第二章 外交デビュー

 ベッドの上で目を覚ますクラウス。その瞬間、肌寒い空気に体が震えた。


 あれからクラウスたちは、大使館に用意された個室に案内された。アスタボにいる間はここで寝泊まりするよう勧められたのだ。


 別にホテルでもよかったのだが、せっかくの好意に甘えることにした。


 いつもと同じ時間に目を覚ますのだが、やはりアスタボの空気は寒いのか、身体が一瞬震えた。


 クラウスはベッドから起き上がり、一回伸びをする。そこで意識が覚醒した。


 窓から外を眺める。そこから風にたなびくグラーセン国旗が見えた。


 違う国、違い世界の空と街。だけど、そこにある祖国の国旗が彼らを見守っている。


 たったそれだけのことで安心できる。クラウス自身も変な話だと思った。


「……さて、行くか」


 気合を入れ直すクラウス。彼は身支度を整えて、そのままアイゼンのいる執務室に向かった。


 執務室のドアをノックする。入室を促す声が聞こえてから、クラウスがドアを開いた。


「おはようございます。クラウスさん」


 にこやかに挨拶を寄越すアイゼン。その隣には、すでにユリカがいた。


「おはよう。よく眠れたかしら?」


 女性というのは身支度に時間がかかるはずなのだが、何故か彼女はいつも早く身支度を済ませていた。何か秘訣でもあるのだろうかと、クラウスは不思議に思った。


「ああ、昨日の食事で身体が温まったからな。眠りが深くて夢を見る暇もなかったよ」


「あら、それはおかしいわね。私の夢にあなたが出てきたのに」


「え? 私が?」


 いきなりの言葉に気の抜けた返事をするクラウス。そんな彼をニンマリと見つめるユリカ。


「夢で出会えて、嬉しいのかしら?」


「……いや、そういうわけではない。少し驚いただけだ」


 それだけ答えるクラウス。そんなクラウスをニヤニヤ笑うユリカだった。


「お二人とも、そろそろ食事にしましょう」


 アイゼンが口を開く。すでにテーブルには食事が並んでおり、美味しそうな湯気を立てていた。


 食事を食べながら、アイゼンがこの日の予定について説明を始めた。


「さっそくですが、今日はハープサル大臣に会いに行こうと思います。昨日受け取った親書をお渡ししたいですしね。そこでお二人のことも紹介しようと思います」


 つまりは、クラウスたちの外交デビューということだ。思わず緊張するクラウス。


「そういうわけですので、食事を終えたら正装に着替えてください。宰相府に行くことになりますので」


「わかりました。後で着替えてきます」


 宰相府に行くとなれば、恥ずかしい格好は許されない。ある意味、祖国を代表しての訪問なのだ。


 クラウスがそんなことを考えていると、ユリカがニヤリと笑った。


「あら。どのドレスを着ていくか、悩んでしまうわね」


「お嬢様ならどんなドレスも似合うでしょう。ハープサル閣下からお茶のお誘いを受けるかもしれませんよ」


「あら。それは困っちゃうわね」


 そんなことを談笑するユリカとアイゼン。少し呆れもするが、これくらいの方がいいのかもしれないと、クラウスも思った。


「クラウスさんもアスタボ貴族の令嬢からお誘いを受けるかもしれませんね。きっとお嬢様たちの目を奪うでしょうから」


「いや。それはないと思いますよ」


 アイゼンの言葉に普通に否定を返してしまうクラウス。無愛想、無表情、無感情が顔に張り付いていると言われているのだ。そんな自分が女性受けが悪いのは、クラウス自身も自覚していた。


「あら。私は嫌だわ」


 するとユリカが横から口を挟んできた。


「彼と遊べるのは私だけの特権ですのよ? たとえそれが王女様でも、奪われたくないわ」


 私だけの特権。その言葉に目を丸くするクラウス。するとユリカはクラウスに向き直った。


「どこにも行かないでちょうだいね。私の王子様」


 呆気に取られるクラウス。そんな二人の様子をアイゼンは面白そうに見ていた。


「きっとお二人なら、アスタボの社交界でも主役になれますよ」


 そんなアイゼンの言葉にクラウスは一言だけ返した。


「勘弁してください……」





 朝食を終えた三人は、そのまま大臣に会いに行くために宮殿へと向かった。皇帝をはじめ、大臣などは宮殿で仕事をすることになっていた。


 馬車に乗って宮殿に向かうクラウスたち。馬車の中から、ユリカが楽しそうに外を眺めていた。


 パブロフスクも一味違った雰囲気があった。アンネルの首都・マールのような華やかさはなく、どちらかと言えば静寂という言葉が似合っていた。と言っても寂しいというわけではない。静寂でありつつ、同時に壮大、もしくは荘厳とでも呼ぶべき街並みが目の前に広がっていた。


