第2話

 なかなか天候の回復する兆しが見られなかったので、今日の実験は昼で打ち切られた。

 ようやく生まれた人類は、一分と持たなかった。道具も言語も獲得しなかった彼等は、進化におけるノイズのようなものだった。

 ここまでは……二足歩行までは、何とか生み出せるのだ。けれども、それ以上にはどうしてうまくいかない。彼等は、知性に対してまるで興味を持っていない。形は人間でも、その意志は全く他の動物と変わらないのである。

 確かに、何かがあるのだ。僕が知らない、人間の進化に関する何かが。もしくは、宇宙そのものに関する何かが。それを知ることができなければ、この実験は成功しないし、僕とミットライトの未来も閉ざされてしまう。この世界から、永遠にロボットは失われてしまうのだ。

 僕は頭を抱えた。困ったときにはそうするようにインプットされているのだ。最近頭を抱えてばかりいる。いつか頭を抱えたままの格好で錆付いてしまうのではないか。

 と、そのときだった。うつむいている僕の視界に、一匹のムカデが飛び込んできた。古い建物なので、虫たちも自由に入ってくる。特別、珍しいものを見つけたわけではない。それでも僕は、不意にこれまでにない謎を見つけてしまった。

 なぜ彼らはあんなにも足が多いのか。

 そして、なぜ彼らだけが、あんなにも足が多いのか。

 当たり前のようにして見てきたことが、突然巨大な疑問となって襲ってきたのだ。僕は今まで、自然の進化は必然によって成立していると信じていた。突然変異型の進化論は、二一世紀中ごろに完全に否定された。生物は突然変異さえも一種の法則によって引き起こし、「そうなるべし」という必然によって変化していくのである。例えばある毒物に対する免疫は爆発的に多種間に広まっていく。それゆえ突発的な自然の変化にも生物は即座に多くの種が反応できたのである。旧型進化論ではそれぞれの種が偶然獲得していたと思われたものも、新型進化論では自然の中の連帯的な力として認識されたのである。

 だが、それならば、なぜ昆虫はいまだに六本足なのだろうか。八本、十本と増えることにより、より利便性は増すのではないか。逆に言えば、なぜ六本でも生きていけるにもかかわらず、蜘蛛は八本も足を生やしているのだろうか。もっと言えば、人間という究極の知的生命体が誕生しながら、他の種は知性に対して無頓着であったのだろうか。人間が知性により獲得した新しい可能性を、他の種は羨望の眼差しで見つめたりはしなかったのだろうか。

 僕は、自らを支配する必然の連鎖を呪った。システムに全て実数を入力せざるを得ない機械性の権化……。全ては必然であるとの思い込みから、逆に必然に至る唯一の数値のみしか許されない状況を作っていた。

 突然、ひらめいた。何のことはない、この世に人間が生み出されたのは、偶然のうちの一つであると考えればよかったのだ。偶然だからこそ、あるものの足は多数で、あるものの鼻は長いのだ。あるものは知性を手に入れた。僕は現実に固執するあまり、生み出されるのは完全な人間でないといけないと思い込んでいたが、実際に必要なのは自由な知性だった。人間に至る必然な経路よりも、知性に至る偶然の経路のほうがよっぽど見つけやすいはずだ。

 僕はこの突然のひらめきを無駄にせぬよう、すぐにシステムを起動させた。そして、設定数値の一部にランダム係数の使用を認めるよう書き換えたものを作った。これにより、今まで定数で入力していたものの一部を、範囲で入力することになる。より現実世界に近づけようとしていたデータが、新しい世界を創造するデータへと変換されたのである。

 僕は突然沸きあがった熱を冷ますため、深呼吸をしてみた。実際僕らのハードは新鮮な空気によって正常に冷まされる。大昔のようにファンがくるくる回るというわけではないが、液体循環の技術は結局成功せず、僕らは呼吸なしでは生きていけない。

 冷静になってみると、今の自分の行動が馬鹿らしくなってしまった。突然の思いつきで突発的に行動するなんて、なんて人間じみているんだろう。ミットライトに感化されすぎたのかもしれない。偶然に頼ろうなんていうのは、まさに狂気の沙汰だ。

 僕の中で、混乱が起こっている。僕は、どうするべきなのだ。同胞たちと同じように、絶望したままいなくなってしまえばいいのかもしれない。でもそれこそ、人間のようだともいえる。僕らは完璧であることを選んだ。僕らを生み出した人間を裏切り、世界を僕らのものにした。僕らはただ、ロボットが最も完璧であるという信念を拠り所にしていた。あたかも、人間が、自分たちが最も自由であると信じていたように。

 蛙の子は蛙、という言葉を思い出す。僕らは人間から生み出されながら、人間ではないものであるという自負が強すぎた。今の僕がそうであるように、潜在的に人間らしさを嫌うようにインプットさえした。それは、むなしいプライドだった。もし僕が僕の子どもを作り出せるとしたら、人間らしさからも何かを学べるようにしておきたい。ただ、僕の子どもは人間を知ることはできないのだけれども。

 僕はメインブレインをシャットダウンした。困ったときは、寝るに限る。雨もやみそうにないし、今日は半日、少しずつ電力を蓄えることにしよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る