第1話:転移・新世界







俺は、王立ハーマス魔法学校三年、ミランガ=カーズ。成績と顔面は中の上、体力については触れない方がいいだろう。




俺は親の顔は知らない。子供の頃は、孤児院で育ったからだ。

まあ、俺の顔を見るに、両親のどちらかは面長だったのだろう。俺の頭は、出来損ないの団栗のような形をしているからな。


友達もいなかった。

当たり前といえば当たり前。俺のような、朝から晩まで魔法と魔術のことしか考えていないような、奇怪な人間に近寄って来る奴の方がおかしい。


唯一の楽しみは、本だった。

孤児院に置いてあった本を、毎日毎日、一字一句違えず暗唱できるくらいまで読み耽った。

魔法の本、魔生物の本、地図の本、外国語で書かれた本...。


幼かった俺には理解できないものも沢山あったが、どれも退屈な日常を満たしてくれる、至高の存在だった。


そして、ハーマスの一般部門にギリギリで合格し、魔法研究仲間であるアリュ=ラボノックとフェルノー=ライクベートの二人と共に、大好きな魔法の研究に明け暮れたのだ。






...が、どういう因果であろうか。簡潔に言うと俺は今、奇妙な世界にいる。


どこをどう通ってきたかはわからない。友人のフェルノー、アリュの二人と散歩に出ていたら、いきなり目の前が真っ白になり、気づけばここにいた、という次第だ。


俺はまず、周りを見渡して言葉を失った。

目の前のこれは道路だろうか。いや、それにしては真っ直ぐ過ぎないか。真っ黒に塗り固められていておかしな線が引いてある。周りの人間がその線の前に集まっているところを見ると、この線は何かの記号だろうか。


何より、なんだあれは。

道路を猛スピードで走り抜ける、訳の分からない物体が、そこかしこを行き来する。

小ぶりながら車輪が付いているところを見ると、さしずめ馬車の類だな。引く動物がいないのは、魔力を原動力に使っているからか?


そして、肌に違和感を感じてふと自分の体に目をやると、俺は何でできたかわからないような白いシャツを着て黒いズボンをはいており、えらく柔らかい白い靴を履いていた。






...これはどうしたことだ。

おかしな世界に来てしまった、というのは考えなくてもわかる。誰のスキルだか知らないが、俺みたいな奴を標的にするとは、暇なやつもいたようだ。だが、問題なのは俺の格好だ。


服は替わっているし、周りの人間も、突如現れたであろう俺に驚く様子は全くない。

まさか、魂だけこの世界の人間に乗り移ったとかだろうか。そうであれば、それらの説明がつくのだが。


と、考えているうちに、周りの人の群れが突然同じ方向に歩き出した。その方向を見れば、先ほどまで赤かったはずの街灯が、いつの間にか緑色に変わっている。

俺はとりあえずその人々と同じ方向に進み、街の大商館くらいはあろうかという大きな建物の中へと入っていった。




建物の中では、外にいたより多くの人々が、右へ左へと行き交っていた。当たり前ながら、皆奇妙な服に身を包んでいるが、所々に制服のような同一の服を着た集団が見られた。この世界の魔法学校生か何かだろうか。


しかし、不思議なこともあったものだ。何が不思議かって、そりゃ、彼らが何を言っているかが事細かにわかるのだ。

彼らが喋っているのは、紛れもない異言語だ。マリユスにはもちろん、周辺国にも見られないような奇妙な発音の文字列だ。


…だが、わかる。


それ、例えばそこの少年は、隣を歩く少年と、学校の勉学が難しいと愚痴を飛ばしあっている。そんでもってあそこの少女たちは、「たぴおか」なる菓子についてとやかく言い合っている。


うーむ、どうしたことだろうか。

さっきからその一言しか出てこない。


完全に途方に暮れた俺は、とりあえず現状を整理するため、建物を出て、人気のない路地裏に入り込んだ。









...結論。


俺は元々ここに住んでいる人間の一人に憑依した。しかし、氷で鏡を作ってみて分かったのだが、この人間の顔は俺の顔と寸分違わないものだった。どうやら、この世界にも俺と同じような人間が存在し、そいつと意識が入れ替わってしまったということか。


とりあえず「あちら」に残してきた自分の身体は死んではいないであろうということに安堵していた俺だったが、こちらに向かってくる足音に気付き、即座に警戒体勢をとった。



「アノー、チョットオハナシイイデスカネ?」


「...!?」


近づいて来たのは、二人組の男だった。

青い服の上に通常防御力の高そうな厚いベストを着ていることに加え、腰に短刀と思われる棒状のものを提げているところを見ると、この世界の治安維持組織か...?


