第28話 リベンジデート

『小説みたいなラブレターじゃなかったけどさ、あの文面なら好意を持ってるのは間違いないよ。だからチョコのお礼ってことで、デートに誘ってみようよ』


 あたしは延々と時間をかけて、懸命に説得してやっとキミをうなずかせた。

 以前ひどい目に遭った覚えはあるけど、行先は無難に映画。作品を選んだのはあたしだから、三都美が気に入るのは間違いなし。

 そして準備も整った。

 放課後に周囲に人がいなくなったのを確認すると、キミは映画の前売り券を握りしめて三都美の元へと向かう。

 そして声を震わせながら、キミは三都美を誘った。


「あの、あの、この間のお返しと言っちゃなんだけど、今度の日曜に映画でも一緒に見に行きませんか?」


 キミが両手で差し出した映画のチケットは、プルプルと小刻みに震えている。

 必死なキミを目の前にして、三都美はオロオロと戸惑いながら答えを濁した。

 

「あ……。でも、今週の日曜は……」

「べ、別にいつでもいいんです。どうですか? 映画」

「えっと、あの……」


 三都美は頬を真っ赤に染めて、断る前提で言葉を探してるみたい。でもそれは本心じゃない、本人のあたしにはわかる。照れ隠しで逃げてるだけだ。

 かと言って、キミがこのまま食い下がってもいい返事は期待できそうにない。

 気まずい空気が流れ始めた教室。そこに利子が割って入ってきた。


「あ、私、その映画見たいと思ってたんです。チケット余ってるんですか?」

「え? いや、そういうわけじゃ……」


 突然の乱入者に、今度はキミがオロオロと戸惑い始めた。

 だけど利子の方は、キミに向けて必死にウィンクで合図を送っている。なるほど、そういうことね……。

 利子の行動が理解できないキミは、困惑するばっかり。挙句の果てに、キミは言っちゃいけない最悪の答えを利子に返す。


「じゃぁ、これあげるから、誰かと――」

『違うでしょ! ここは咲良さんを誘う場面なの!』

(えー? リコに近づくとこじれるって言ったのは、ミトンじゃないですか。それにまだ、樫井さんだっているんですよ?)

『いいから、早く咲良さんを誘いなって』

「(わかりましたよ)……リコが興味あるなら、この映画一緒に行く?」


 キミは納得できないまま、あたしの指示通りに利子を誘った。

 三都美を見ると少し不機嫌そうな表情。頬っぺたも少し膨れてるみたい。


「本当ですか? うーん、どうしようかなぁ。昌高さんとですかぁ……。どうしようかなぁ、楽しいデートになっちゃうかもしれないなぁ……」


 キミや三都美に聞こえるほどの声で、利子はみえみえの独り言をつぶやく。そしてやたらチラチラと、三都美に視線を送って様子をうかがっている。

 そんな様子を不思議に思ったのか、キミはあたしに利子のことを尋ねてきた。


(リコは何やってるんですか? 僕はどうしたらいいんでしょう)

『ここは咲良さんに任せなよ。ヘタクソな演技だけど、結構効いてるみたいだし』

(効いてる……?)


