第三章 三学期のこと

第26話 三学期も憂いとともに

 ――智樹はその両膝を折って大地にひざまずいた。

 さらにそれでも身体を支えきれず、両手のひらをも地に着けることとなった。

 今なお信じられないという表情の智樹。敗北を受け入れられずにいるらしい。


「ぐ……。馬鹿な……二十二人だぞ……。しかも、手負いにしたはずなのに」

「愛を持たないお前に、俺が負けるわけがないだろ」


 昌高は地べたに這いつくばる智樹に、怒りを押し殺した蔑みの眼差しを向ける。

 本当は昌高にも余裕なんてない。けれども最後の力を振り絞って、智樹を恫喝してみせた。


「すぐに立ち去れ。俺の視界から消えろ。そして二度と俺たちに近付くんじゃない。その姿を俺の前に晒したら、次は容赦はしないからそう思え」


 唸るような、低く震える声。力関係がハッキリした今、その昌高の声に智樹は畏怖しか感じない。泣き出しそうなその表情を隠す余裕もなく、智樹は手下たちと共に一目散に逃げ出した。


 智樹たちを追い払った公園に静寂が訪れる。

 最後の恫喝で力を使い果たした昌高は、緊張の緩みも相まって膝から崩れ落ちた。三都美はそんな昌高を、全身で抱き止める。昌高の血で、せっかくの純白のドレスが真っ赤に染まっていくことも厭わずに……。


 薄暗い街灯の灯る夜の公園には、いつしか本格的に雪が降り始めていた……。




『あらぁ、かっこよくなっちゃってまぁ……。現実はゲロまみれだったのにねぇ』

「夢のないこと言わないでくださいよ」

『でもキミ、あたしとはあれっきりで、また音信不通なんでしょ?』

「あれからって言っても、まだ一週間ですから。忙しかっただけですよ、きっと」


 今日から三学期。登校してみると、やっぱり三都美は意図的にキミを避けている。キミの希望的観測はあっけなく打ち砕かれた。

 期待の席替えも散々な結果。もっとも前後左右なんて四席しかないんだから、真後ろに座れた最初の席替えがラッキーだっただけだ。


 なんだか二学期の冒頭もこんな感じだったよね。けれど今回大きく違うのは、三都美に距離を置かれているのがキミだけじゃないってこと。智樹もまた、三都美から避けられてるのは間違いない。

 あれだけのことがあったんだから、当然と言えば当然か……。


 机に突っ伏して、ため息を連発しているキミ。なんだか最近じゃ、それがキミの通常の呼吸法のような気さえしてきた。

 そんなキミのところへ、利子がトコトコとやってくる。そして、しゃがんでキミの視界に強引に割り込むと、その目を輝かせながら質問を始めた。


「昌高さん。ひょっとして、ミトンさんと蕪良木君って喧嘩してるんですか?」

「リコはよく見てるね」

「そして昌高さん。昌高さんもミトンさんに、また何かやらかしたんですか?」

「ほんとにリコは、よく見てるね」


 なにやら楽しそうな、嬉しそうな、明らかにワクワクと興味津々の利子。さすがに教室で話すわけにはいかないと、キミは放課後を待って利子をファミレスに誘った。



「そんなことがあったんですか!? 蕪良木ったら、またひどいことを……」


 利子なら口も堅そうだし事情も知っているからと、キミは初詣の一件を話した。

 すると、窓際の席でキミと向かい合って座る利子は、まるで自分が被害者になったかのように激しく憤る。

 人当たりの柔らかい利子が、他人を呼び捨てにするなんてよっぽどのことだね。


「文化祭でも怖い人を使って取り入ったり、修学旅行でもあくどい手でホテルに連れ込もうとしたり、絶対に許せない。蕪良木め……」

「とはいえ、今さらそれを証明できる証拠もないしね」

「あんなやつを野放しにしておいたら、この先も被害に遭う女の子続出ですよ」


 利子の言う通り。あたしだって智樹を懲らしめてやりたい。でもこの身体じゃ、あたしにはどうすることもできない。

 それにしてもキミは、利子といるときだけはリラックスしていて、自然な会話ができるんだね。それぐらい自然に振舞えれば、もう少し三都美との距離だって縮められそうなのに……。


