落ちゆく星々

岸正真宙

「やあ、タマキ」


 暑い太陽の光が降り注いでいた。私は手で日陰を目の前に作り、タマキに声をかけた。


「お、来た来た。なんでここに居るって、分かったの?」


 私はタマキの隣に腰を下ろした。潮の香りのする風が、まもなく来る夏の匂いを運んでいるような気がした。タマキの髪は茶色く光っていた。タマキは微笑んで、そうしてまた学校の屋上から見える海を眺めていた。


「跳んだら、タマキが見えた気がした。タマキは何をしてたの?」

「コウを見ていた」


 海風が、バサバサとタマキの髪をなびかせた。手でそれを制しながら、私に言った。私の髪は短く切り揃えているから、この風が汗をかいた首に当たって冷やしてくれた。さっきまでの部活のせいでシャワー後もまだ体温が高い。直ぐに汗が吹き出てしまう。私と彼女は違うように風を感じているのかもしれない。


「この街、最高だなー。東京よりずっといい。」


 タマキは海の空気をいっぱい吸い込んで、そう言った。


「ふむ、タマキに言われるまでも無いな。だがしかし、お前は良いことを言ったな。」


 そう、私はふざけて言ったら、タマキはちらりと私を上目遣いで見て、傾げてみせた。そのせいで、さっきの健康そうな前髪がかかってしまい、タマキの目はにこやかさを残して消えていった。タマキの肌は陽の光を反射して眩しくなっていた。




 ★★★★★★★★




「ねえ、私ハトに喋りかけられたんだ」


 タマキが私に一番最初に話しかけた時の言葉だ。タマキは東京からの転校生だった。東京の子というだけでクラスのみんなは浮き足立った。タマキの東京の言葉を聞きたく、東京の出来事や、東京の事情を、東京の何がしを、とにかくみんなは毎日のようにタマキの机の周りに寄ってたかった。女子も男子も興味がむき出しだったから、タマキの周りには人垣が絶えない日が数週間と続いた。私も本当はタマキの東京の話が聞きたかったが、あの人垣の中に入り込む勇気がなかった。特に男子の中村は自分の知っている東京の知識の答え合わせに夢中で、タマキの言うことにいちいちはしゃぎ、その様子が私から見てあまりに滑稽で、そうなりたくなくて私は近寄りたくなくなっていた。

 部活の合間の水休憩の時、私が蛇口を上向けにしながら、水をガブガブ飲んでいたら、タマキは私のそばに来て、そんなことを言ったのだ。


「へえ、良かったね」


 なるべく冷たく答えてやった。


「でさ、この街のことを知りたいなら、そいつに話しかけなって、ハトが言うんだよ」

「へ?」


 バカの相手をしているつもりが、私がバカな返事をしてしまった。タマキはニッカリ笑って、私の瞳をひき寄せた。


「ふふ、山本さん、私と同じクラスでしょ?トモダチになろ!」


 タマキは曇り無い言葉を言う子だった。それも笑顔で。

 それから、タマキと私は色々と一緒に過ごすことが多くなった。部活の終わりから、校門から出て行く時から、私が保健室でサボっている時から、塾の帰りまで、どこまでも着いてくるネコみたいだった。それも全て突然を装って、毎回突飛な入りで喋りかけてくる。私も私で慣れてきて、タマキと一緒にいることが面白くなってきた。


「タマキはいつも可笑しいな。それ、なぜ教室で言葉にしない?」

「ふふ、コウ。私に興味がありませんみたいな顔しているくせに私のことを結構見ていたのね」


 タマキと私は下の名前で呼び合う仲になっていた。なぜか教室ではあまり一緒にいなかった。私にも同じクラスでずっと一緒のユミちゃんがいるし、タマキの周りには未だにちらほらと人垣があるからだ。なんと言ってもタマキはとてもキュートだった。東京でスカウトもされたことがあるらしい。「かわいい」とは正にタマキのためにあるような言葉だった。それ故か、私の前だけで突飛なことを言うようにしていたのだった。自分のことをよく知っているように思えた。これが東京で培った都会人たる所以なのかもしれない。


「ふー、空が落ちてこないかなー?」

「また、変なことを」

「月も太陽も星も落ちてきたら、綺麗なのに」

「近くで見たら馬鹿でかいんだろ? 落ちてくるんじゃなくてぶつかるんだろ?」

「全く、君はわかってないなー」


 タマキはそういって、また流し目をしながら先に歩いて行った。私とタマキが一緒に歩くと少しだけ前をタマキが歩くことが多い。タマキは街のいろんなものに興味を示し、すぐにちょこちょこと前に行ってしまうからだ。先日は細い脇道の上り坂を見つけ、その前はお家の前に置いてあったカエルの置物、その前は垣根の上にさく金木犀を見て、タマキは私に教えてくれたのだった。


「私のこの世界はいつだって私に話しかけてくれている。私はこの世界を愛しているの」


 タマキは私の目に向かってこの言葉を投げかけた。そうして、また前を向いて歩いて行った。波の音が聞こえた。私とタマキは海辺へ駆けて行った。




 ★★★★★★★★




 昼休み、私とタマキは決まって体育館の裏の階段下で食べる。日当たりもいいが、影もすぐ近くにある。何より人が来ないのに、空がひらけていて気持ちがよかった。タマキはいつもお母さんが作ってくれたと言うお弁当を広げ、私は学食で買ったパンを食べる。だいたいおかずをいくつかもらうのだ。そうしてiPhoneでお気に入りの曲を二人でかけながら食べるのだ。私の部活の話や、タマキの日常の話。昨日見たドラマの話。私のうちの母子家庭の話。タマキの好きだった人の話。私とタマキの話はたわいもないが、不思議と東京の話は少なかったかもしれない。タマキは「この街が好きになったのだ。」と言うが、避けていたのかもしれない。


