第二章 二学期のこと

第15話 二学期は憂いと共に

 ――昌高と三都美は相変わらず気まずい関係。けれど仲直りのきっかけなんて、意外とあっさりとした形で訪れるものだ。


 廊下を曲がったところでの鉢合わせ。そんなありふれた偶然のお陰で、昌高と三都美の最接近距離は更新された。飛び込んできた三都美を、昌高がその腕でしっかりと抱きとめたからだ。

 思わず三都美は短い声を漏らす。


「あっ……」

「大丈夫か?」


 見上げる三都美と、見下ろす昌高。抱きしめ合ったまま、二人の視線が絡んだ。

 そのたった一瞬で、お互いの想いは通じ合う。今まで二人を煩わせていた物事の全てが、ただの誤解だとわかり合えた瞬間だった。

 さらに腕に力を入れて、三都美を抱き寄せる昌高。三都美も素直に、昌高の胸に顔を埋め――。




『はい、はい、はい、そこまで。また調子に乗って、どさくさに紛れてあたしと抱き合うとか……。こんなもの書いてる暇があったら、ちゃんと仲直りしなよ』

「出来たら苦労しませんよ。ああ、小説なら簡単に仲直りできるのになぁ!」

『今日から新学期ですからね。まずは学校に行きましょう、昌高さん』


 今日から二学期。まるで、前から一緒に登校してたみたいにリコも付いてきた。

 キミは学校近くにかかる橋から川を見つめつつ、小説ノートにペンを走らせては溜め息をつく。

 リコはそんなキミを気遣いながら、優しく慰めの言葉を掛ける。


『溜め息をつくと幸せが逃げるって言いますよ? 元気を出してください』

「そういう慰めは、逃げる幸せが残ってる人に言ってください」

『キミはもう落ちるところまで落ちたんだから、深呼吸でもして幸せ吸い込みなよ』

『ミトンさんは、もう少し言い方を……』


 そんなキミに怪訝な目を向けながら、通学中の生徒たちが通り過ぎていく。

 なにしろこの川は、鼻をつまみたくなるほどの異臭を放つドブ川。みんな足を速めてさっさと渡っていくような場所だ。ましてや欄干に頬杖を突いて、物思いに耽るような場所じゃない。

 しかもキミは、さっきから辛気臭い顔でブツブツ、ブツブツ。こんなところで悩んでたって、何も始まらないのに……。

 そんな独り言をつぶやくキミに、心配そうにリコが声を掛けた。


『自殺でもしそうな深刻な顔で文章を書いてるから、みんなから遺書だと思われてるんじゃないですか?』

(こんな膝ぐらいの深さしかないドブ川じゃ、身投げしたって死ねないよ)


 リコは本気で心配してるみたいだけど、キミのこの程度の落ち込みは珍しくもなんともない。あたしはもう慣れたよ。

 そんなキミには、慰めよりも発破をかける方が効果的。あたしは気合いを入れるために、キミのお尻を力いっぱい叩く。もちろん空振りだけど……。


『もたもたしてたら遅刻するよ? まずはあたしと顔を合わせて謝れば、すぐに仲直りできるって。さぁ、出発進行!』

『そうですよ、学校に行ったらきっと良いことありますよ。私だって、首を長くして待ってるはずですから』

(泥沼と修羅場の想像しか出来ないんだけど……)


