訓練場で軽い運動

どうしてこうなった。

稲元潤の対応が以前より変わっている。


「ねえねえちぃちゃん、おねぇちゃんがご飯食べさせてあげよっかー」


朝食の時間である。

俺の隣に座る稲元潤がめろめろな状態でそう言って来る。


「なんでだよ嫌だよ」


俺が訝しげな表情を浮かべているのにこの人はすごい笑顔だ。

こんなに笑うのって、中々ないんじゃないか?

俺がいつも見ていた彼女の笑顔はどちらかと言うと魔性の女って感じなのだが。

今の彼女は何ていうか家族に対して親しみを込めた笑い方のように思えた。


俺に対して急激に打ち解けているような感覚があった。

これはこれで十分に嬉しいことだが、しかしここまで急激に態度が変わると少しだけ警戒心を抱いてしまう。


いや、決して悪くはない状況だとは思うのだが。

それでも限度というものがあるだろう。


「ご飯食べさせてあげるー、はい、あーん」


「やだよ、なんで納豆なんだよ、他にも総菜があるだろ、その中で納豆を選ぶのもおかしいだろッ」


なぜそれを選んだのだろうか、全然理解できない。

この人は、もしかしてブラコンとかそんなのだろうか。

だとしても、これは少し異常過ぎるし、赤の他人に対してこの反応はやはり異常過ぎる。


「おやおや…これはなんとも、仲が宜しい事で」


「…」


そして俺はテーブルの前に座る二人を見る。

和やかな表情をしているが、その目は冷めている。

このような感情が読み取れる視線。

一体何を意味するのか…展開は意外と早くなりそうだ。


「姉さん」


と、御木本ハンナが稲元潤に話しかけて来る。


「今日の予定ですが、今期の予算について少しお話があります」


「今期の?しょうがないなぁ…、じゃあ、またね、ちぃちゃん」


そう言って名残惜しそうに離れていく。

俺は落ち着いて食事が出来ると思った矢先。

忠国伊月は立ち上がり俺の方を向いた。


「どうやらお前は姉御の感性に…ツボに嵌ったらしい」


なんだか苛立っているのかこちらに牙を見せる忠国伊月。

余程、俺のが気に食わないらしい。

話しが早くて助かる。

手錠を揺らしながら、俺は立ち上がる。


「俺はみんなと仲良くしたいだけなのにな」


白々しく言いながら俺も立ち上がる。


「付いてこい、遊ぼうぜ?」


そして俺は忠国伊月に連れられてその場から去る。

宿舎から離れると俺たちは訓練場へとやってきた。

訓練場は二種類存在する。

グラウンドと室内での運動施設の二つが存在した。

俺達が移動したのは遮蔽物の無い平坦なグラウンドだった。

ここで何か騒動でも起きれば隠れる場所がないので見つかりやすい。


此処を選んだという事は大げさにするつもりはないのだろうか?

俺はそう思いながら忠国伊月を見ていた。

忠国伊月は体を軽く動かしている。


俺はただ立ち尽くしているので、それを見かねた忠国伊月が声をかけた。


「軽い運動さ。手を合わせみたいなものだ。だからといって多少ストレッチをしておかないと酷い目になるかもな?」


とそう忠告してくる。

俺はそれを受け入れて軽く体を動かすことにした。

警戒しているのは彼が俺に対して運動中ストレッチ中に攻撃をしてこないかという不安だけだった。

だが意外に彼は俺の運動に対して何か妨害するようなこともなく黙って見つめていた。


十分に体を動かしたところで俺は体をあげて忠国伊月の方を見る。


「準備運動は終わったぞ」


そう言うと忠国伊月は首を鳴らした。


「そうか、じゃあ遠慮なくで出来るな?」


そう言って忠国伊月は俺の方へと走り出す。

俺は拳を構えたまま忠国伊月の行動を見ていた。

単調な走り出し、しかし早い。


だが化物と戦ってきた俺にとってはその程度の行動は容易い。

簡単に予測、目で追える事が出来る。


化物と戦ってきた経験が、俺の直感を強化していた。

そう簡単にやられはしない。


相手の拳が俺の顔面を殴ろうとする。

俺はそれを目で見て腕を回し、その攻撃を弾いた。


次に蹴りが向かってきたので俺は自らの足を上げてその攻撃を防御する。

相手の運動神経は抜群だ。

攻撃は単調的だけど、その分威力がある。

まともに食らったら即座にノックアウトされるだろう。


忠国伊月は気分が乗り出したのか、「やるじゃないか」と喋ると共に彼は大きく後退した。


「動きが手馴れてるな。伊達に化物と戦ってきたわけじゃないか」


納得するように頷く。

少なくとも人間相手に負ける気はしない。

化物の方がいくらか強い。

その恐怖心も、人間よりも薄く、彼には感じない。


それもそうだろう。

今この現状では死ぬ確率が極端に低いのだから。

攻撃で、多少体に痛みが過るだろうが、痛みは我慢すればいいだけの話だ。


俺は死なない恐怖がある分、動きやすい。

両手を構える、忠国伊月はそんな俺の姿を見て、うんうんと頷いた。


「そうでなくちゃなぁ…姉御に弟と認定されたなら、それ以上の力がないとな?けど、知ってるか?あいつは最初は誰でも弟と妹、兄貴姉貴と認定するものなのさ。けどな、うまく演じなければそのままグレードダウンしちまう」


そう言うと共に忠国伊月の動きが変わった。

急に腰を低くしたと思えば彼は手足を使い地面を蹴り、俺のもとへと向かいその牙を俺に剥いた。


鋭い牙が俺の首筋に狙って走ってきたのだ。

俺は驚きとともに後退してその攻撃を回避する。

忠国伊月は攻撃を回避されたと認識したのか即座に体をくねらせて踵で俺の腹部を蹴った。


俺は痛みに顔を歪ませながら後退する。

彼は手足を使い地面に立つ。

まるで獣のように俺に牙を向けている。


「俺は格下に落ちていき、そして犬にまで落ちた、分かるか?、俺は家族になる為に、何年も犬として扱われたんだよ」


…犬?

こいつ、一体、何を言っているんだ?


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