミレス。街灯がひとつずつついていく午後五時。

 大きな窓から逢魔が時が迫るようで、夜の一歩手前のその時間を、乾萌果は愛していた。しかし最近であったばかりの、鈴鹿に、深々としたそんな時間を邪魔されるばかりか、猥談をされ、信じられないという顔をして、鈴鹿に嫌悪を見せた。

「しんじられない!」


 口にも出した。


「なんでさ~、その一万円で、君といちゃいちゃファミレスデートできるんだよ?」

 チューっと音を立ててストローでコーラを飲む鈴鹿は、工業高校の三年生。ブレザーはまず着ていない。薄い水色のシャツに、赤いチェックのリボンとミニスカート。胸ボタンは三つ開けて、ルーズソックスにローファーを履いている。紫色のレースの下着が上も下も見えていて、だらしがない様子だが、なぜか温厚で人当たりが良く見える褐色美少女。


「いちゃいちゃもしてないし、デートでもない。そんなの、間違ってますよ犯罪!」

 対して、乾萌果は商業科の生徒で、鈴鹿とは別の高校に通う二年生。鈴鹿の義理の妹と同級生で、たまたま文化祭で、鈴鹿と出会った。

 長い黒髪にはっきりとした目元、意志の強そうな高い鼻に赤い口紅がよく似合う薄い唇。丸いイヤリングは彼女のトレードマーク。インフルエンサーでもあり、フォロワーの数は数千。普段は美容と、おしゃれと、流行の最先端を行く彼女だったが、たった一つ、人には言えない趣味を持っていた。


 それは、人の恋を勝手に純愛に仕立て上げること。

 妄想甚だしいその趣味は、ともすれば、とても失礼なことになるため、頭の中の趣味に留めているのだが、友人にポロリとこぼしてしまう事もある。信頼のおける友人であれば「純愛が好きなんだねえ」と認めてくれて、さらに萌果の妄言もニコニコと聞いてくれるが、その限りではない。


「ん?売春??やだなちがうヨ!!昨日の夜、愛し合って、今朝お別れしたけど、帰り際にお小遣いくれただけだよ。で、これも純愛に妄想できる???」


 この、歩くケダモノ、岸辺鈴鹿に、妄想癖をばらしてしまったことは、萌果にとって完全に失態だった。

 鈴鹿は、誰とでも、そう、老若男女、誰とでも体を重ねる。関係性の始まりが、セックスでしかない。しかし、片思いをしていた相手とは、一度も関係を結ばなかったという。

「愛ってほんと、なんなんだろな?」


 その気持ちの正体を知りたくて、萌果に、純愛を問いかけたケダモノ。

 鈴鹿の日々の行いが、純愛に発展するのかどうか、見定めてほしいと、萌果にお願いされ、純愛を妄想する機会に飢えていた萌果は、乗ってしまった、というわけだ。


「そういうの、ママ活って言うんですっけ、今…」


 乾萌果が、ぼんやり、もうなにも、話したくないというしぐさで言った。


「ねえもしも、今日のお姉さんと恋に発展するとしたら、どうなるかな?」


 いつも通り、鈴鹿が言う。あることないことかき集めて、どうにか純愛にする。そのプロセスが難しいほど、萌果は萌えるので、鈴鹿の恋は、絶対に全く純愛でもなんでもないと思いつつも、妄想を始めてしまう。


「そうですね、そのお姉さんは、なにしてる人なんですか?」

「しらない~、でもお家は大きかったよ、キングサイズベッドが、シルクのシーツだった」

 本人もお手入れが完璧だったことなどを細かに言うので、萌果は少し、頬を赤らめる。


「鈴鹿さんとどこでであったんですか?」

「うん、コンビニで立ち読みしてたら、あそばなーい?って」

「あ~~~だめ、ダメです、そういうのほんと無理です」


 萌果は一瞬で匙を投げた。


「でも待てよ」

 投げた匙を広い、イメージの中で、パイントサイズのアイスクリームを、せっせと掘り出す。そして、さらにアラザンや、シュガースプレーもコーティングしてみる。うんうんと頷いた萌果は、コホンと自分の妄想を、鈴鹿に話すことにした。


「よし、これでどうですか!」


 鈴鹿はワクワク顔で頬杖をついて、聞いている。



「お姉さんAは、実は…そうコンビニ店員Bに片思いしているんです」


「え!?それは、コンビニでナンパされたから??確かにきれーな店員が、いつも同じ時間にいて、気にいって行ってるけど。おでんおまけしてくれたりするよん」


(それは鈴鹿さんが、愛想がいいからでは?おでんおまけ?都市伝説じゃない?)萌果は思いつつ、妄想を続けた。


「で、お金持ちのAさんは、体調などにも気を遣っていて、毎日のように、コンビニに行くような人には見えないのに、店員Bを眺めにコンビニに行くんですけど、Bさんが鈴鹿さんに恋をしているのが、わかってしまった。恋をしている人は、恋に敏感ですからね。見るからに、遊んでそうなJKなので、そんな女に引っかかったらいや!という思いで、思わず鈴鹿さんに声をかけてしまう!」


「あ て う ま !!当て馬じゃん!?あたしと、Aの恋は見込みないわけ?!」


「あるわけがない!!!」



 鈴鹿はげらげら笑う。


「そしたら、鈴鹿さんがほいほい付いてきてしまったので、断り切れず、一夜を共にしてしまうお姉さんA …!コンビニ店員Bが好きな人、と思う程に禁断のエモを感じてしまうんです。可哀想!でも、鈴鹿さんとの一夜も楽しかったので、Bさんが好きになっただけはあるな、とか思っちゃうんです」


「やったあ…!当て馬にもいいとこが!」


「で!朝になって、冷静になったお姉さんAは、鈴鹿さんに口止め料としての一万円を渡します。今日、玉砕しても良いから、コンビニ店員さんBに告白しよう、そんな思いを込めて……!!」


「お~~~~」


 ぱちぱちぱち。鈴鹿は小さな手を叩いて、萌果を讃えると、その仕草のままファミレスの卓上呼び出しボタンを押すと、萌果にパフェをおごった。


「純愛つーか片思いだけど、まあまあ好きかも!っていう気持ちを込めて♡」


 ニコニコと人懐こい笑顔で、鈴鹿は微笑んだ。


「太るじゃないですか…!」


 萌果は頭の中の妄想と同じようなパフェの造形に、今口に出したモノが与えられたような気分になって、嬉しく思いつつ、鈴鹿の勝手な注文に怒る。


「またさ、明日もきていい?」

「明日はファミレスに来るかどうかわかりません」

「つれないな、萌果は」

「よびすてやめてくださいよ」



 ふたりは、一回だけキスをしたことがある。

 けれど、放課後たまに、ファミレスで話をするだけの関係。まだ。

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