経歴

 大北緑トレーニングジムでは各課で月曜日の朝に週一の朝礼が執り行われている。

 そしてその時間に棗小春がみなに紹介された。

「棗小春です。よろしくお願いします」

 と小春は皆に一礼した。それに周囲は小さめな拍手で応えた。

「それと皆にはもう一つ大事な話がある」

 課長が集まった皆の顔を見回す。

「実は元メジャーリーガーの佐々木吾郎選手と梅原圭佑選手が来季から独立リーグ・ホワイトキャットに入団することになった」

 課長は驚くだろうと社員を見るが、皆はさして驚いていなかった。

「昨日、そのお二人さんを見かけましたよ」

 1人のトレーナーが手を挙げつつ、苦笑しながら言う。

「私も見ましたよ。入口でファンにサインしてましたよ」

「俺もサインを貰ったぜ!」

 どうやら皆は彼らを目撃していたり、接触していたので驚いていなかったらしい。

「そうか。それで、この棗小春くんと御堂鈴くんが彼らの専属トレーナーを務めることになった」

『えー!』

 どうやらこれには驚きを得たようだ。

「どうしてですか? 選手が1人だけならまだしも2人ですよ。しかも元メジャーリーガー。それなのにどうしてこの2人を専属に?」

 二ノ宮剛が疑問を課長に聞く。

「あー、それは急なことなのでスケジュール的に問題のない2人を選んだんだ」

 11月からのオフシーズンに独立リーグ・ホワイトキャットの一部選手を大北緑ジムのトレーナー達は専属トレーナーとなり、トレーニングメニューを考える。

 すでに誰がどの選手の配属されるか決められていて、すでにトレーニングメニューも作成されている。

 それで急遽トレーナーとしててがわれたのが2人というわけだと課長は言う。

「……そうですか」

 二ノ宮はまだなっとるのいかないようだ。そしてそれは二ノ宮だけでなく、周囲のトレーナーもそうであった。

 いくらなんでも経験の浅い鈴と今日から働くバイトの2人が充てがわれるなんておかしくないだろうか。


  ◯


「私の隣の席を使って。パソコンはそれ。パスコードは……」

 鈴は机の引き出しを開けて、中に入っていたカードを取り出す。

「たぶんこれだと思う。ちょっと試してみて」

 小春は鈴からカードを受け取り、椅子に座る。そしてパソコンを起動させる。

 そしてパスコード入力画面にカードの八文字のアルファベットと数字を入力する。

 パソコンの画面は入力画面からトップページに変わる。

「開きました」

「それじゃあこれを」

 次に鈴は机の上にあるバックエンドに挟まれたファイルを抜き取り、それを鈴に渡す。

「これで……そうね。う〜ん……」

 鈴は腕を組み考える。

 バイトにトレーニングメニューを作れなんて言えないし、かと言って何をさせろというのか。

 悩んでいると菊池花から助言が、

「まずは2人の選手のデータを纏めさせたら?」

「そうですね。じゃあ、メジャー時代のデータを。ファイルにデータの纏め方とか書いてるからその通りに。バッターで大事なのはどの球種で三振を打ち取られたのかだからね」

「分かりました」

「鈴は曲田選手のデータをね」

「ええー」

「ええーじゃない。佐々木、梅原選手の前にさっさと前の仕事を片付ける」

「あ! でも、花先輩一人で大丈夫ですか?」

 曲田選手は独立リーグ・ホワイトキャットの投手で花と鈴が担当していた。今は鈴が元メジャーリーガーの担当となり、花だけが担当することになった。

「あんたが来る前は私一人で担当していたのよ。問題ないわ。むしろ、あんたが大丈夫なの? その2人は外野手よ」

「大丈夫です。いざというときに外野手のトレーニングメニューの勉強もしていましたから」

 そこへ課長がやって来た。

「御堂くん、トレーニングメニュー予定表は明後日までだから」

「ど、どうしてですか!?」

 鈴は驚き、立ち上がった。

「どうもこうも選手のトレーニングメニュー予定表提出期限は明後日までだからだよ」

「後では駄目なんですか?」

