熟考と提案

 一朝一夕で効果のあるトレーニングなんてものはない。しかし、トレーニングを初めてから2週間は経った。

 彼らのトライアウトまでまだ時間がある。だが、彼らは独立リーク・ホワイトキャットの選手として来年から試合に出てもらう。

 リーグ開始前までとなると、あと4ヶ月。

 しかし、その前にオープン戦がある。さらにその前となると合宿。

 合宿にはジムは関わらない。

 だから合宿前には多少の成果が出るようにならないといけない。

「いっそのことフォームを変えるか?」

 鈴は湯船に浸かりながらそんなことを考えていた。

 今のままでは駄目。と、なると今を変えなくてはいけない。すると自然に頭に浮かぶのはフォーム。

「いやいや、駄目だ。下手にフォームを変えると余計におかしくなる」

 フォームを変えれば打てるとは絶対に言えない。

 打てるフォームがあるなら誰もがそれを実践している。

 フォームは人それぞれ。個人に合ったフォームがあるし、体に染みついたフォームはなかなか取れない。

「鈴、長い!」

 ドアの向こうで大輔が文句を言う。

「もう上がる!」

 鈴は声を張って答える。

 けど、まだ髪も体を洗っていなかった。

「さっと洗おう」


  ◯


 風呂上がり、スマホ画面を見ると7分前に小春から連絡が来ていた。

 通話ボタンを押すとすぐに繋がった。

「もしもし、どうしたの?」

『あっ、佐々木さん達の件でお話があって先程連絡しました』

「うん。で、何?」

『佐々木さん達ですがフォームを変えるというのはどうでしょうか?』

「ああ、それね。私も考えた。でも下手にフォーム変えすると大変よ。それに向こうが言うことを聞くとは限らないよ?」

 元メジャーリーガーだ。いちジムトレーナーにフォームを変えろなんて言われて素直に聞くだろうか。

『はい。でも、きちんと説明をしたら……』

「待って待って! 本気でフォームチェンジを言ってるの?」

 小春の声には先へと進むような意志があったので鈴は止めた。

『はい』

「いや、ちょっと、それはマジで待って。慎重に考えよう。私もね、それは考えたよ。マジで。でもさ、さっきも言ったように下手にフォーム変えると大変だよ。彼らは高校時代を含めると長い間野球をやっていたんだよ。体に染みついたフォームを変えるとなると大変だよ」

 もちろん、彼らが高校時代から同じフォームをしているわけではないだろう。何回かフォームを変えたこともあったはず。

 佐々木はメジャー一年目で変えたという話もある。

 けれど、「はい。それではフォームを変えましょう」で済む話ではない。

『分かっています。それで今の彼らにとってベストなフォームを提示するんです』

「ベストなフォーム?」

『はい』

 自信ある返答だった。

「へえ。どういうの?」

『先輩は言いましたよね。佐々木選手は筋力をつけよと』

「うん。今の彼に大事なのは当ててもゴロにならないよう飛ばすことだからね」

『ですのでパワー系のフォームはどうでしょうか?』

「パワー系?」

『はい。そして梅原選手はミート系のフォームはどうでしょうか?』

「ふうん」

『駄目でしょうか?』

 鈴は額を掻いた。

「それはちゃんと考えたフォームなの?」

『はい』

「彼らに説明できる? 納得させることできる?」

『自信はあります』

 鈴は一息吐き、

「……分かった。まずは彼らに説明するフォームを纏めて。そしてそれを明日の朝もしくは昼に見せて」

『分かりました。纏めておきます』


  ◯


 翌朝、ジムのトレーナー室に着くと小春がプリントを向けてきた。

「早いわね。もう出来ていたんだ」

「はい。先週あたりから考えていたんです」

 鈴はプリントに目を通す。

 そこにはおすすめフォームとその理由が書かれていた。

「どうでしょう?」

「……うん。すごくいい。これは彼らに勧めてみるのもありよね」

「何がいいの?」

 出社した菊池が二人に尋ねる。

「先輩、これなんですが」

 鈴はプリントを菊池に渡す。

 菊池は鞄を机の上に置き、渡されたプリントに目を通す。

「…………ん?」

 そして菊池は眉根を寄せた。

「どうしてフォームを?」

「それが佐々木さん達のフォーム変えを考えておりまして」

「あのね? フォームって、そうそう変えてはいけないものなのよ?」

 菊池は椅子に座り、足を組む。

「分かってます。でも、今の彼らでは……このままでは正直伸びません」

 そこで小春が「あの、これを見てください」とタブレット端末を菊池に渡す。

「成績?」

「はい。トレーニングの成果からわかる通り、フォームを改善しないと駄目だと考えております」

「で、これと」

 菊池はプリントを指で叩く。

「私としては真面目にこれが最適解と考えております」

「新人ちゃん、フォームっていうのは……そうだ、君は野球経験者だっけ?」

「はい。ですのでフォームについてはよく知っております」

 菊池は一息ついたあと、

「それじゃあ、とりあえず佐々木さん達に提案しなさい」

「はい」

 鈴と小春は頷く。

「ただ、拒否されたらすぐに辞退。絶対よ。いいわね?」

 菊池は真剣な顔で告げる。

「はい」


  ◯


 佐々木達がジムに訪れ、すぐに小会議室へ連れて行き、一月の予定表の提出と同時にフォーム変えの提案をした。

「はお? フォーム変えだ? んなもん却下だ!」

 真っ先に拒否を示したのは梅原だった。

「ですよね。でも、内容だけでも……」

「駄目だ! 駄目だ! 駄目だ!」

 蚊でも払うかのように梅原は手を振る。

「佐々木さんはどうでしょうか?」

 鈴は次に佐々木へと尋ねる。

 佐々木は先程から眉間に皺を寄せ、目を閉じている。

「あのう?」

「駄目だ」

 佐々木はゆっくりと首を横に振る。

「……そうですか」

 風船が縮むように鈴は落ち込んだ。

「では、正月明けのトレーニングについてですが──」

 菊池に言われたように鈴はすんなりと引き下がった。

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