「パブロフスクは気に入りましたか?」


 向かいに座るアイゼンが問いかけた。その問いにユリカは大きく笑った。


「ええ、この街も素敵ですわ。アイゼン大使、どこかお勧めのお店はございませんの?」


「ああ、それでしたら『カレーニナ』がお勧めですよ。料理が美味しいのもいいですが、個室もありますので、静かに食事をするのにお勧めですよ」


「あら。それは素敵だわ。時間があれば行かせてもらいますわ」


 そんなことを語る二人。とてもこれから宮殿に向かうとは思えない様子だ。


「クラウスさんもぜひ行ってみてください。美味しいビールもありますから」


「わかりました。ありがとうございます」


 そんなことを語っていると、馬車が段々とスピードを落とし、そうして停車した。


 馬車を降りると、三人の前に巨大な建物があった。


 薄緑色を基調とした荘厳な宮殿は、訪れるものを圧倒するような威容を見せていた。


「さあ、行きましょう。大臣がお待ちかねですよ」


「ええ、行きましょう。ほら、クラウスも」


「あ、ああ……」


 軽やかな二人と違い、まだ足が重いクラウス。こういう場はやはり慣れていなかった。


 中をしばらく歩くと、宮殿の奥に大臣の執務室があった。ドアの前にいる衛兵にアイゼンが話しかける。衛兵は慣れた様子で部屋に入ると、少しした後でドアを開けてくれた。


 三人が中に入ると、部屋の奥の大きな机に、その男がいた。


「ハープサル閣下。今日はお時間をいただき、ありがとうございます」


 アイゼンが挨拶を送る。その後ろでクラウスたちも会釈をして見せた。


「おお。アイゼン大使。ようこそお越しくださいました」


 そう言って、ハープサルはクラウスたちを迎えてくれた。


 アスタボの男たちは体格がいいのだが、ハープサルはさらに恰幅の良い紳士だった。そんな体を揺するように挨拶してくるのだ。まるで好々爺といった印象を受けた。


「アイゼン大使。今日は私にお渡ししたいものがあるとか? 一体なんでしょう?」


 ハープサルの問いかけにアイゼンが一歩前に出る彼はその手に持っていた鞄をハープサルの前に差し出した。


「今日はこちらをお持ちしました。お受け取り下さい」


 鞄を受け取ったハープサルが中身を見る。『ほう』と感嘆の声が上がった。


「これはグラーセン国王陛下の親書ですか?」


「はい。ぜひフォードル陛下に受け取っていただきたく」


 親書を受け取ったハープサルは少し考えこんだ後、その親書を手元に置いて向き直った。


「わかりました。これは陛下に私からお渡ししましょう。それと、私に紹介したい人がいると伺っておりますが、後ろの方々が?」


「はい。こちらはクラウスさんとユリカさんです。私の仕事の手伝いをしにグラーセンから来ていただきました。閣下に紹介したく、こちらに連れてきました」


 ハープサルの瞳がクラウスたちを捉える。興味津々といった感じの視線に戸惑いつつも、クラウスは一歩前に出た。


「はじめまして。クラウス・フォン・シャルンストと言います。お見知りおきを」


 名乗りを上げるクラウス。それに続くように、今度はユリカが前に出た。


「ユリカ・フォン・ハルトブルクと申します。はじめまして、閣下」


 クラウスと違い、ユリカは優雅に挨拶を交わす。スカートの裾を摘まみ、見事な淑女を演じて見せた。


 するとハープサルは『ハルトブルク』という名前に反応を示した。


「ほう。ハルトブルクということは、つまりスタール閣下の親族ですかな?」


「はい。スタールの孫娘にございます。といってもハルトブルクの末席にいるだけの人間です。閣下にお会いできて、光栄ですわ」


 その堂々とした振る舞いにクラウスは人知れず感心していた。やはりこういうところは大貴族といったところか。


「それにそちらのシャルンストも、グラーセンで多くの武勲を建てた名門のはず」


「え? シャルンスト家を知っておいでですか?」


 思わずそんなことを口走るクラウス。その言葉が意外だったのか、ハープサルは面白そうに笑った。


「シャルンスト家と言えばこちらでも名の知れた一族ですから。不思議なことでもないですよ」


「それは……ありがとうございます」


 異国の地でもシャルンストの名前が知られているという事実に、クラウスも驚きを隠せなかった。それだけ一族が残した武勲が偉大ということなのだろう。改めてシャルンスト家というものに感謝した。


「ふむ。なるほど。確かにこれは面白いお客様がいらっしゃいましたね」


 そう言って立ち上がるハープサル。すると彼はアイゼンに申し出た。


「せっかくいらしたのです。よければこれから、一緒にお茶にしませんか?」


 その申し出におや、とアイゼンが意外そうな顔をした。予定にはなかったのだろう。


「よろしいのですか? 閣下」


「構いません。せっかくいらしたのに歓迎しないわけにもいきません。ちょうどお茶にしたかった頃ですし。すぐに用意させますので、少しお待ちください。何かご希望はありますか?」


