彼女の目的

ひどく、頭を犯された様な変な気分だ。

気持ちが悪い。

頭が割れそうだ。そこから、子供を産んでしまいそうな感じ。

そう言っても差し支えない状況だった。

俺はその状態で自らの力で立ち上がることができないことを察知すると、その近くにある杖を掴んだ。


「ぐ、ふぅ」


力を込めて立ち上がると、俺はそれが化粧台であることを理解した。

鏡から、自らの顔を見る。

俺の表情は青ざめていた。

今にでも死んでしまいそうな病人の如き表情をしている。


こんな状況ではあるが、俺はだんだんと頭が冴えてくる。

依然、頭が痛いことには変わりないが、それとで何も考えられなかった状態よりかは遥かにマシだった。


しかし、迂闊だった…。

稲元潤が俺の方へと接近してくるなんて思ってもみなかった。

あの時、彼女が俺の側へと近づいた瞬間、その時からすでに彼女の術中に嵌っていたのだ。


稲元潤。

特殊体質を持つ狩人。

彼女は班長であり、死骸地に近い為周辺や死骸地による仕事が多く、医療機関の開発した医薬品を服用して仕事を受けている。

その薬を服用し続けた結果、彼女の体は薬品に対して絶大な耐性を持つ様になった。


大気汚染による瘴気。

ガスマスクなどなくても、活動が出来る。

それは羨ましいとは思わない。

薬の服用によって得た副作用であり、薬品に対して耐性を持つと言う事は、逆を言えば肉体を治癒する薬品も効かないと言う事なのだ。

医療機関が作った細胞活性化の薬など、彼女には効かない。

ちなみに、この世界での狩人は細胞活性化の薬を服用し過ぎている為に、細胞活性の薬が効かない人間が多い。

長年、戦闘を繰り広げていれば、細胞活性の薬に手を出す事がある。服用のし過ぎで、あまり効かなくなると言う欠点があった。

だから、基本的には薬に頼らず、もしもの時以外では自然治癒で治した方が都合が良いのだ。


…話が逸れた。

今はそんな蘊蓄はどうでもいい。


しかし、彼女に対して対応が遅れてしまったのは、これは仕方が無い事だろう。

何故ならば、原作では主要人物や化物と言った話の中心にある人物には立ち絵が存在する。

百槻与一や霧島恋は存在するが、一部人間に対しては立ち絵など与えられないのだ。

稲元潤は立ち絵の存在しないキャラクターであり、字分でしか、その情報は書かれてなかった。

だから彼女の姿を見るのはこれが初めてだったのだ。

俺が彼女の警戒するのが遅れてしまったのは、それが原因だった。


「…けど」


改めて思うが、稲元潤は何故俺と接触してきたのだろうか?

確かに、俺は霧島を助けた。

それが、関係者だからと思われたのか?


「…くそ」


頭を巡らせるが、まだ、頭痛がする。

深い思考は痛みを生むようだ。

とりあえず、俺は、周囲を見渡した。

何故俺が拉致されたのかは分からない。

けれど、拉致される程の理由が存在する。だから俺は身柄をパクられた。

それだけは明白だ。

何か被害が起こる前に、ここから脱出しよう。


俺は懐を調べる。

何故かシャツが裏表逆になってたり、ズボンのチャックが開かれていた。

チャックを上げてポケットを確認する。

しかし、スマートフォンも修行奇具も持ってない。

俺が気絶している間に盗まれたか。


「(チッ)」


俺は内心舌打ちしながら周囲を見渡す。

部屋の中はダブルベッドがひとつ、化粧台、床はカーペットが敷かれている。

カーテンを開くとそこから見える景色はとにかく高かった。

地面が遠く見えて、人や車が動いていた。

どうやら、察するに、ここはホテルの一室であるらしい。

他にも周囲を見渡してみると、扉がある。が、おそらくは鍵がかかってるだろう。


ならばどうするか…。

俺は窓の方を見た。

脱出するならばココしかない。

俺は化粧台の椅子を持つ。

これを使ってホテルの窓を叩き壊す。

そして外から外へ脱出する。


「…よし」


なんだか…頭が痛いせいか、行動が単調的だと思う。

いや、気のせいだ。気のせい。俺は頭が冴えている、と思いながら椅子を振り上げた瞬間。


扉が開かれた。


「あれー?何してるの?」


俺は扉の方を見た。

稲元潤だ。髪の毛を拭いている。

黒い下着姿な彼女は俺の方を見て頷いた。


「あー、もしかして窓ガラスに割って外に出ようとした?やめなって、危ないからさ」


くそ。

何だってこの女は常識的なことを言うんだ。

俺を拉致したくせに。


「俺の狩猟奇具とスマートフォンは!」


そう叫ぶ。

俺は椅子を離さず彼女に構えている。

少なくともこの椅子だけが俺の武器であった。


「あー、返す返す、もう要件は済んだし…まあ、ちょっと話でもしない?」


「話って何をだ、あんたの目的は、一体何だ、俺をこんな所に連れて来てッ」


柔らかな表情を浮かべる彼女は、次第に口を歪ませた。


「…きゅー…」


海豚の様な声を漏らしている…笑いを、押し殺しているのか?


「何が目的?そんなの決まってるでしょ?」


彼女は、ベッドの上に投げ捨てておいた細長い煙草を口に咥えると火を灯す。


「キミは霧島ちゃんの大切な子なんでしょ?」


霧島恋を…?

やっぱり、この女、まだ霧島に執着しているのか?

そんなわけないだろ…だってあんたは、もう恨みなんて無いだろ?

恨むのなら、霧島じゃなくて七原じゃないのか?


確かに彼女は霧島に対して嫉妬していた。

それは、この女が独占欲の高い女で、自分から誰かが離れていくのが嫌だったからだ。

だけど、離れようとする霧島が、本当に七原の方に行くと思ったから、彼女を失うくらいならば、七原を貶める為に、彼女を制裁する為に、商業ビルへと向かわせた筈だ。


彼女の考えとしては、彼女を向かわせ、七原に迷惑をかける事で、霧島が移籍する話そのものを無かった事にして、彼女を再び迎え入れよう、と言う算段だった筈。


そして、本来のルートならば霧島の死後、七原も稲元もショックを受けていた筈。

それによって後がないと思い、地区長になるべく道を進んでいたのだ。


けれど、彼女が生存した事により、七原の移籍に対する誤解は解けた筈だろ?

なのに、これ以上、一体何を、彼女に求めるって言うんだ?


「霧島ちゃんはね?本来私の班なのに…彼女ね、七原の方に靡いたの」


霧島が、七原に?いや、そんな筈はない。

だって、あのイベントが、現在に繋がっていたとしても、まだそのイベントは先だった筈だ。

彼女と七原の設定はまだ明かされていない筈だろ。


「霧島ちゃんね、私の所に来て、わざわざ脱退させて下さいってお願いして来ちゃってぇ…なんで、私の班から抜けるか聞いてみたら…あなたが関係してるって」


…俺が?俺が一体、何に関係してるって言うんだ?


「怪我をした貴方の治療費を払う為に、七原の班に入ったって」


…あ、そうか。

俺の治療費、霧島が払ってくれたんじゃない。

彼女は俺の怪我を直す為に、稲元潤との縁を切って、七原の班に降ったのか。

七原が俺の治療費を払ったのか。


…と言う事は。彼女はまだ恨んでいる。

そうなると、『地区戦争編』が、始まる可能性がある。


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