終/始

第43話

 行くあてもない。太陽は相変わらず顔を見せない。水の溜まった谷は湖のようになっている。土砂崩れが起こり、あちこちで山肌が現れている。

 できるだけ雨水の入り込まない場所を見つけて、眠りに就く。人間と言うのは、少々悪い環境下でも疲れていれば眠られるようだった。

 こちらの世界に来てからのことが、思い出や夢で繰り返し浮かび上がってくる。

 すっかりと思考まで人間化してしまったのか、感傷的になっている。

 どこかで、スイッチの切れる音がした気がしたが、まどろみの中ではよく分からなかった。



 アラームは、自分の起動音。

 同時に、天窓を覆っていたカーテンが開かれていく。あまり差し込まない光。ピントが合う。灰色の雲がまだらを描き、重力に対して素直な雨粒がまっすぐに落ちてくる。

 頭の中で太陽光対地熱の発電率が三対七だとの計算がはじき出される。メインブレインに照会すると、正確には7.2対6.8だと知らされる。彼の天気予報が正しければ、夕方から風が強くなるらしい。

 しばらく、この風景が何なのかわからなかった。僕は、どこにいる?

 自分の右手が視界に入る。ボロボロになった、金属の手。

「ああ」

 僕は、戻ってきたのだ。

 ベッドから身を起こし、足に刺さっていた充電ケーブルを引き抜く。手足を伸ばしてみる。異常は無いようだ。

 鏡を見ると、至る所が錆付いている古びたロボットの顔が映っていた。型は最新だ。ロボットの開発が中止されて三十一年になる。そして三十一歳のロボットが、ここにいる。

「おはよう、ミットライト」

 居間に行き、いつもの挨拶をする。懐かしいが、できるだけそっけなく装って。

 返事は、なかった。

 ミットライトはいつもの椅子に座っていた。膝には本が置かれていた。いつもと変わらない。けれども、微動だにしない。

 充電が切れてしまったのだろうか。よく見ようと前に回り込んだ時、僕の体の中を電気が走った。人間ならば固唾を飲んだことだろう。

 レンズ部分の外装がはがれおち、中身が露わになっている。ついにここまできてしまったのか、ということだけが驚きではなかった。レンズの奥にあったのは、本来そこにあるはずのないもの。すでに何も写してはいないが、まぎれもなく人間の眼球だった。

 頭が混乱する。僕はミットライトの体内を舐めまわすようにサーチする。首から下は完全なロボットだが、耳と脳の一部は人間のものだった。

 アンドロイド。僕らの先祖が絶滅させたはずだ。

 脳の一部でも人間のものを使用していれば、その者はロボットではないとみなされた。僕らは同族意識を守るため、アンドロイドを非常に嫌った。

 まさか、ミットライトがその生き残りだったとは。

 そして、ミットライトはもう、アンドロイドですらない。

 本にかけた両手。彼は最後まで読書していたのか。

 本のタイトルを見た。『老人と海』。

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