 キミはさらにわけがわからなくなったみたいだけど、利子の小芝居はすぐにその効果を発揮した。三都美がたどたどしく口を開く。


「あ、あぁ……そ、そういえば、用事があったのは次の週だったっけ。えっと、今度の日曜日は……うん、暇だった、よ」

「あ、そうだったんですか」

「その映画……面白そう、だよね」


 ここまで来ても鈍感なキミ。あたしは思わず声が大きくなる。


『ここで誘わなくてどうすんの!』

「今でしょ、今!」


 あたしの声に同調するように、利子がキミの背中を強く叩いてけしかけた。

 キミは咳き込みながらも、やっと利子のお膳立てに気付いたのか、三都美に再び映画の前売り券を突き出しながらデートに誘う。


「今度の日曜日、も、もしも暇だったら一緒に映画に行きませんか?」


 まったくキミってやつは。三都美はたった今、暇だって言ったじゃない……。



 そして待ちに待ったキミの日曜日は、朝から慌ただしい。

 昨日切ったばっかりの髪は違和感があるらしくて、整髪料を付けてはドライヤーの繰り返し。キミの準備時間を刻一刻と削っていく。

 着ていく服だってそう。昨日急遽買ったジャケットは、身体に全然馴染んでなくてなんだか堅苦しい。やっぱり着慣れたものの方がと、キミは頭を悩ませる。


『恋する乙女かっつーの』

「でも、二人きりでデートなんて初めてで、どうしていいか……」

『普段通りでいいに決まってるでしょ? 普段のキミが誘って、あたしがそれを受けたんだよ。それはつまり、普段のキミが受け入れられたってことでしょ?』

「智樹は来ませんよね?」

『来るわけないでしょ。今頃、少しは反省してるんじゃないの?』


 智樹の初詣での行いを、三都美が友人に相談したらしい。その噂はあっという間に女子の間に広まって、SNSで拡散される破目に。すると、過去の被害者と名乗る者まで現れて大炎上。あれほど人気のあった智樹は、今や凋落の一途だ。


「でも、待ち合わせ場所に行ってみたら、何食わぬ顔でリコも来てたり……?」

『それならそれで、きっとキミの力になってくれるって。今日デートできるようになったのだって、咲良さんのおかげでしょ?』

「確かにそうですね。それじゃ、行きますか」

『え、もう? さすがに早すぎじゃない?』


 待ち合わせ場所に着いてみれば、やっぱり三十分も前だった。そんなに浮足立っちゃって、まったくキミってやつは……。

 遅刻よりましだけど、さすがに早すぎ。でもそれがキミの普段通りだっけ……。

 三都美がやってくるまでの時間も、キミにとっては楽しそう。頭の中で色々な妄想を描いてるに違いない。どうせ、またエッチなこと考えてるんでしょ。


 キミが二十五分ほど待ち続けると、ついにその瞬間が訪れた。

 今日の三都美はデニムのマキシスカート。レースをあしらったトップスに、チェックのロングコートを羽織って、向こうから手を振りながらやってくる。

 もちろん三都美一人だけ。キミの念願の、二人きりのデートがついに始まった。


『よかったね。二人きりのデートだよ』

「ミトンもいますけどね」

「ん? あたし? ここにいるよ?」

「あ、すいません。独り言です……」


 まったく、キミは何をやってんのよ……。

 きっと舞い上がってるんだろうから無理もないか。でも次の瞬間、三都美はキミをさらに舞い上がらせるような行動に出た。


「ほら、行こうよ。早く、早く」


 そう言ってキミの左手を、三都美はキュッと右手で握り締める。

 その大胆な行動はあたしでさえもビックリした。キミがもたもたしてたから、急かしただけだよね?

 当然キミの顔はだらしなく緩む。きっと三都美の柔らかい感触に、キミは心穏やかじゃないはず。まったく、そういう反応だけは機敏なんだから。


『ほら、顔、顔。何にやけてんのよ、手を繋いだぐらいで!』

「はいぃ……」


 キミはあたしに返事をしたのか、それともあたしになのか……って、あたしは何を言ってるんだろう……。今日はあたしも調子が狂いっぱなしだ。

 三都美はそのままキミと手を繋いで、映画館までの道のりを楽しそうに歩く。そんなあたし……いや、三都美にあたしは少しイラッとする。

 自分の方から手を繋ぐなんて、無意識だよね? あたしがそんなに計算高いはずがないよね……?


 映画館に着いたキミは、まずはロビーのソファで一息入れる。そして三都美を休ませたまま、キミはパンフレットの購入に走った。

 キミが買ったパンフレットは三部。なんでそんなに買うのか不思議だったから、あたしはキミに尋ねてみた。


『一つはすぐに見るため、一つは保管用だとして……、もう一つはプレゼント用?』

(いえ、保管用が汚れた時の予備です)

『どっかの勇者かーい!』


 思わずあたしはキミの頭をはたく。しかしその手はキミの身体をすり抜けて……。でもキミはそんなあたしに目もくれずに、今度はポップコーンを買いに行く。

 完全にシカトされると、さすがにあたしは寂しいよ……。


「すみません、あれこれ買ってて待たせちゃって」

「ううん、ありがとう。やっぱり映画館っていうと、ポップコーンだよね」


 キミがちゃんと三都美に気を使えるか心配だったけど、どうやらそれは杞憂に終わりそう。ポップコーンと飲み物はちゃんと二人分を自腹で買ったし、三部買ったパンフレットもなんだかんだと一部は三都美にプレゼントしてた。