「泣いてる女の人は数知れずってのは、ただの噂じゃなかったってことだね」

「ミトンさんは、私たちの知らないところで被害には遭ってないんですかね? 今はそれだけが心配です」

「う、確かに……。今までのデート現場を、全部見てたわけじゃないしな……」


 利子の言葉にキミは一気に不安を募らせたのか、お腹を押さえたまま顔色を青ざめさせる。胃潰瘍にならなきゃいいけど……。

 すると利子は慌てて自分の席を飛び出して、キミの隣で心配そうに寄り添う。そしてお腹を押さえるキミの手に、自分の手をそっと重ねて優しく囁いた。


「大丈夫ですか? 痛むんですか?」

「大丈夫、ちょっと胃が痛くなっただけだから」

「ごめんなさい。昌高さんはミトンさんのことが好きなのに、不安を煽るようなことを言ってしまって……」

「いいよ、いいよ、本当のことだから。ありがとう、心配してくれて」


 そう言ってキミは、心配そうに見上げる利子に優しく微笑みかけた。

 さすがに見ていられなくなったあたしは、キミに向かって声を荒げる。


『ちょっと、ちょっと、何やってんの。ちょっと優しくされて、また気持ちが揺らいじゃってんの?』

(そんなんじゃないですよ……)

『もう、見てらんないよ。これじゃ、どう見ても仲のいいカップルだよ』

(だから違いますって。きっとリコだって、そんなつもりじゃないですよ)

『どうだか。本当は今でも、虎視眈々と狙ってるかもしれないじゃない』

(…………)

『ねえ、何とか言いなよ』


 必死に弁解していたキミは、とうとう返事もしなくなってしまった。

 キミを怒らせたかったわけじゃないけど、あたしには仲睦まじく見えちゃったんだから仕方がない。見せつけられてるあたしの身にもなって欲しいよ……。

 ボックス席に隣同士で、手を取り合いながら見つめ合うキミと利子。そのままあたしのことなんて気にもかけずに、二人は会話に花を咲かせる。


「咲良さんて、優しいね」

『なにそれ、あたしへのあてつけのつもり?』


「それにしても、振られた後の方がこうして昌高さんと楽しく会話できるなんて、皮肉なものですね」

『そんなこと言っちゃって、本当はそれも作戦なんじゃないの?』


「え? あ、ごめん。振っておきながらデートみたいなことに付き合わせるなんて、デリカシーなくて……」

『キミはあたしに対してもデリカシーなさすぎだよ』


「私の方こそごめんなさい。そういうつもりで言ったんじゃないですよ。ただ、ひょっとしたら人と人って、自然とちょうどいい距離感に落ち着くものなのかなって」

『どういう意味?』


「どういう意味?」

『ちょっと、真似しないでよ』


「私と昌高さんはこんな感じの、ほどほどの友人関係がピッタリなのかもしれないってお話ですよ」

『本当に友人のつもりなのぉ……?』


 二人の会話に一々毒づいてしまうあたし。自己嫌悪だ……。

 これが無関係のカップルなら微笑ましく眺めてあげられるけど、さすがにキミが絡んでいたら無関心じゃいられない。

 なんだかヤキモチを妬いてるみたいで腹立たしいけど、これはキミと三都美との仲を心配してのことなんだからね!


 思わずあたしはキミの頭をはたく。しかしその手はキミの身体をすり抜けて、ただの素振りに終わった。久しぶり。

 けれどもその拍子に、あたしは気付いてしまった。窓の向こうからじっと見つめるその視線に。


『キミ、キミ。ちょっと、窓の方見て。早く!』


 そこには三都美が立っていた。

 三都美はキミと目が合うと、皮肉めいた笑顔を見せて大きく口を開く。

 店内には三都美の声は聞こえない。

 それでも、三都美が何を言ったかぐらいはわかる。読唇術なんて必要がないぐらいに、一音一音を大きな口で示したのだから。


「な・か・い・い・ね」


 それだけを告げると三都美は再び笑みを浮かべて、キミに向かって手を振りながら去って行った……。

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