 ハープサルの言葉にユリカが一言告げた。


「この国自慢のジャムティーをお願いできますか? 一度飲んでみたいと思っておりましたの」


 少女のようにあどけないお願いをするユリカ。それがハープサルには面白かったのか、彼は快く答えてくれた。


「わかりました。用意させましょう」




 三人が案内されたのは、暖炉のぬくもりに満ちた応接間だった。すでにテーブルにはお茶請けと人数分のカップが並べられていた。


「どうぞ、お座りください」


 ハープサルに促されて着席するクラウスたち。


「わあ、美味しそうですわ」


 目の前に並ぶお菓子に目を輝かせるユリカ。その横ではクラウスが戸惑い気味の顔を見せた。


 お茶会をするとは聞いているが、テーブルの上に並ぶお菓子や料理の数に驚いていた。かなり量があるので、クラウスも戸惑うしかなかった。


「おや? どうしました? クラウスさん」


「あ、いえ。かなり量があるなと……これがアスタボでのお茶会なのですか?」


 クラウスの率直な質問にハープサルはおかしそうに笑った。


「客が来たら、家の物を全て出しておもてなしするというのが、アスタボの茶会なのですよ。お気に召しましたかな?」


「素敵な言葉ですわね。気に入りましたわ」


 ユリカが嬉しそうに答える。そんなユリカと違い、クラウスはまだ戸惑っていた。彼らはアスタボとの間に不可侵条約を結ぶために来たのだ。その難しい交渉をするというのに、こうして仕事とは関係なくお茶会をするというのはいいのだろうかと、心中で首を傾げていた。


「クラウスさん。そちらは外交などは初めてですか?」


 そんな彼の心情を察したのか、ハープサルが声をかけてきた。


「え、ええ。その通りですが」


「こちらに来たのは、交渉のためですね?」


「そうですが……」


 質問の意図がわからないクラウス。するとハープサルが諭すように言葉を送る。


「誰かと話をするには、その相手がどんな人間か知る必要があります。そのためにはお茶会が一番なのですよ」


 それは長年外交の場に立ち続けた男の言葉。含蓄のある言葉にクラウスは感心した。そのクラウスにハープサルがさらに続ける。


「それに、これから一緒に仕事をする相手がどんな人か知りたいと願うのは、当然のことではないでしょうか?」


 にっこりと笑うハープサル。国家を背負う人間ではあっても、ここでは一人の人間だった。彼の微笑みを前に、さきほどまでの自分の態度をクラウスは恥ずかしく思った。


「……確かにその通りです。失礼、勉強になります」


 その素直な態度がどう映ったのか、ハープサルが嬉しそうに笑った。


「さ、まずは乾杯をしましょう」


 ハープサルの合図に傍らに控えていた女給がカップに紅茶を注ぎ始めた。カップをクラウスたちの前にそれぞれ置いて回り、全員に行き渡ったところでハープサルが音頭を取った。