 ポップコーンは大きいのを一つ買って、二人でシェアでも良かったのに……。


「上映中は夢中になっちゃって、丸々食べ残ったりするんですよね」

「うん、うん、そうだよね。あたしは手に持ってたことも忘れて、映画が終わったら床にぶちまけてたりするよ」

「いや、ぶちまけないでしょ、さすがに」

「えへへ、そっか。あたしだけかぁ」


 キミは緊張してるのか言葉も表情も固いけど、思ったよりも会話が弾んでるようであたしは安心した。

 これは間違いなく、あたしとの毎日の会話の成果だね。家に帰ったら、キミに三時間ぐらい感謝の言葉を述べさせてもいいぐらいだよ。

 二人は世間話で盛り上がってるけど、そろそろ上映時刻も迫ってきた。

 すると三都美が立ち上がって、キミに手を差し伸べる。


「そろそろ、中に入ろっか」

「そ、そうですね」


 握り合う二人の手は、いわゆる恋人つなぎ。

 三都美は意識してないみたいだけど、キミは顔を真っ赤にして今にも爆発寸前。この分じゃ映画の内容なんて、キミは頭に入らないだろうね。


 入場口の前に立つと、少し名残惜しそうにキミはつないだ手を離す。

 そしてキミは映画のチケットを、上着の内ポケットから颯爽と……。いや、財布の中から……取り出せない。キミの顔が、みるみるうちに青ざめていく。


『まさか、チケット忘れたの? もう! 直前に服を変えたりするからだよ』

(どうしましょう……)

『臨時出費は痛いけど、当日券買うしかないじゃない』

(もうそんなお金、残ってないです)