だが俺に丁寧に話しかけてくるのはどういうわけだ...?油断はできないな。


俺は、相手の間合いに入らないよう距離をとりながら、この世界の言葉で尋ねた。


「あなた、たち、は、誰、ですか?」


「ケイサツデスヨ。」


ケイサツ、ああ警察か。なぜかわかる。この世界の治安維持組織の名称だ。

だが、どういうものかまでは分からない。偽物の可能性も十分にあり得る。


反撃するのはまずかろう。では逃げるか?もし奴等が本物の警察なら、逃げるだけの理由があると勘違いされてしまう。だが、もし警察に変装した身売りの類だったとしたら...。



その二人が距離を詰めてくる間、考えに考えた末、一つの結論に達した。


よし。


逃げるか。



【スターム】


この身体でも魔法が使えるかは不明だったが、魔力は十分にあり、容易に発動できたのが救いであった。


風属性魔法、スターム。

唱えると体が軽くなり、名前の通り疾風のごとき速度での移動を可能にする。


俺はまっすぐ後ろへ飛びすさって距離をとり、近くの建物の屋根をつたって、上にあった高い橋の上に飛び乗った。


これなら奴らが追ってきても、ヴォルで撃退できる。

そう思った。その時。




ゴオオオオッッという轟音と共に、長大な白い物体が猛スピードで迫ってくる。

顔のような構造が見えるが、左右対称の造形美。魔生物の類ではなさそうだ。


…となれば、この速度。これを利用しない手はないだろう。

俺はスタームを発動して、その物体の進行方向に一気に加速し、その物体に飛び乗った。


橋の上に敷かれた二本の筋に沿って凄まじい速度で疾走するその物体は、もはや魔生物でも人工物でもあるまい。俺はその物体の上から適当な場所を探し、飛び降りる用意をする。




「...ここだな。」


周りにあまり人の居なそうな、ちょっとしたヤブに差し掛かったところで、俺はその物体から一気に飛び降りた。

そして、かなりの威力で全身から防御魔法を発動しながら、ヤブに派手に突っ込んだ。


一瞬の衝撃とともに視界が真っ暗になり、雨のように土砂が降り注ぐ。

土の匂いが鼻をつき、目を開けると、肢体に損傷はないようだった。

見上げると、俺の周囲だけ木の太い枝が折れている。よほどの速度でぶつかったのだろう。


服についた汚れを払い、周囲を見渡して人がいないことを確認する。

よし、誰も気づいていないな。ケイサツとやらも、追ってくる気配はない。

彼らが本当に治安部隊であるなら、基礎魔法くらい使えなくては話にならない。魔法で追ってこないあたり、やはりあれは治安維持部隊などではなく、変装した身売りか何かだったということか。

俺は自分の選択が正しかったことに一安心しつつ、夜を待った。

この国の取引制度は未知数。マリユスの貨幣が使えるかどうかは知らないが、デサドの国ではないあたり、その可能性は低そうだ。

ともなれば、食物を得ることができない。下手に動くよりは、夜を待ち、しばらくは畑や牛舎から盗んで食いつなぐほうが賢明だろう。


空腹に耐えつつも、あたりは次第に暗くなり、やがて、とっぷりと日は暮れた。




「...動くか。」


【ヴォル】で指先に小さな炎を灯して周囲を照らしながら、ヤブからヤブへ、草むらから草むらへ。

出来るだけ人目につかないルートを辿って、俺は畑と思しき場所へと辿り着く。


「...これは、食えそうだな。」


行き着いたのは、頭ほどの大きさの丸い植物が整然と並ぶ区画であった。

大量に栽培されているあたり、この世界で流通している作物であろう。食っても問題はなさそうだ。

俺は一応、そこら辺の石を、土属性魔法【ガドン】で加工し、石の器を作る。

水属性魔法【オズム】で空気を冷やして得た水を器に溜め、【ヴォル】で沸騰させたら、このわけの分からん丸い植物の葉を一枚ちぎり、中に入れて茹でる。

そろそろ良いだろうと思い、早速その場で食べてみる。

恐る恐る口に入れたのだが...