「それでは、乾杯」


 四人が紅茶を口に運ぶ。最初に口を開いたのは、やはりユリカだった。


「美味しいですわ。これがアスタボの紅茶なのですね」


 確かに紅茶は美味しかった。クラウスが口に運ぶと、口の中に香り鮮やかな紅茶が広がるのを感じた。


「お気に召したようでよかった。よろしければケーキなども食べてください」


 テーブルに並べられるケーキを眺めるユリカ。その中で彼女は何個かあるジャムを見つけた。


「そういえば閣下。色々なジャムも並んでいますけど、お勧めのジャムはありますか?」


「それならそちらにあるイチゴジャムがお勧めです。紅茶を飲んだ後に口に入れると、程よい味になりますよ」


「なるほど。それでしたらさっそく」


 ユリカは言われたとおりに紅茶を一口飲み、それからティースプーンでイチゴジャムを口に運んだ。それがどんな味だったのかは、ユリカの顔を見れば一目瞭然だった。


「すっごく美味しい! イチゴジャムって、こんな味になるのですね!」


 子供みたいな反応を見せるユリカ。その様子をハープサルとアイゼンが微笑ましく見ていた。


「あなたもどう? 食べてみる?」


 そう言ってジャムの小瓶をクラウスに差し出すユリカ。戸惑いつつも、クラウスは小瓶を受け取った。


「あ、ああ。それじゃあ……」


 そう言ってクラウスもジャムを口に運んだ。その瞬間、甘酸っぱいイチゴの風味が口いっぱいに広がった。紅茶の芳醇な味わいと重なり、不思議な味がクラウスを虜にした。


 なるほど、ユリカが夢中になるのも頷けた。


「楽しんでいただけて、何よりです」


 そう言ってハープサルは満足したように笑った。もてなす側にとって、ユリカのような反応は嬉しいものなのかもしれない。


「そういえば、スタール閣下はお元気ですか?」


「はい。とても元気にしておりますわ。この前は久しぶりに飲めると言って、ビールをたらふく飲んでいましたわ」


「それはよかった。最近は閣下もお忙しいでしょうからね」


 何気ない歓談が進む。紅茶から立ち上る湯気が鼻をくすぐり、歓談をさらに楽しいものにしていた。


「ところで、そちらのお二人が来たというのは、やはり我が国との外交のため、ですね」


 そんな中、ハープサルが切り出した。こちらに探りを入れようとしているのか、底の知れない笑みを浮かべていた。


「ええ、その通りです。お二人には以前にもお手伝いしてもらったことがありますので、こうして来てもらいました」


 アイゼンが説明する。嘘を言っているわけでもないので、別段不思議な話ではない。それをどう受け取ったのか、ハープサルは数度頷いて見せた。


「ふむ、なるほど。まあスタール閣下からも声がかかったようですし、他にも色々と活躍されてきたのでしょう。そのような若者と仕事をするというのも、面白そうですな」


「あら? その点は大丈夫ですわ」


 ハープサルの言葉にユリカが声を上げる。彼女はそのままクラウスの方に視線を向けた。


「こちらのクラウスは以前にローグ王国の外交官との交渉を見事に成功させましたの。ローグに生まれていたなら、今頃は女王陛下の側近になっていたかも知れませんわ」


 そんなことを言われると思っていなかったので、クラウスは驚いてしまった。その話を聞いていたハープサルは、目を丸くして感心した。


「ほう! それはそれは。」


「あ、いや。それは過大評価と言いますか……」


「あら。あちらの方からスカウトまでされたじゃない。それも過大評価なのかしら?」


 ユリカは面白そうに話してくる。嘘ではないので、クラウスもそれ以上否定はできなかった。


 するとハープサルはクラウスを興味深そうに見つめていた。


「なるほど。これは面白くなりそうだ。これから楽しみですな」


「あ、いや。閣下。私はあまり大したことはありません。期待に沿えないと思いますよ」


 それを謙遜と受け取ったのか、ハープサルは面白そうに体を揺らした。


「お若いのに奥ゆかしい方ですな。まあこれからじっくりお話していきたいですな」


 そう言って紅茶を置くハープサル。それから彼は一呼吸おいて口を開いた。


「我が国は皇帝陛下をはじめ、政府も貴国については注意深く見ております。先の帝国再統一の発表を聞いてから、我が国も対応を考えております。その点についても、じっくり話し合いたいと思っております」


 ハープサルの言葉を受け止め、クラウスたちが緊張する。その時、ユリカがすかさず問いかけた。


「もちろん、我が国の帝国再統一は貴国にとっても無視できないことと思います。統一された帝国が、貴国にとって善き隣人となるかは、気になることと存じます」


 かつてのクロイツ帝国が復活すれば、アスタボにとっても隣国となる。アスタボは今、その対応を迫られているわけだ。


 アスタボは今のところ、はっきりとした対応を見せていない。賛同も反発も見せず、今のところは中立を装っている。しかしその腹の内は何を考えているのか。ユリカは探りを入れてみた。


「閣下。政府は我が国に対してどのように考えているのか、ご意見を伺っても?」


 その問いかけにハープサルは少し考えた後で、困ったように笑った。


「申し訳ありません。まだはっきりとした答えは出せません。今も協議中とだけは答えておきます」


 答えをはぐらかすハープサル。どこまでも腹の内を探れない顔だった。ただそれが逆に楽しかったのか、ユリカは嫌な顔せずに答えた。


「わかりました。それなら、これからじっくり口説き落としていきますわ」


 意地悪な宣戦布告だった。ニヤリとしたユリカの笑みを見て、ハープサルもニヤリと笑みを返した。


「貴方みたいなお嬢様に口説かれるのであれば、悪くない仕事ですね」


「覚悟してくださいね。こちらにはクラウスがいますから。何せローグ王国の大使を惚れさせた、私自慢の色男ですから」


 そんなことを言われて、クラウスは戸惑うしかなかった。そんなクラウスをハープサルが見つめた。


「クラウスさん。お手柔らかにお願いします」


「……こちらこそ、よろしくお願いします」


 変な汗を流すクラウス。するとハープサルが横に控えていた女中を呼び寄せた。


「紅茶のおかわりはいかがですか? 他にもケーキもありますが」


「あら。それならお願いできますか?」


 ユリカがそう答えると、女給がケーキを配りまわった。目の前に置かれたケーキを見て、ユリカが嬉しそうにはしゃいだ。


「あら。とても美味しそうですわ。貴方様がお作りになりましたの?」


 ユリカに声をかけられて、女給が笑顔で答えた。


「はい。私の手作りでございます。お口に合えばいいのですが」


「大丈夫です。紅茶を入れるのが上手な人は、ケーキを作るのも美味しいですから」


 ユリカはそう言うと、空っぽになったティーカップを差し出した。


「すいません。ついでに紅茶のおかわりもお願いできますか?」


「はい。喜んで」


 カップを受け取り、紅茶を注ぎに戻る女給。それを見送った後、ハープサルが口を開いた。


「さ、政治の話はここまでにしましょう。今はお茶と歓談を楽しみましょう。政治の話はお茶請けにはなりませんから」


 その言葉にはクラウスも内心で同意した。政治の話など、彼にとっては好き好むものではなかった。それから四人は新たに注がれた紅茶を飲みながら、他愛ない会話を楽しむのだった。






