第12話 幸せ

とはいっても、学園生活は実に平和なものだった。


大きな変化はなく、ただただ平和な日常が繰り広げられていく。


ノッポも俺に何かするでもなく、いつも通りの接し方で、俺もそれに答える。


俺たちの中では笑いがあり、隣には桃が居て、最高の世界。


それが作られた張りボテの世界であると分かりながら、俺たちはその世界に上手く溶け込んでいった。


こうして、張りボテの切れ間から見え隠れする、刺さるような鋭い視線に気づかぬふりをして、全ての授業をこなすと、早速ゆっくりと立ち上がる。


目障りなあの視線。


あれには、心当たりがある。


少し様子見をする必要があるだろう。


そう思い、ひとりでクラスを出ようとしたその時、背後から誰かが俺の肩を優しくたたいてきた。


振り返るとそこには、案の定ノッポの姿。


「どこかに行くのか?」


作られた笑顔で、問いかけるその表情の奥には黒い影が見え隠れしてる。


「桃を迎えに行くだけだよ」


「そうか、なら彼女も連れて一緒に帰ろうよ」


「お、なんだなんだ、いつの間にかすげー仲良くなってるじゃん!」


嫌味しか感じられないノッポの提案を聞き、直也が純粋な感情で俺たちの和解を祝福する。


この組み合わせ……邪魔だな。


「……そうだね、一緒に帰ろうか」


まぁ良い、家に帰った後にでも桃に探りを入れればいいだけの話だ。


別に学園だけが、俺の世界ではない。


住宅街のとある四つ角で立ち止まり、俺たちはそれぞれの家に別れようとした時。


ノッポが、不思議そうに「あれ?」とつぶやく。


「直也とリバーシが同じ方角なのは知っていたが、彼女もそうなの?」


いちいち目ざとく探りを入れてくる男だな。


「何だ、自分ひとりだけ方向が違うから寂しいのか?」


まるで直也のような冗談を口にしてみると、ノッポはさも当たり前の様に「そうだね」と答えた。


そして、何かを思い出したかのようにノッポは言葉を続ける。


「直也、実は俺の家に最近お前がずっとやりたがっていたゲームソフトがあるんだが、遊びに来るか?」


その言葉に直也は目の色を変え、嬉しそうに「まじか、行く!」といって、俺たちはその場で自然と二手に分かれた。


桃とふたりで帰る道すがら、気持ち悪い感情が、自身の感情の中でうごめき始める。


間違いなく、あいつは何かを企んでいる。


これまで深く考えてなかった直也の存在。


どうやら、俺が直也を少なからず気に入っている事に気づき、ノッポはそれを盾にしている節があった。


胡散臭い正義感を振りかざしている割には、他人を利用するとは、やはり偽善者の考える事は矛盾だらけだ。


だが、今最も優先すべき事はそれではない。


「桃、最近学校で変わった事はある?」


「変わった事って?」


「いじめだよ」


そう言うと、桃は驚いた表情をして見せた。


とは言え、これは別に驚く事ではない。


寧ろ誰もが想像できた、当たり前の現象の一つにしか過ぎないのだ。


「隠さなくてもいいよ、最近他の女子に攻撃を受けているだろう?

ごめんね、俺と付き合ったばかりにこんな問題に巻き込んで」


「違うの、白亜は何も悪くないよ?

前々から分かっていた事だから」


優しく微笑む桃を、俺はきつく抱きしめる。


あぁ、確かにわかっていた事だ。


だが、それでもやはり実際に起こってしまうと気分がいいものではない。


こんなに俺を愛し、何もかもを信じてくれる桃が、俺のせいでいじめられるなどあってはならない。


あのいじめられっ子の事件とは話が違うのだ。


俺たちは愛し合っている。


だがココでの問題は、奴らを排除する時に邪魔をするであろうノッポの存在。


現段階でノッポを殺す最善の策は見つかっていない今、この問題は避けては通れない事になる。


「久々に母さんに相談してみるか」


「母さん?」


抱きしめながらそうつぶやくと、桃が不思議そうに聞き返してくる。


そういえば、桃にはまだちゃんと母さんを紹介してなかったな。


せっかくなら、この機に紹介するのもありだろう。


「そうだよ、俺たちの母さんだ」


俺は桃から離れると携帯を取り出し、電話帳から【汐淵 茜しおぶち あかね】を探し出し、発信する。


少しすると、優しい母さんの声が携帯から聞こえてきた。


「母さん、少し相談したいことがあるんだけど、良いかな?