「将来の夢はないけど、どこか遠くの街で、この人と言うべき人と一緒に過ごしたい」

「えー、コウは、この街で住み続けないの?」

「ふ、タマキ。若いと言うことは外へ出かけると言うことなのだよ」

「私はこの街で住み続けて、素敵な海辺のおうちにでも住みたいな」

「ほう、海岸通りに家を構えると言うか、タマキよ。目が高いな」


 街には海岸通りがあり、理想的な海辺の景色を我がものにできる家がいくつかある。そこは街の有力者や、それこそ東京から来た人が家を構えている。


「朝日が綺麗なんだろうな。私も憧れはある」

「海から上がる太陽をめいいっぱい浴びる。最高の贅沢だなと思うのよ」


 とタマキは指を重ねてそう言った。歳を重ねた人のような仕草にも見えた。


「それに、宇宙に上がる宇宙船も時たま見れるでしょ?」

「そうだな」


 私たちの街から海を隔てれば宇宙センターがある。数年に一度の割合で宇宙に向けてロケットが上がるのだ。それは人が乗っていようがそうでなかろうが、この星の外に行くと言うこと。こんな私でもやはり興奮は隠せないものだ。白くて長い煙が上に上に、雲より向こうへと消えていくその姿に見惚れてしまう。今度はタマキと一緒にみたいな、と思った。




 ★★★★★★★★




 地区大会で、私は表彰台の一番上に立てた。今回の結果で、私は今年も県の大会に出れる。


「山本先輩、おめでとうございます。やっぱ、先輩凄いです」


 周りの後輩が私を讃えてくれた。私は陸上部の棒高跳びの選手である。競技人口が少ないおかげか、私はみるみると上手くなり県を代表する選手になれた。それにこの競技が私は好きだ。ただ、自分の背の高さよりも随分と高いところにあるバーを超える、それだけのこの競技が。私の力で行ける限りの高い空へ溶け込んでいく。そんな感覚があった。表彰を終えて、観覧席に目を向けると、タマキが来てくれていた。手を振ったら、こっちに手を振り返してくれた。


「コウ! どんまい!」


 手を当てて大きな声を出したタマキは、誰も言ってくれない私の気持ちを教えてくれた。


 ——カラン——


 触れてしまった感覚があったが、やはりバーは地面へ吸い込まれてしまった。最後の試技者になれた私は希望のバーの高さに変えた。


 ”3m70cm”


 今日の私は調子が良い。私のベストを10cm高くした。風もある。今の私にしか掴めない空を掴みたい。そう願った。思い切り走り、いつも以上の手応えの風を感じ、棒を突き刺して、踏切を超えて私は自分の身体を宙に浮かした。でも脇腹がかすってしまった。もっとだったのだ。走りのスピードが足りなかったのかもしれない。マットに吸い込まれた時、今日なら超えれると思ったのにと空を仰いで天空に手を伸ばしていた。

 有難い拍手の中、タマキだけは競技ではなく、私を見ていてくれたのかもしれない。タマキに向かって「サンキュー」と小さく言った。

 私は「次なら飛べる」と思えた。




 ★★★★★★★★




 タマキが目をけがした。らしい。眼帯をつけて登校してきた。私たちは夜までLINEで話すようなことはあまりしないので、学校にきてから私も初めて知った。タマキと目が合った時に口パクで「ダイジョウブ?」と聞いたら、「ダイジョウブ」と返ってきた。

 お昼のランチタイムに事情を聞いたら、出来物ができたらしい。


「それより、タマキのリップがとても赤いことの方が気になるのだが?」


 今日のタマキはやたらと赤いリップだったのだ。本人曰く、眼帯をするのであれば、これぐらいしないといけないらしい。


「どうせ眼帯をつけるのであれば、アンニュイにしたいじゃない?」


 タマキは普段は前髪を下ろしているが、今日は見にくいのだろう、おでこに髪留めがあり、前髪を横に流していた。JAXAのロゴが入っているものだった。


「タマキの前髪は、年齢を上積みするためのものだったのだな。随分と年相応になったよ」

「え? そうかな」


 前髪をいじりながら、タマキはそう言った。


「それゆえ、先ほどのアンニュイとは程遠い様相になっているぞ」

「ふーむ。じゃあ、まあいいか」


 タマキはいとも簡単に自分の言葉を否定してしまった。


「あ、でも、ほらロリータでもいいじゃない?」

「あれは、エロだぞ?」

「ほう。コウは私には荷が重いとでも?」

「胸が足らん。それからエロが足らん」


 ロリータに胸など必要はないが、実際、タマキに艶めかしさは足りなかった。透き通った美しさを兼ね備えているのだから、それでいいじゃないかと心の中で思った。ひとしきりタマキは悔しがったふりをしていた。


「それにしても、タマキが、JAXAなんぞに興味があるとはな」


 そう言いながら、タマキのピン留を触ろうとしたら


「触らないで!!!」


 と思い切り叩かれてしまった。タマキはそう叫んだあと、珍しく俯きながら小さく「ごめん」と言った。私は叩かれた手がジンジンとしていることより、こんなに怒らせることだったのかと悶々としている気持ちが出てしまった。タマキが私のことをどう思っていたのかを考えもせず。分かりやすく「別に」と不機嫌を前面に出してしまった。

 空が晴れていたのに、雲の量が増えて、いつの間にか重たい空気に変わり始めていた。

 雨が降る——

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