 宮殿を出ていく頃には夕方になっていた。意外と会話が弾んだせいか、あっという間に時間が経った気分だった。


 大使館に戻る馬車の中で、クラウスが大きく溜息を吐いた。


「おや、お疲れですね。クラウスさん。緊張されていましたか?」


 にこやかに語るアイゼン。彼の言うとおり、クラウスは緊張しっぱなしだったのだ。馬車の中でどっと疲れがやってきたのだ。


「仰る通り、緊張しました。今日だけでだいぶ年を取った気分ですよ」


 彼にとっては外交デビューなのだ。それも他国の大臣を前にしてのもの。少し前まで学生だった彼にとっては、考えられない話だった。


 そんな彼の様子をユリカは面白そうに笑った。


「あら、それは大変ね。アスタボにいる間におじいちゃんになっちゃうかもしれないわね」


「そうだな。今のうちに老後の計画を立てておくよ」


 その一言が面白かったのか、ユリカとアイゼンが静かに笑った。その時、アイゼンが語り掛けてきた。


「それで、ハープサル閣下とお話されて、どうでしたか?」


 問いかけられたクラウスは今日のことを思い出す。終始にこやかに話すハープサルを思い出し、その印象を率直に答えた。


「はっきり言えば、腹の底の知れない御仁だと思います。こちらを迎え入れているようでいて、しかしその内面を明かしていない。少し油断すればあちらのペースに引き込まれる。そんな印象でした」


 その意見に同意するようにユリカも頷いた。


「私も同じですわ。手の内は明かさず、最後まで真意を見せなかった。その内面が測れない人でした」


 これも一つの交渉術というのだろう。ハープサルは最後まで全てを明かしてはくれなかった。これも長く外交に携わってきた人間というものなのだろう。クラウスは感心すらしていた。


 そんなクラウスとは裏腹に、ユリカがニンマリと笑った。


「でも、だからこそ口説き甲斐がありますわ」


 不敵に笑うユリカ。彼女の中で静かに燃え上がるものがあったようだ。その笑みを見て、アイゼンが笑う。


「頼もしい限りです」


 その二人を見て、クラウスは沈黙した。二人の中でどんな考えがあるのだろうか? 何か策でもあるのだろうか? 彼がそんなことを考えていると、唐突に馬車が停まった。


 クラウスが怪訝な顔をする。まだ大使館には着いていない。何故ここで停まるのか? クラウスが不思議に思っていると、アイゼンが口を開いた。


「カレーニナはこの道をまっすぐに歩いて行けばわかります。どうぞ、楽しんできてください」


「ありがとうございます。さ、行きましょう」


 そう言ってユリカがクラウスの手を引く。


「え、あの、どういうことだ?」


「ほら、いいから。これからカレーニナに行くのよ」


 確かカレーニナはアイゼンにお勧めされたレストランだったはず。これからそこに行くというのだ。


 戸惑うクラウスを引っ張り、一緒に馬車を下りる二人。その二人をアイゼンがニッコリと見送る。


「それではお気をつけて。ゆっくり楽しんできてください」


 そう言ってドアを閉めると、馬車は二人を置いて走り出した。後に残されたクラウスは混乱するばかりだった。


「おい。どういうことだ?」


「だからこれからカレーニナに行くのよ。お勧めされたでしょう?」


「いや、それはわかるのだが……」


 仕事にやって来て、今日いきなり行くというのか? さすがに戸惑うクラウスだったが、ユリカがさらに続けた。


「今日はとびきりの美人を呼んだのだから、早く行きましょう」


「とびきりの美人?」


 ますます意味がわからないと、混乱の極みに達した。そんな彼にユリカがいつもの悪戯な笑みを見せた。




『カレーニナ』は静かなレストランだった。それなりに繁盛しているが、しかし中心部から離れたところにあるので、都市の喧騒とは無縁のレストランだった。静かに過ごしたい人にはもってこいの場所だ。


 クラウスとユリカは、カレーニナの個室にいた。楽しそうな雰囲気の中、何故かクラウスは緊張の面持ちだった。そんな彼をよそにユリカはメニューの品定めをしていた。何を注文しようか、迷っているようだった。


 その時、個室のドアがノックされた。ドアを開いてウェイターが顔を覗かせた。


「失礼します。お客様がいらっしゃいました」


「ありがとうございます。お通ししてください」


「かしこまりました」


 ウェイターがそっとドアを開けると、そこにはとびきりの美人がいた。ユリカは立ち上がって彼女を迎えた。


「ようこそいらっしゃいました。ナタリア様」


 挨拶を受けたナタリアが微笑みを浮かべる。そんな彼女の顔を、クラウスは何度も見つめた。それは彼女が美人だからではない。彼女が宮殿でのお茶会で、彼らにお茶を振舞った女給であることを確認するためだった。


