第2話 出会いの日 快晴②

「私の感情を私に教えてほしいの」



 優しい春風が頬をかすめる。少し汗ばんだ肌の熱をさらっていく。

 彼女のさらさらの髪も綺麗になびく。

 僕は耳を疑った。

 だから思わず聞き返してしまった。しっかり聞こえているはずなのに。


「ちょっ……今、なんて……言った……?」


「え? あれ、聞こえなかった? じゃあもう1回言うね」


 息をすぅーと吸い込む。真っすぐに僕の瞳を見据えてもう一度同じことを口にする。


「私に私の感情を教えてほしいの」


 僕の聞き間違いではなかった。

 僕は正しく聞き取ったうえでその意味を咀嚼できなかっただけだった。


「ごめん。聞き間違いではなかった。でも、僕は君の言葉の意味がわからない」

「うーん。じゃあどうしようかな? あ、そうだっ」

 彼女は何か思いついたのかスカートを折りたたんで僕と目線を同じにするようにしゃがむ。


 そして、まるで僕の耳に囁きかけるように静かに声を発する。


「今の私の天気感情はどうなってる?」


「な、なんでそれ――いだっ」

 その言葉を聞いた瞬間、体を反射的にのけぞってしまい、木に頭もぶつけてしまった。


 だが――今はそんなこといい。それどころではない。


 どうして彼女――目の前の快晴少女は俺の“力”のことを知っているんだ……。


 快晴。


 そう――彼女の上には晴れマークしか浮かんでいない。

 なんてことない日常で晴れマークのみ浮かんでいる人は滅多にいない。

 というか僕は初めて見た。


 感情は1つだけじゃない。二律背反な感情が常に心のなかに渦巻いている。

 それが僕には分かる。


 晴れマークの陰に雨マークや曇マークが必ずある。


 なのにどんなに目を凝らしても彼女に上に浮かんでくるのはただ1つのみ。


 当の彼女といえば、首を傾げて不思議そうに僕を見ている。


「天空くん? あ、そっか。まだ私の名前言ってなかったね」


 いや、問題はそこではないのだけれど。


日照雨そばえ瑞陽みずひ。字は日が照る雨でそばえ。そして、瑞巌寺ずいがんじの瑞に太陽の陽で瑞陽って書きます。なかなか珍しいでしょ」


 日照雨さんは誇らしげに自分の名前を紹介する。

 ちなみに瑞巌寺とは宮城県松島町にある国宝。


「丁寧にどうも。というか僕にとっては君の名前よりも遥かに気になっていることがあるんだ」


 彼女は口元に人差し指をあて、少し上を向いて考える素振りを見せる。


「どうして“力”のことを知っているかってこと?」

 なかなかに鋭い。

 口角を上げ、ずいっと顔を近づけてくる。


「あ、顔に出ちゃってるよ」

「カ、カマかけたのか……?」

「いやいや、そんなつもりは全然ないよ。私は天空くんが“力”を持っているって確信を持って話しかけたからね」

 胸の前で両手を左右に振りながら、答える。

 そっちのほうが怖いんだが……。


「なんで私が“力”のことを知っているんだって顔しているね」


 動揺している。いや、動揺するに決まっている。

 だってこれまで僕の“力”が誰かに漏れたことはない。

 知っている人間は僕の家族のみでそれは僕から直接口頭で伝えている。

 小さい頃に家族以外にもうっかり話してしまったことがあるが、それ以降そんなことはない。


「で、その理由は教えてくれないのか」

「うん。それはちょっと教えられないかな。というより私と一緒に過ごしていくうちに自然とわかってくると思う。大体1年くらいかな?」


 彼女は少しだけ目線を下げる。声もさっきまでよりも低い気がした。

 だが、彼女の頭の上に浮かんでいるのは依然として晴れマークのみ。


「僕が君に協力する前提になっている気がするんだけど」

「だって私が天空くんの“力”を知っている理由知りたいでしょ? それに――」

「……それに?」

 含みを持たせた言い方をする。


「私と一緒に過ごしたらきっと楽しいよ。まぁ私は楽しいっていう感情わからないんだけどね」


 えへへと他人事のように笑う。

 自分がとんでもないこと言っていることがわかっていないのか。全く。


「楽しい……ね。あいにく僕は今以上も以下も望んでいないんだ」


 そう言って僕は彼女から目を逸らす。

 もういい。必要以上に望むから傷つく。

 現状維持でいい。


「でも、私には天空くんが少し寂しそうに見えた気がするんだけど、違うかな?」

 日照雨さんの声が耳よりも先に心のなかに響く感覚があった。

 

 この人は何なんだ。

 僕の心が見えているのか。

 

 寂しい。


 否定はできない。


 自分でも気づいていなかった――いや、見て見ぬ振りするために心の奥底に無理やりとどめていた感情。


 それを自分で認知してしまったらは僕はまた同じ過ちを繰り返してしまうのではないかとずっと恐れていた。


 最初から捨てていたわけじゃない。自分で諦めていた。

 僕はもう孤独でいることが当たり前だと思ってた。


 僕は僕の感情を天気のように浮かばせることはできない。


 でも、きっと、灰色の雲が心を覆いつくして、雨が心を濡らしているに違いない。


 だから。


 僕はずっと欲していたのかもしれない。

 僕の心に太陽光が差す瞬間を。


 僕は根拠もなしに信じていたのかもしれない。

 僕の心に晴れ間が広がる瞬間を。


 認めるしかない。


 この刹那の邂逅で僕は彼女の太陽にあてられた。


 圧倒的な日照雨瑞陽太陽を目の前にして僕は僕の心を初めて理解した。


 だから次の言葉は僕の心が心の底から導き出した言葉だ。


「あぁ。いいよ。協力するよ。日照雨さん」

「――へ? いいの!?」

「僕にできることならできる限りやってみるよ。やろう。日照雨瑞陽キミの感情探しを」

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