最近俺を変に嗅ぎまわっている人が居てさ……それと、合わせたい人が居るから、よかったら今日は帰って来てほしいんだけど」


母さんが忙しいのは分かっている。


それでも、桃にだけは合わせてあげたい。


そう思ってダメもとで提案すると、母さんは少し悩んだ後、快く俺の提案を引き受けてくれた。


「良かった、じゃぁ、俺たちは先に帰ってるから、早く来てね!」


それだけを伝えると、電話を切り、すぐに桃の方を向く。


「母さんが、桃に会ってくれるって!

良かったね、これで桃は正真正銘の俺たちの家族だ!」


「本当に?」


「あぁ、本当だよ」


そういうと、桃は呆然としたまま俺の顔を見て、そしてゆっくりとその瞳から涙を流す。


「私……家族が出来るの?」


それは、まるで何かに安心したかのような、静かな涙。


「そうだよ、そうと決まったら今日は歓迎会だ、早く帰って一緒に料理を作ろう!」


手を差し出すと、桃は涙を流しながらその手を取り、嬉しそうに微笑んだ。


「うん、行く!」


そして俺たちは急いで家に着くと、さっそく手分けして料理を作り始める。


桃も随分と張り切り、台所ではいつも以上に会話が弾んだ。


「いっ……」


だが、気分が浮ついていたからか、いつの間にか自分の指を包丁で切ってしまった事に気づき手を抑える。


何をやっているんだか。


「大丈夫⁉」


「大丈夫だよ、ごめん、ちょっと寝室に絆創膏取ってくる」


心配する桃を軽くなだめて2階にある寝室に入ると、部屋の隅に置いていた棚の中から絆創膏を取り出し、手際良く傷口に巻き付けた。


「よし」


救急箱を元の場所に戻した後、部屋を出てふと隣の鍵がかけられた部屋に目が行く。


この部屋は前の母さんを閉じ込めて以来、何も使われてないものけの空間。


だが、何故か桃は目を覚ました時、この部屋の前に立っていた。


何か感じるモノでもあったのだろうか。


久々に鍵を開け、扉を開いて中をのぞき込む。


寒い季節という事もあり、その部屋からは冷気が漏れ出し、ぶるりと体を震わせる。


……なんだ、やはり何もないじゃないか。


そう思い、又扉を閉めた。


「何をしているんだろうな」


そんな独り言をつぶやき、その部屋にまた鍵をかけると、俺は急いで桃のもとへと戻った。




そしてしばらくして、料理の準備が整ったとき、家のインターフォンが鳴る音が聞こえる。


「きた!」


俺は急いで玄関に向かって出迎えると、いつもの真っ白な仮面と真っ赤な口紅を付けた母さんが、真っ黒なスーツを着て立っていた。


「お帰り!」


母さんに抱き着くと、母さんか優しく微笑む。


「遅くなってごめんなさいね」


「全くだよ、俺がどれだけ寂しい思いをしていたか……」


そんな事を話していると、客間から桃は恐る恐るこちらに顔を覗かせて来ている事に気づく。


やはり、初対面という事もあり緊張しているのだろう。


「桃、この人が汐淵 茜さん、俺たちの母さんだよ」


「えっ……」


桃の表情が固まる。


「それ……いや、その人が?」


どうやら、母さんが仮面姿の人物である事に驚いているようだな。


確かに、初対面でこれは少し不安だろう。


「大丈夫だよ、こう見えて母さんは本当に優しい人なんだ。

それに、桃は気づいてないかもしれないけど、桃の家でも母さんは掃除を手伝ってくれていたんだ」


「そう……なんだ」


桃は、その言葉に納得したのか、深く深呼吸をして母さんの方を真っ直ぐと見る。