 その時、クラウスとナタリアの視線が重なった。ナタリアは照れたように口を開いた。


「今日はお誘いいただき、ありがとうございます。とても嬉しいですわ」


 その綺麗な声を聞いて、彼女が間違いなくあの時の女給であると確信した。


 アスタボの女性はグラーセンやアンネルの女性とは少し違った印象があった。冬が長く、太陽が隠れがちだからなのか、この国の女性は陶磁器のように美しい肌だった。それに大人びた美しさがあり、完成された美人のように思えた。今目の前にいるナタリアも、確かにとびきりの美人だった。


 そんな美しいナタリアだが、ユリカたちに見つめられると、恥ずかしそうにはにかんだ。


「まさか貴方みたいな女性に食事に誘われるとは思ってもいませんでした。今もドキドキしてますわ」


 頬を染めるナタリアにユリカが微笑みを返す。


「貴方みたいな美人がいれば、同じ女性でも食事に誘いたくなりますわ」


 そう言ってお互いに笑みを交わすユリカたち。


 昼に宮殿で行われたハープサルとのお茶会の時、給仕に来ていたナタリアにユリカはカレーニナに来るよう誘っていたのだ。途中でティーカップを差し出した時、そのカップの中に手紙を忍ばせていた。ナタリアはそれを受け取り、こうしてカレーニナにやって来たというわけだ。


「ティーカップの手紙を受け取った時は驚きました。でも、素敵なお誘いで嬉しかったです」


「お伽話みたいで、素敵だったでしょう?」


「ええ、とっても!」


 大人びた美人のナタリアが少女みたいにはしゃいでいる。その様子が逆に魅力的に映るので、思わず見とれるクラウス。すると、ユリカがクラウスの手を取った。


「今日は私だけじゃなく、色男もいますの。一緒に楽しみましょう」


「え、ええと……」


 思わず戸惑うクラウス。その様子が面白いのか、ナタリアがコロコロと笑った。


「さ、座ってください。今度は貴方のお話を聞かせてくださいませ」


 ユリカがそう言うと、三人はテーブルに着いた。ウェイターにいくつか注文を済ませると、唐突にナタリアが切り出してきた。


「それで? 聞きたいのはやはり、政治のお話でしょうか?」


 その一言ににっこりと笑うユリカ。


「話が早くてありがたいですわ」


 ここにナタリアを呼んだ理由。それはナタリアからアスタボ政府の内情を探るためだった。ナタリアは宮殿で給仕をしており、比較的宮殿を出入りできる存在だった。ハープサルや政府要人の話を知っていてもおかしくはない存在だ。


 これはアンネルのスパイ、ジョルジュの手法を真似たものだった。グラーセンでジョルジュは、参謀本部の女給であるリタを取り込み、参謀本部の情報を探っていた。


 宮殿で女給をしているナタリアから情報を探る。ジョルジュの手法に学ぶというのも、クラウスは複雑な気分だった。


「お二人はグラーセンから来ているのですよね? 知りたいのは、アスタボが帝国統一事業にどう対応しようとしているか。ですよね?」


「その通りです。アスタボ政府は対応を協議中ということですが、ある程度意見が出ているはずです。どのような意見があるのか、知っておいでなら教えていただきたいのです」


 質問の内容が予想できていたのか、ナタリアは特に驚いた様子を見せず、落ち着いた様子で語り始めた。


「私も全てを知っているわけではありません。ハープサルさんや、他のみなさんが話していることを立ち聞きしている程度のことだけです。それは貴方たちにとって価値のある話とは思えませんが、よろしいのですか?」


 ナタリアの言葉にユリカはニッコリと笑う。


「それでいいのです。嘘かどうかわからない話より、確かな真実の方が必要なのですから」


「あら、私が嘘を言わないと思わないのですか?」


 ふっと笑うナタリアにユリカも笑みを浮かべる。


「私、女性を見る目は自信がありますの」


 雄弁に語るユリカ。その言葉には、ナタリアに対する信頼が込められていた。


 ユリカの言葉を受け取ったナタリアは、面白そうに笑った。


「今日はここに来てよかったです。そこらへんの男性より楽しくなりそうです」


「これも運命ですわ」


 そう言ってお互いに笑みを交わすユリカとナタリア。確かにこれまでのユリカの振る舞いを見ると、そこらにいる男性よりも格好いい気がした。もし彼女が男性だったなら、稀代の伊達男として、歴史に名を残していただろう。そんなことをぼんやり考えるクラウスだった。


「それなら、私も楽しいお話をしないといけませんね」


 そう言って、ナタリアが切り出した。


「お二人が気にしているのは、政府がグラーセンの帝国統一事業をどう受け止めているか、ということですね」


「そのとおりです。今もハープサル閣下など政府は対応を協議中とのことですが、具体的に政府内ではどのような話になっているのか、ご存知でしょうか?」


 ユリカの問いかけにナタリアが考え込む。それから彼女は顔を上げてユリカたちを見た。


「はっきりとした答えは出ていないようですが、帝国の統一には賛成、反対が半々といった様子です。ただ積極的に関わる気はないようで、慎重な意見が目立っているみたいです」