「当然だろ。決定された後でメニューなんて作れないだろ?」

「ええー!?」

「急なことだけど頼んだよ」

 と言い残して課長は去った。

 課長が去った後、小春が鈴に尋ねる。

「後では無理とは? それにメニュー予定表とは?」

「ええと、器具にも数があるの。だから皆が同じ日に訓練が出来ないの。で、各々メニューを作って、皆の予定表から誰がどのメニューをするのかを最終的に決めるの」

「なるほど。作って終わりではないんですね」

「そういうこと」


  ◯


 あれから2時間して、鈴は曲田選手用のトレーニングメニューを作り、それを花のパソコンに送信した。

 曲田選手のメニューは前回のメニューに、今季の成績を考慮して、新しいメニューを取り組めるだけだったので、そう時間を取ることはなかった。

「送りました」

「うん。受け取ったよー。……うん。オッケー」

「棗さん、そっちはどこまで出来た?」

「佐々木吾郎選手は5年分のデータの内、3年分を」

「早いね。じゃあ、私は梅原選手のデータを纏めるわ」

 鈴は梅原選手のデータを纏めようとするが、

「あれ? メジャーリーガーのデータって、どこ? 棗さん、どこからデータを取った?」

 今まではホワイトキャットのデータベースから選手のデータを取っていたが、今回は元メジャーリーガーである。メジャーのデータをどこから取れというのか?

「あっ、ここです。このサイトからデータが取れます。他にこことかも」

 小春が教えたサイトは個人が日本人メジャーリーガーのデータを細かく取っているサイトであった。

「あっ、ここね。ありがと」

「他にもニュースサイトのアーカイブからなら数年分の詳しい情報を数字ではなく文字で手に入ります」

「2人とも有名だからね」

 そして鈴は梅原選手のデータを取り始める。

「あれ?」

 梅原選手の今年を含めた5年分のデータを見て、鈴は彼の成績でなく、に驚いた。

 4年前の5月に試合中のフライ捕球の際、手首を折り、その年は治療に専念。次の年はリハビリをしてから6月に復帰。しかし、成績は不調。丁度、契約が切れてフリーに。日本に戻るのかと噂されたけど、なんとか他の球団に所属することになった。けれども成績は不調でシーズン後半からはスタメンからは外されることに。今年度は主に代打で出場。ただ打席は少なく、成績は不調。そして8月には戦力外通告を受けてしまった。

「これは……まあ」

 隣の花が鈴のパソコン画面を覗き込んで呟く。

「やっぱり、ひどいわね」

「やっぱりって、先輩、知ってたんですか?」

「正確には知らないけど、成績不振なのは分かってたわ。歳も歳だし、これは大変ね」

 梅原圭佑の歳は35だ。プロ野球選手としては野球以外のことを考える歳である。

 鈴にとって梅原はメジャーでも活躍したホームランバッターというイメージが強いため、ここ数年の成績と経歴には驚きを隠せない。

(そういえば大輔も成績がどうとかって言ってな)

 鈴はここ数年は仕事に忙しく、メジャーのニュースはテレビでしか知らなかったのだ。さらにスポーツニュースは活躍した時にしか報道しないのも情報不足の一つだろう。

「ねえ、佐々木選手はどう?」

 鈴は小春へ、佐々木選手の成績について聞く。

「……佐々木選手はここ5年はきちんと試合に出ていますのでデータはあります。でも……」

「でも?」

「成績は右肩下がり、今年に至ってはマイナー落ちですからね」

「へえ、マイナーだったんだ。知らなかった……って、41!」

 さらに佐々木吾郎の歳を知り、鈴は驚いた。

「故障した選手と歳をとったマイナー選手か。これは大変だねー」

 花は溜め息交じりに言う。

「うっ!」

「頑張りなさい」

 花は鈴の肩を叩いた。

 元メジャーリーガーで喜んでいたが、問題ありの選手となると気が重くなる鈴であった。花に叩かれて下がった肩はなかなか上がらなかった。

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