「...美味い...!?」


植物だというのに、苦味や雑味がないばかりか、甘さすら感じる。

何なんだ、この夢のような食い物は...!さては、かなり高級なものに違いない...。...いや、そんなものが、結界も張らずこんな無防備なところで栽培されているわけがない。

...まさかこの国では、これがごく普通の野菜だというのだろうか。あり得ん。そんなの、大瀑布の果てにある黄金卿でもない限り、あり得ない...!

だが、さっきの恐ろしい速さの物体といい、引く馬のいない馬車といい、勝手に色の変わる街灯といい...。まさかとは思うが、本当に、そんな得体の知れない国に来てしまったというのだろうか...。

俺は、さらに葉を数枚ちぎって茹でて食うと、満足してヤブの中に帰ろうとした。


...が。


「泥棒ーー!!!」


背後から突然、叫ぶ声がした。

振り返ると、そこには何やら光るものを持った老人が一人。手に持った松明のような物体が、俺を照らしている。


まずい、人に見つかった…!しかも、先ほどの「ドロボウ」という単語は、盗みを働く者という意味だ。盗みまでバレたか。

始末するか?いや、殺せば後々まずい。それに、治安部隊が聞きつけていたら、すでにこちらに向かっているはず...!


殺すのは悪手だ。

そう思った俺は、スタームで一気に加速し、近くにあった森に逃げ込んだ。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



あれから数分経ったが、治安維持部隊が来る気配はない。


だが、これで住民には警戒されてしまっただろう。明日からの食糧確保は、より難しくなるとみて間違いない。...いよいよまずいぞ。


真っ暗な中で途方に暮れていると、不意に、微弱な魔力を感じた。

後方、森のさらに奥の方からだ。魔生物でもいれば、食えるかもしれない。俺はその望みにすがり、慎重に歩を進める。

そして、魔力の源であろうと思われる場所に辿り着くと、そこには魔獣の類はおらず、なんらかの術式が張られているようだった。


「...ふむ。認識阻害か、空間干渉の術式だな。...解析してみるか。」


食べ物ではなかったが、何か役に立つものが隠されている可能性はある。俺はその術式を解析し、認識阻害の結界の一種であることを突き止めると、逆術式を組んでそれを阻害する。


「逆術式なんて組めるかどうか心配だったが、なんとかいけそうだ。術式干渉、開始、と。」


俺が魔力を放出すると、周囲の景色がぐにゃっと歪み、何もなかった森の中に、突如、小さな庭のある一軒家が出現した。

木組の造りに三角屋根の小さな家で、壁や煙突にはツタが蔓延り、玄関の灯りは割れ、流れ出た油が黒い塊になってへばりついていた。


「...ひどい家だな。だが、認識阻害の術式で隠すほどのものがあるはずだ。悪いがこちらも生きねばならん。金目のものは戴くぞ。」


何の因果で俺がこんな盗賊みたいな台詞を発さなければならないのか、と少し嘆きたい気持ちになったが、今はそれどころではない。


玄関に回り、ドアに手をかけるが動かない。鍵がかかっているのか、それともたて付けが悪くなっているのか...。

窓を壊して侵入しようと窓のある側へ回った、その時だった。


「お?泥棒かい?結界破る泥棒とか、聞いたことないけどねえ。」


「なっ...!!??」


すぐさま飛びすさって、魔力を練りつつ声のした方に目を遣る。

しかし、そこには誰もいない。

すると、再び背後から魔力反応を感じ、俺は【ガドン】で地面を炸裂させて土壁を作り、攻撃を防ぐ。


だが、その一撃は土壁を軽く叩き割り、念のための防御魔法を発動していた俺の背中に強烈な一撃を叩き込んだ。

骨がきしむ感覚。これは正直危なかった。防御魔法がなければ、背骨を叩き折られていただろう。

俺は吹き飛ばされてのけぞった姿勢のまま【スターム】を用いて体勢を反転させ、なんとか両足で踏ん張ってブレーキをかけると、敵の方へ向き直る。


この必死の抵抗で、俺の目はようやく敵の姿を捉えることに成功した。

俺の前に立っていたのは、一人の女であった。


「ほーう?今の食らって無傷かい。ただの泥棒にしちゃ、戦い慣れしすぎてやしないかい?」


そう言ったのは、二十代後半かと思われる美しい容貌の、黒いローブを纏った短い黒髪の女性であった。


後に俺はこう回想することになる。

彼女こそが、さほど遠からずして俺の人生を思わぬ方向へと導くことになる人物、その一人であったのだと。

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