「なるほど……ちなみに反対派はどういった立場の人たちですの?」


「目立つのは軍の人たちです。軍人さんたちは帝国が統一されたら、国防上の脅威になるとかで、統一を阻むべきとか訴えています」


 わかりやすい理論だ。アスタボにとっても帝国が復活すれば、強大な大国が隣に出現することになるのだ。もし逆の立場だったなら、グラーセン軍も同じことを叫んでいただろう。


 黙考するクラウス。そんな彼を見ながら、ナタリアはさらに話を続けた。


「逆に政府の中には、復活する帝国を利用するべきと考える人たちもいます。たとえば外交府からは帝国と同盟を結んで、西からの脅威を取り除こうと訴えています。他には商業省からは帝国との貿易を盛んにして、アスタボの利益に繋げようという人もいます」


 ナタリアの説明を受け止めるクラウスたち。かつてのクロイツ帝国の復活は、間違いなく世界の構造を作り替える出来事となる。それは地図を書き換えるだけでなく、外交や軍事、経済や政治など、昨日までとは違う世界、新しい歴史が始まることになる。


 その時代の流れにどう対応するか、各国が思案している。それはアスタボにとっても同じことであり、新しい時代をどう受け止めるか。右を向くか左を向くか。たったそれだけのことで運命が変わるのだ。慎重になるのも無理はなかった。


 と、それまでの話を聞いて、クラウスは気になることがあった。ハープサル自身はグラーセンに対してどう思っているのだろうか? 彼はナタリアに問いかけた。


「ナタリアさん。ハープサル閣下も話し合いに参加されていると思いますが、閣下自身はどのようなお考えを持っているか、ご存知ですか?」


「大臣は基本的に中立です。というより、アスタボの利益になるなら統一も承認していいと思っているはずです。ただ……」


 そこまで言ってナタリアが言い淀む。何か言いにくいことがありそうな顔だった。


 困り顔のナタリアにユリカが微笑む。その微笑みは、先を話してほしいと言っていた。意を汲んだナタリアはその先を話してくれた。


「どうも大臣には、帝国統一を支持できない事情があるみたいなんです」


「支持できない理由?」


 首を傾げるユリカ。横で聞いていたクラウスも同じような気分だった。


「ナタリア様。その事情というのは何でしょうか?」


「すいません。そこまでは私もわかりません。ただ、積極的に支持を表明できないことは確かです」


 一体どういうことなのか? 何か隠された事情でもあるのだろうか?


 すると、それまで黙り込んでいたユリカが口を開いた。


「ナタリア様。ハープサル閣下のお考えは、もしやフォードル皇帝陛下の御意によるものでしょうか?」


 ユリカの一言に顔を上げるクラウス。確かにそれなら辻褄が合う。もしそうだとするなら、それは君主の意志であり、それを覆すことは不可能だ。ハープサルが支持を表明できない理由にも理解できる。


 しかし、その問いかけにナタリアは首を横に振った。


「それはないと思います。陛下は政治に関しては基本的に中立の立場です。政府の決定は基本的に裁可を下されますし、政治の決定は国民の手に委ねるべきだと考えておいでです。陛下御自身のお考えはあるかもしれませんが、政府の決定に御自身の意志を強制させることはないはずです」


 君臨すれども統治せず。アスタボ皇帝は他国の君主に比べて強い行政権を有しており、専制君主として政治的決定を下すこともできた。しかし現皇帝であるフォードルはその行政権を無制限に行使することはなく、政治に関しては基本的に政府と議会に一任しているという。


「今回のグラーセンに関する話し合いも、陛下は政府に一任しているそうです。たぶんどのような答えが出たとしても、陛下は御裁可されると思います」


「そうですか……」


 頭を抱えるクラウス。聞けば聞くほど不気味な話だ。どうしてハープサルはグラーセン支持に回らないのか。まだ自分たちが知らない『何か』が隠されているのだろうか?