「初めまして、白亜とお付き合いしています桜木 桃です。

今日はよろしくお願いします」


そんな挨拶に、母さんは桃にも優しく笑顔を向ける。


「えぇ、こちらこそよろしく」





「さぁ、挨拶も終わったし今から3人でご飯食べよう! 今日は桃も一生懸命母さんの為に料理を作ってくれたんだよ」


母さんの手を引いてそのまま食卓に向かうと、そんな俺たちを見て桃は楽しそうに微笑む。


桃はいつも以上に口数が少なかったが、それでもその後の食卓での会話は実に楽しいものだった。


「さて、そろそろ本題に移ろうか」


場も温まり、俺は早速現在桃の置かれている状況とノッポの存在について説明を始める。


母さんはそれらを静かに聞くと、顎に手を置き、少し考えているしぐさを見せた。


「そうね、確かにその男子生徒の存在は今後大きな障害になる可能性は高いでしょうね」


「ねぇ、母さんの力で体よく排除できないの?」


「そうしてあげたいのは山々だけど、私がしてあげられるのはあくまでサポートであって、殺人ではないわ。

だからごめんだけど、今回の我々は貴方に何もしてあげられそうにないのよね……」


「そっか」


母さんには母さんの都合がある為、全てをサポートできるわけではない。


分かり切っていた事だが、こうも突き放されると正直堪えるな。


だが、これは俺自身が引き起こしてしまった問題でもある。


いつまでも母さんばかりに頼ってはいけない、という事だろう。


「わかった、そいつの事は俺の方で何とかするよ。

次に、桃を最近目の敵にしている連中なんだけど、桃良かったら俺と母さんに分かりやすく教えてくれる?」


「あ…うん、えっと、最初は女子トイレに呼び出されて私が白亜と付き合った事について問い詰められて、それに私がはっきりと答えると、それが面白くないのかクラスで無視が始まったの」


こうして桃は、自分のクラスで起きていた出来事を説明し始めた。


分かりやすい虐めはなく、今は物が頻繁になくなる程度だそうだが、正直コレは度合いの問題ではない。


単純に、俺の彼女が被害に遭っているのが許せず、拳に自然と力が篭る。


「首謀者が誰かわかるか?」


「わかるけど、殺すの?」


「桃を苦しめる相手なのだから、当たり前だろ」


そう答えると、桃の表情がふわりと柔らかく微笑む。


「嬉しい」


心の底から喜んでいると分かる愛らしい表情。


それを見た途端、世界が桃色に染まり、力は抜け、まるでお菓子の家にでも迷い込んだかと思うほどの甘い香りが脳を刺激し、咄嗟に桃から視線を逸らした。


何だか、恥ずかしい。


そう感じていると、それを見ていた母さんが楽しそうに笑い始めた。


「本当に幸せそうね」


幸せ……あぁ、そうか。


そんな母さんの言葉に我に帰る。


そうか、今の俺は幸せなのだ。


様々なトラブルが続き、苛立ちやストレスがいつも以上に押し寄せて来た日々。


だが、それ以上に俺は愛と幸せを手に入れ、今こうやって3人で笑っている。


何かを犠牲にして、手に入れるとは、こういう事なのだ。


つまりそう考えると、ノッポという障害は何と有り難い存在なのだろうか。


彼が我々を苦しめば苦しめる程、その先に待ち受けている幸せは大きく、計り知れない何かに変わる。



「彼には、感謝しないとね」



それからは、次回の標的となる首謀者の詳しい情報と今後の方針を決め進め、有意義な1日はゆっくりと過ぎて行った。

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