『パンフレット三つも買うからだよ!』


 思わずあたしはキミの頭をはたく。もう一度はたく。さらにはたく。しかしその度に手はキミの身体をすり抜けて、あたしはただ手を振り回してるだけの人になった。

 三都美が首をかしげながら、心配そうな表情をキミに向ける。


「どうしたの? 入らないの?」

「実は……チケット忘れたみたいで……」

「忘れたんかーい!」


 思わず三都美はキミの頭をはたく。と同時に、天井を突き抜けるような軽やかな三都美の声が、キミの失敗を笑い飛ばすように館内に響いた。

 直後、三都美は「あ……」と短い声を漏らすと、我に返ってその顔を赤らめる。


「あ、あたし、その……」

「いや、僕の方こそ……」


 今日の三都美はどこかが違う。明らかなその変化に、あたしは戸惑う。

 だけどまずは、現状をどうにかしなきゃ。さすがにこの状況で、三都美に映画代を出させるわけにはいかない。

 そんな時、物陰からキミを必死に招く手をあたしは見つけた。

 周囲に気を回す余裕のないキミが気付くはずがない。あたしは途方に暮れっぱなしのキミに、その存在を教えてあげることにした。


『ほら、あそこで手招きしてる人がいるよ』

「え?」


 三都美に悟られないように、手招きに目を向けるキミ。

 するとひょっこり、利子が顔を出した。


「すいません。ちょっとトイレに……。すぐ戻るんで、ちょっとだけここで待っててもらってもいいですか?」

「あ、うん。行ってらっしゃい」


 キミは三都美に断りを入れて、トイレに行くふりで利子のいる物陰に急ぐ。

 そして、三都美に気付かれないように連れ立って奥に進むと、今度は一転して利子を問い詰めた。


「ちょっと、リコ。どうしてここに」

「シー、静かに。気付かれちゃいますよ。それよりも何やってるんですか、顔を青ざめさせて。何かトラブルでもあったんですか?」

「ひょっとしてリコは、僕たちを心配して様子を見に来てくれたの?」

「たちじゃなくて、昌高さんだけですよ。だって、危なっかしくて見てられないじゃないですか、昌高さんて。それで、何かあったんですか?」


 キミは利子に事情を話す。映画の前売り券を忘れたこと、そしてパンフレットを三部も買ったせいで、チケットを買い直すお金がないことも。

 それを聞いて、利子は呆れながらも優しい表情を浮かべる。やっぱりこれは、どこをどう見ても母親の姿だ。

 利子は自分のバッグから財布を取り出すと、一万円札を一枚取り出してキミに手渡した。そして念を押すようにキミに告げる。


「いいですか、貸すだけですからね。ちゃんと返してくださいよ」

「もちろん。親に借金してでも明日には返すよ」


 そして利子は催促するように、キミに向かって右手を突き出した。

 キミはわけがわからずに、利子にその意味を尋ねる。


「この手は?」

「利息を今もらっておきます」

「えー、手厳しいな。いくら?」

「お金じゃないです。一部余ってるんでしょ? パンフレット」


 キミは保管用のパンフレットをカバンから取り出して、利子に渋々差し出した。

 利子はそれを受け取ると、嬉しそうにバッグにしまいこむ。


「じゃぁこれは、昌高さんからもらったプレゼントってことにさせてもらいますね」

「え? まあ、いいか。とにかく助かったよ、ありがとう」


 とりあえず利子にお金を借りて、キミの急場はしのげた。

 三都美を待たせっぱなしなのが気になるのか、キミはお礼の言葉もそこそこにロビーへと戻る。けれど利子がキミの手を慌てて掴んで、それを阻止した。


「ちょっと待ってください」

「まだ何か?」

「昌高さんは、今日のミトンさんを変だと思いませんか?」

「いや、別に……」

「まったく、昌高さんは鈍感ですね。そういう私も最近仲良くなってからわかったんですけど、今日のミトンさんが本当のミトンさんですよ」

「そりゃぁ、あの樫井さんは本物だよね」


 そう言ってキミはあたしに目を向けた。そういう意味じゃないでしょ……。

 あたしが気になってた今日の三都美への違和感。その正体を、親切心でキミに伝える利子の言葉に、あたしも興味深く耳を傾ける。


「ミトンさんって、思ったよりもガードが固いんですよ。学校でいつもみんなと仲良しに見えるミトンさんは、ああ見えても全然心を開いてないんです」

「うーん……」

「でも心を開くと今日みたいにとっても明るくて、人懐っこい感じに……。だから昌高さんには心を開いてるってことです。ミトンさんが別人のように見えても変な目で見ないで、ちゃんと理解してあげてくださいね」

「全然変だなんて思ってないよ。むしろ――」

「あ、キミ、どうしちゃったの……って、さっちゃん!? 来てたの?」


 キミの言葉を遮って背後からかかった三都美の声に、キミは飛び上がるほど驚く。今の今まで噂をしていた当の本人なんだから無理もない。

 そして三都美の方だって、これだけ待たされればキミを探すのも当然だ。

 思わぬ鉢合わせに、修羅場の予感があたしの心の中でざわつく。


「えっと、その、私もこの映画に興味があったんで見に来たら、偶然昌高さんがいたんで呼び止めちゃったんです。ごめんなさい、長々と。昌高さんはお返ししますね」

「そんな、物みたいに言わなくても……」

「それじゃ、ごゆっくりお楽しみください。お二人とも」


 さすが利子、とっさの言い訳も卒がない。きっとキミが言い訳をしたら、余計な誤解を生んで取り返しのつかないことになってたよね。

 そして邪魔をしないように利子はすぐに退散。なんて行き届いた配慮なの……。


「なに言ってるのー、さっちゃんも一緒に見ようよー」


 立ち去ろうとする利子を、三都美は後から抱きついて引き留める。

 そのまま肩越しに頬を寄せると、まるで犬にでもじゃれつくように、グリグリと頬ずりをし始めた。確かに三都美のこんな姿は、学校じゃ見たことがない。


(今日の樫井さんは、すっごく可愛いですよね)

『ふふん、それほどでもないよ』

(樫井さんは中学三年に孤立して以来、なんだかいつも他人の顔色ばっかりうかがうようになっちゃったんです。だけど、やっぱり無邪気な方がいつもより百倍かわいいですよね。やっと会えましたよ、本当の樫井さんに)

『え、キミ、知ってたの? 今日の方が本来の彼女なんだって』

(ええ、三年前……いや、もう四年近く前に、散歩中の犬とじゃれ合う今日みたいなキラキラした眩しい笑顔を見て、僕は樫井さんに一目惚れしたんですから……)


 そうだったんだ……。あたしはやっと、長らく引っ掛かってた疑問が解決したよ。

 今日の三都美は、なんだかとってもあたしみたいだった。キミには最初から本当の三都美がわかっていて、そんな彼女を小説に登場させてたんだね……。


(あれ? でもこれって……)

『うん。二人きりのデートはここまでってことだね……』

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