 答えの出ない思案に沈み込むクラウス。その様子をナタリアが不安そうに見つめた。


「申し訳ありません。あまり役に立たなかったでしょう?」


 そんなことを語るナタリアにとんでもないとばかりにユリカが言った。


「そんなことはありませんわ。ハープサル閣下のお考えを知れただけでも収穫ですわ」


「ですが……」


 なおも不安そうなナタリア。するとユリカはニッコリと笑った。


「少なくとも、とびきりの美人とお話ができましたわ。私にはそれで十分です」


 満面の笑みで答えるユリカ。その微笑みを目を丸くして見つめるナタリア。二人がしばらくそうしていると、ナタリアが笑った。


「本当、貴方に誘われてよかったです」


「それは光栄ですわ」


 二人で静かに笑い出す。その時、ちょうど注文していた料理が運ばれてきた。


「さ、難しい話はやめにして、後は楽しいお話をしましょう」


「ええ。そうしましょう」


 その時、ユリカがグラスを手に取る。この国で作られたビールが注がれていた。


「ほら、クラウスも」


「あ、ああ」


 言われてクラウスもグラスを手に取った。ナタリアも手に取ったのを確認して、ユリカが声を上げた。


「それでは、この出会いを祝して」


 三人のグラスがカツンとぶつかる。それからは美味しい料理を肴に歓談を楽しむのだった。




「今日は楽しかったです。ありがとうございました」


 そう言って頭を下げるナタリア。結構飲んだせいか、白い頬が赤く染まっていた。そんな彼女にユリカは笑って答えた。


「こちらも楽しかったですわ。まだこの国にしばらくいますので、またお誘いしてもよろしいですか?」


「それは、宮殿のお話を肴にするために?」


 微笑むナタリア。その微笑みには悪戯な笑みを返すユリカ。


「できれば政治の話はしたくありませんわ。女の子ですから」


「ふふ、そうですね」


 最後まで楽しそうなナタリア。おしとやかな印象だったが、やはり女同士だと、話をするのが楽しいのだろう。そんなことを考えるクラウス。


「それでは、またお会いしましょう。おやすみなさい」


 そう言って、ナタリアは軽やかな足取りで歩き出した。その彼女の背中を見送るクラウスたち。


「まったく、君にはいつも驚かされるよ」


 唐突に呟くクラウス。その呟きにいつもの微笑みを返すユリカ。


「一体何のこと?」


 わかっているのに、わざと質問してくるユリカ。それもいつものことと、クラウスは話続ける。


「知らない間にナタリアさんを呼び出すなんて、話を聞かされた時は驚いたよ。それにアイゼン大使もそのことを知っていたみたいだし。事前に打ち合わせでもしていたのか?」


 ナタリアを呼び出したことは、アイゼンも把握していた様子だった。二人で計画していたのだろうかとクラウスは思っていた。その問いかけにユリカが答えた。


「アイゼン大使とは以前も一緒に仕事をしたことがあったから。私のやることはお見通しなのよ」


 楽しそうに語るユリカ。対して自分だけが仲間外れにされたクラウスとしては、少し悔しかった。


「君たち二人して私を仲間外れにするなんて。本当に意地悪だな。君たちは」


「あら。そんなことはないわ」


 その時、ユリカがクラウスを見つめた。


「好きな子ほど、悪戯したくなるって言うでしょう?」


 真っ直ぐに見つめてくるユリカ。そんなことを言ってくるものだから、クラウスとしては目を逸らしてしまうのだった。


「とりあえず大使館に帰ろう。馬車でも捕まえるか?」


 クラウスの問いかけにユリカはんーんと首を横に振る。


「歩いて帰りましょう。せっかくだから、ゆっくり街を見て歩きたいわ」


 酒を飲んだせいか、ユリカも楽しそうに笑っていた。その笑顔に反論する理由があるはずもない。二人はそのまま歩き出した。


 パブロフスクの夜は静かだった。北にあるせいか、グラーセンとは違う夜空だった。もしかしたら、初めて見る星座もあるかもしれない。そんな空を見上げながら、楽しそうにするユリカ。


「ナタリアさんの話、どう思う?」


 唐突に問いかけるクラウス。その問いかけにユリカも口を開く。


「予想できていなかったわけじゃないわ。特に今の微妙な状況だと、どう転んでもおかしくはないわ。グラーセンの帝国統一にどう関わるかは、アスタボにとっても大きな問題よ。意見が割れるのも無理はないわ」


 アスタボ政府はグラーセン支持か反対かで意見が分かれていた。それぞれの立場でそれぞれの理論を展開し、協議を続けている。きっと今まで、難しい話を続けてきたに違いない。


 そして、それ以上にクラウスには気になることがあった。ハープサルのことだ。


「ハープサル閣下はグラーセンを支持できない理由があるって言っていたな」


「……そうね。実は私もそこは気になっているの」


 ナタリアの話では、ハープサルにはグラーセン支持に回れない事情があるという。ハープサルを悩ませる複雑な事情に、クラウスたちは思考を広げる。


「その事情についても、調べる必要がありそうね」


「そうだな」


 もしかしたらそこから事態が好転する可能性もある。帰ったらアイゼンに相談してみようとクラウスは考えた。


「ところであなた?」


 すると、ユリカがクラウスの顔を覗いてきた


「あなた、ナタリアさんのこと、じっと見ていたわよね? やっぱり気になるのかしら?」


 どこか不満そうにしているユリカ。その顔を不思議そうに見ながら、クラウスは口を開いた。


「まあそうだな。やはり北国だと晴れが少ないから、色白になるのだろうな。あんなに白い肌は初めて見るから、つい見てしまった。やはり世界は広いと思わされたよ」


 そんなことを真面目に語るクラウス。そんなクラウスの言葉を聞いていたユリカは、どこか複雑そうに笑っていた。


「どうした? 私はまた変なことを言っていたか?」


「いえ、別に。あなたといると苦労するなって思っただけよ」


 首を傾げるクラウス。自分としては真面目に答えたのに、どうしてそんな返事が来るのか、理解できないでいた。


 そして、その態度に益々苦笑いを浮かべるユリカだった。


 そんな他愛ない会話を交わしながら、二人はアスタボの夜を歩くのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る