#4

 母親が追いかけてくる気配はしなかったが、昴は逃げるように足を動かし続けた。気が付けばバス停を通り過ぎ、駅の方向にとぼとぼと歩いていた。徒歩で行くにはやや遠い距離だが、ここまで来てしまっては仕方がない。

 元々バスの本数はそれほど多くないし、この時間ならかなり待つことになるだろう。それならば歩いても大して変わらないはずだ。タクシーを捕まえることも考えたが、そこまで裕福ではないのでやめた。けれど、深夜にはならないうちに、桜華堂まで帰れるはずだと、目算を立てた。


 だいぶ歩いて、やっと駅前の繁華街まで出た。駅舎にも周囲の店にも煌々と明かりが灯っているが、夏休みとはいえ平日の夜であるため、人通りは少なくなってくる時間だった。

 普段はあまり歩かないような距離を歩いて、足が痛くなってきていた。電車で座れなかったらきつい。

 ひとまず飲み物でも買ってから帰ろうと、コンビニを探して辺りを見回す。その時だった。


「あれ、昴じゃねえ?」


 突如、名前を呼ばれた。

 怪訝な顔をしつつ、声のした方に目を向ける。そこには、昴の同年代くらいの青年が、満面の笑みを浮かべて手を振っていた。


「……光汰」


 それは、同じ高校に通っていた友人、水谷光汰みずたにこうただった。


「久しぶりだな! 帰ってきてるなら連絡くれればいいのに」


 言いながら駆け寄ってくる。髪を明るい茶色に染めて、若干雰囲気が変わっているが、人懐こい笑顔は高校時代と変わらなかった。高校卒業以来の再会だから、一年数ヶ月ぶりに会ったことになる。わずかな間に思えるが、ずいぶん長い間会っていなかったように思えた。


「……悪い。ちょっと忙しくて」


 昴はぎこちなく笑みを返す。しかし、


「……どうした? 何かあったのか?」


 光汰は昴のその表情から、ただの夏休みの帰省ではなかったと察したようだった。


「何でもない。もう帰らないといけないから。また今度ゆっくり会おうぜ」


 そう言って軽く手を振りつつ、改札に向かおうとしたが、そちらの方が何やらざわついていることに気付く。

 見ると、掲示板に「人身事故による運休のお知らせ」と書かれていた。駅員もマイクを持ってアナウンスしたり、乗客の問い合わせ対応に追われている様子が見えた。


「マジで……?」


 運転再開まで時間がかかる見込み、とアナウンスが流れている。これでは、桜華堂に帰れない。

  終電の時間までに運転が再開しなかった場合、どこかに宿を取らなければならない。実家に戻るか、ネットカフェかどこかで一夜を明かすか。しかし逃げるように来てしまった手前、前者は避けたい。多少の出費を覚悟するしかないかと考えていると、


「うちに泊まるか? 狭いけど」


 光汰がそう言った。渡りに船の申し出だが、


「でも、お前ん家って実家だろ?」


 光汰とは仲が良かったが、家族とは面識がない。そこにいきなり泊まらせてもらうのは気が引ける。


「ああ、俺、今一人暮らししてるんだよ。だから平気」

「え? 大学近いのに?」

「一回一人暮らしってやってみたくてさ」


 光汰は照れ臭そうに笑う。


「だから遠慮しなくていいぞ。あ、客用の布団とかはないけど、勘弁な」


 その点は、夏場であるし、床に寝ても平気だろう。

 昴は光汰の言葉に甘えることにした。

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