 あたしとリコの言葉に背中を押されて、キミはやっと登校した。

 昇降口で上履きに履き替えて校内へ。そして教室へ向かうために階段を上っていると、偶然にも踊り場で三都美と鉢合わせした。

 思わずキミは短い声を漏らす。


「あっ……」


 いくらキミが電話をしても出てくれなくて、三都美とはずっと音信不通だった。それでキミは一ヵ月以上も悩み苦しんだのに、登校してわずか一分で再会が実現するなんて……。

 あたしは思わず、さっきの『仲直りのきっかけなんて、意外とあっさりとした形で訪れるものだ』のフレーズを頭に思い浮かべた。

 だけど……。


 ――ぷぃっ。


 まさにそんな音が聞こえてきそうなほどの勢いで、頬を赤らめた三都美はキミから目を背けた。そしてそのまま、三都美は階段をスタスタと降りていく。

 キミは一人、踊り場に取り残された。


『やっぱりキミの小説は実現するよね、部分的に……』




 二学期の始業式を終えて、教室に戻るとホームルームが始まる。そこでは新学期恒例の席替えが行われた。


『あれ。今回は黄金の右腕とやらは登場しないの?』

『神の宿る右腕じゃありませんでしたか?』

『そう、それ。一学期早々の席替えで、この人がくじを引くときに使ったやつ』


 一学期の席替えの時は、中二病満載の文章でペンを走らせていたキミ。だけど今回は手が止まったまま。

 そんなキミは、あたしたちの雑談に苛立ったらしくて声を荒げた。


「ごちゃごちゃとうるさいな、二人とも」

「うるさいのはお前だ。那珂根!」


 またもやキミは頭で出席簿を受け止める。見事なまでに一学期と同じ始まり方。

 席替えの結果も同じなら良かったんだけどね……。

 小説を書かなかったせいかどうかはわからないけど、今回の席替えでキミと三都美は離れ離れ。さらに不幸なことに、智樹と三都美が一緒の班になってしまった。

 だからキミは、これほどまでに苛立ってるのかもね……。


「はぁ……………………」


 キミは肺の空気を全部吐き出すほどの、深い深いため息をつく。

 その直後、後ろの席から背中をつつかれて、キミは「はうっ!」という大きな奇声を教室に響かせた。

 睨みつける先生に、忍び笑いのクラスメイト。キミが身を縮めると、背後の犯人から声がかかる。


「ごめんなさい。でも、どうしたんですか? 昌高さん。何かあったんですか?」

「何もないよ。むしろ、何もないからこその溜め息だ」

「そう……ですか」


 キミの後ろの席は利子。必然的に同じ班。

 利子との会話もこれが海以来だけど、こっちは消極的な音信不通だった。

 海ではあんなことがあったから、利子への返事はうやむやになったまま。夏休み中に何回かあった電話にキミは飛びついたものの、それが利子からだとわかるとそのまま切れるまでほったらかしにした。


「じゃぁ席替えも終わったところで、次は文化祭の出し物の話し合いに移るぞ。クラス委員、あとは任せた」


 先生の指名でクラス委員の二人が前に出る。言わずと知れた三都美と智樹。

 さっそく智樹が教壇に立って、議事進行を務める。


「それじゃぁ、文化祭の出し物の案があったら手を挙げて言ってくれ。ただの喫茶店とか、お化け屋敷とかは無しな。捻った案を頼むぞ」


 出された案は黒板に三都美が、カツカツと音を立てながらチョークで書き記していく。その文字は前に手紙で見た、少し丸くて可愛い文字。

 仲睦まじく議事を進行する二人に羨望の眼差しを向けながら、キミはまたしても大きなため息をついた。


(はぁ……。クラス委員になれていれば、今頃はあんな風に……)

『だから、終わっちゃったことは仕方ないじゃない。あの時のキミは、できる範囲で頑張ったってば』

『ふふん。私は一票入れましたからね、昌高さんに』

(いや、入れたのは咲良さんでしょ。でもなんというか、まぁ、ありがとう)


