6話 戯れの幼獣

「……そうですね、友達は、大事です」


「でしょう?」


「でも、身分に配慮するのも――」


 はと面を上げる。王妃の反応を気にして――ではない、窓の外からを揺るがす咆哮が聞こえてきたのだ。


 聞き覚えがある。研究の時も休息の時も、憚ることなく臓腑を揺るがす低い音。それが鳴るのは、決まって異常事態が発生した時のことだった。


「竜だ」


「竜?」


 首を傾げる王妃。


 窓の外を窺うと、眼下に広がる訓練場でちょうど竜が暴れている最中だった。


 深緑のうろこにコウモリと似た翼。シュティーア王国軍において馬以上の価値を誇る生物だ。乗り物としても武器としても、大きな戦力として数えられる。


 それが暴れようものなら、いくら広々とした訓練場といえど怪我人が出かねない。小石一つが跳ねるだけでも、竜の力にかかれば武器になりえるのだから。


 背に乗せたくらにヒトの姿はない。どうやら指揮下から離れてしまったらしい。


 力強い羽ばたきと砂埃すなぼこりとともに舞い上がる巨竜。窓をかすめる緑の鱗。ガタガタと揺れるガラスは今にでも外れてしまいそうだ。


「あらあら、大変!」


「下がって!」


 いても立ってもいられなくなったプランダは窓を開け放つ。羽ばたきの余波が研究室を駆け巡り、書類と埃を巻き上げる。


 口の中で短く詠唱する。


 応えた魔力が急速に風を作る。


 髪も服も、腕も足も、全身のありとあらゆる箇所に感じるのは独特の浮遊感。


「――フッ」


 欄干らんかんを蹴る。


 身体は地面に叩きつけられることなく、風に乗って上昇する。


 上層階の窓を超え、屋根を超え、普段では絶対に見ることのない景色を眼下に捉える。


 プランダより先に上空高くまで舞い上がった竜はひどく興奮しているようで、プランダの姿を捉えるなり、一つ吠えた。


 威嚇――のようにも見えたが、よく見れば表情が柔らかい。どうやら遊びに誘っているようだ。


(こいつ……まだ小さいわね。幼獣かしら。それとも大人になったばかり? いずれにせよ訓練が行き届いていないなら、余計に刺激をしない方がいいわね。――焦るな)


 目を見つめながらゆっくりと、じりじりと距離を詰めようとすれば、竜はいっそう嬉しそうに目を細めてプランダの周りを巡った。


 舞い上がる風がプランダの姿勢を崩す。


「っ、大人しくしなさい! あなた、訓練を抜け出してきたんでしょう。戻るわよ」


 竜はしばし抵抗を続けていたが、やがてプランダの説得を受け入れたようで、大人しく手綱を握らせてくれた。


 きゅんきゅんと喉を鳴らすのは非難の証なのか、それとも単に甘えているのか。


 竜の生態に明るくないプランダには計りかねるが、怒っていないことだけが救いだった。


 手綱を引き、ゆっくりと地上へと降り立つ。


 足の裏が地面へと触れた途端、どっと全身が重くなる。魔力切れのようだ、


(こんな時に『魔力の結晶』があれば便利でしょうね。足りない魔力分を結晶から補填して、そうすればもっと長く、もっと楽に飛んでいられるはず。そうしたら他の部分――たとえば身体強化とか、他の魔術に気を配る余裕もできるわ。建設現場でも役に立てるかも)


 まだ飛び足りないのか、くいっと手綱を引く竜。


 息を整えながらいなしていると、砂をなじる音が近づいてきた。


「あー、すんません。そいつ、かなりのじゃじゃ馬で」


 そう声を掛けてきたのは、竜の持ち主であるらしい少年だ。茶色の髪を後ろで一つにくくり、見上げる目は小生意気な三白眼。まだ兵士にすらなっていないのか、皮の下履きすらまとっていない。


 プランダから手綱を受け取ると、少年はじろじろとプランダを眺め始めた。


 山奥でもあるまいし、魔術士など珍しくも何ともないだろう。睨み返すと、少年はぴくりと眉を動かして「あっ」と声を洩らした。


「アンタ確か『遅刻常習犯』だろ? 先輩と話してんの見たぜ。研究室に入ってるのはお堅い連中ばかりだと思ってたけど、アンタみたいなのもいる――」


「まーたお前か、クソガキ!」


 鋭いげんこつと共に割り込む、獣人の男。


 名を、確かブリッツ・ルットマン。竜騎兵隊の訓練を担うネコ族だ。


「ブリッツ教官」


「ああ、お嬢。うちのが悪いな、助かったよ。ほら、お前も謝るんだよ、ユリウス!」


 ぐいぐいと、『ユリウス』と呼ばれた子供の頭を押し込む教官。子供は文句を口にするが、抵抗をするだけ無駄と悟ったのか、すぐに大人しくなった。


「何があったんです、竜を放すなんて」


「いやぁ、こっちもいろいろあってな……」


 ちらりと、男は背後を窺う。よく見ればそこには、つい先程、王妃との会談の中で話題に上がった魔族の王の姿があった。


 我が国の食糧事情は一刻を争う――そう述べたはずの彼を、いったいどのような経緯で無関係な訓練場に案内したのか。


 流石のプランダも呆れ返るところだが、王妃の言動を思い返して少し同情してしまった。王妃の件と同様に無理を言われたのかもしれない、と。

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