 キミはついこの間まで、立候補するんじゃなかったーとか、選ばれなくて当然だったーとか、そんな消極的な言葉ばっかりだったのに、ずいぶんと向上心が芽生えたもんだね。

 でもやっぱり、どこか他力本願なイメージは拭えない。


『それよりもどうすんの? 咲良さんへの返事は。断るんだよね?』

『ちょっと待ってください。昌高さんの意志を尊重するって約束じゃないですか』

『んー、でも返事はさせなきゃ。もう一か月以上もほったらかしにしてるんだし』

『それは確かにそうですけど……。私の方はいくら待たせても構わないですから、納得のいく結論を出してくださいね、昌高さん』

『あー、リコったら、なんか善人ぶっちゃって。この! この!』


 あたしはリコの柔らかい頬っぺたを、プニプニと摘まんでみせる。

 この世界の物には触れないけど、小説の登場人物のリコは別。あたしは温かくて心地いいその感触を、ウットリしながら楽しんだ。

 そんなあたしたちのじゃれ合いを疎ましく思ったのか、キミは叫び声をあげる。


「あぁ、もう、黙っててくれないかな!」


 また声に出すとか、いい加減キミも学習しようよ……。

 静まり返ったクラス中の視線は、全てキミへと集まった。

 キミはその気まずさから、一瞬で顔を真っ赤に染める。そしてバツが悪そうに、ぼそぼそと苦し紛れの言い訳をした。


「ごめん、独り言……」


 まったく、どんな独り言なのよ……。

 それでもキミは、そのまま机に突っ伏して無視を決め込む。何が何でも独り言として、強引にごまかすつもりらしい。

 だけど智樹がそれを許さなかった。


「昌高、案があるなら言ってくれよ。黙ってろとかいうぐらいなんだから、名案があんだろ? ほら、早く」


 智樹の口元には意地悪そうな笑みが浮かんでいる。議事の妨害をしたキミが責められるのは仕方ないけど、あたしは智樹の言動に悪意を感じた。

 腕組みをしたまま、ジッとキミを睨みつける智樹。どうやらキミが何か案を出すまでは、議事の進行を止めるつもりらしい。

 すると、つまらない会議を早く終わらせたいクラス中のみんなが、それを妨げるキミを非難する空気になってしまった。

 キミはクラス内で完全に孤立した……。


「……昌高さん、私に案があります……」


 背後から定規で背中を突いて、利子がキミに小声で呼び掛ける。

 そして振り返ったキミに、利子は小さく畳んだ手紙を差し出した。

 キミは智樹を気にしながらも、利子から受け取った手紙を開く。そこにはこう書かれていた。


『男女逆転喫茶店なんてどうでしょう。男性は女性に、女性は男性に扮して喫茶店をやるんです』


 本来は自分で発表するはずだった利子の腹案。手紙にはそれが、綺麗な字で丁寧に書き記されていた。

 余裕のないキミは、利子から伸べられた救いの手を素直に掴む。キミは手紙の内容を、そのまま智樹への回答として発言した。


「じゃぁ、男女逆転喫茶店で……」

「なんだ、それ?」

「男は女装して、女は男装して喫茶店をやる」


 キミはすまなそうに、後ろの利子に小さくうなずいてみせた。

 利子も満足そうな笑みをキミに返す。

 だけど智樹は、まだキミを許すつもりはないらしい。


「服とかどうすんだ? 俺は女物の服なんて持ってないぞ。案を出す以上は、それぐらいの対策も考えてあるよな?」


 智樹は意地悪く、キミに質問を繰り返す。

 提案はしたんだから、もう許してあげてもいいじゃない……。

 温厚なあたしでさえもいい加減腹が立ってきたところに、現実の利子が手を挙げてキミの発言を補足した。


「制服を交換したらいいんじゃないですか? 男子と女子で」

「なるほどね……」


 またしても利子に助けられたキミ。

 利子のアイデアを聞いた智樹は、キミへの追及の手を止めた。そして今の案が書き加えられた黒板を眺めながら、智樹がポツリとつぶやいた。


「もうそろそろいいかな……」


 男女逆転喫茶店。

 仮装クレープ屋。

 お化け屋敷バトルフィールド。

 人間もぐらたたき。

 ロミオとジュリエット(5vs5)。

 謎解きスタンプラリー。

 三都美によって書き出された案の数々。意味不明なものも少なくない。


「じゃぁ、案も出尽くしたみたいだから、希望順位決めるぞ!」

「今から紙を配るんで、黒板に書いてある候補の中から、やりたいと思うものを二つ書いてくださーい。来週開かれる文化祭実行委員会で、出し物が被らないように調整の話し合いが行われまーす。この投票で提出する希望順位が決まるんで、みんなちゃんと書いてくださいねー」


 智樹が大声で要点を告げて、三都美がわかりやすく丁寧に補足する。

 特に示し合わせるわけでもなく、ごく自然で息もピッタリ。こうしてみると二人は見た目だけじゃなくて、性格もお似合いなんじゃないかと思えてしまう。


『私はお化け屋敷バトルフィールドに一票です。お化け屋敷の順路を巡りながら、事前に渡された光線銃で迫ってくるキャストを撃退するなんて楽しそう』

(いやいや、それは参加する側の感想でしょ……)


 投票権もないのに、出し物の案を眺めながらリコがはしゃぎだす。

 それに比べてキミのテンションは激低だね。

 三都美との仲が険悪なままじゃ、テンションだって上がるはずもないか。しかもキミの目の前で、三都美と智樹がその仲の良さを見せつけているんだから。

 って、キミのことは言えないね、そういうあたしも……。


『ミトンさんなら何に投票しますか?』

『…………』

『ミトンさん、ミトンさんってば?』

『え、あ、あぁ……ロミオとジュリエット(5vs5)ってなに?』

『五人のロミオと五人のジュリエットの、集団見合いからの泥沼愛憎劇だそうです。クラスのみんなに役を与えるための、出演者を増やす苦肉の策なんだとか……』

『そうなんだ……』


 結局キミは利子に助けてもらった案の、男女逆転喫茶店だけを書いて提出した。

 そして開票作業が始まる中、キミは後ろの利子に改めてお礼の言葉を述べる。


「咲良さん、さっきはありがとう。助かったよ」

「いいえ、どういたしまして。昌高さんのお力になれて良かったです」


 優しく微笑み、恩を着せるでもなく献身的な利子。

 そしてなぜかリコが得意満面になって、こっちはキミに恩を着せる。


『昌高さん、どうかご褒美として、現実の私もリコって呼んであげてください』

「いや、それは無理だから」

「なにが無理なんですか? やっぱり昌高さんって、何か見えてるんじゃ……」

「見えない、見えない、なんにも見えない。ただの独り言だよ。それより咲良さん、例の返事なんだけど……もう少し待ってもらってもいいかな?」


 え、キミ……何を言い出すの? ひょっとして迷ってるの?

 でも、普通に考えたら仕方ないよね。三都美とは見通しが暗いし、すぐそばにはキミを思ってくれてる人がいるんだから……。

 焦るあたしをよそに利子はニッコリ微笑んで、たぶんキミにとって一番望ましい言葉を返した。


「はい、大丈夫ですよ。私はいつまでも待ってますから」


 いつもキミに言ってる『圧倒的不利なんだから危機感を持たないと』っていう言葉は、そのままあたしにも当てはまることを痛感した……。

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