君は、なんとかのままで〈本館受付けのリナ〉


 本館の受付に立ち業務を行うリナは、と声を上げた。


 目をキラキラと輝かせた青年が、リナの居る受付へ小走りでやってくる。色素が薄くて赤っぽい肌と、刈り上げるとまではいかないが短い金髪。目は珍しい水色と、そこまでよくよく観察できる程、接近してくるウザい男。


 ――ルク・なんとか。


 迷彩服をよく着ていて、それ以外あまり見たことがない。制服姿は一度も見たことがなかった。警備兵では無い事は明らかなので、どこの所属か判らないが、この若さだとリナと同じで、猟犬として働き始めてそれ程経ってはいないだろう。


「あ、やっぱり今はリナちゃんが担当だ」


 ――勝手にちゃん付けするんじゃない。


「ええ、と。はい、そうです」


「ねえ、ねえ。離館のお休み許してもらったら、遊びに行こうよ。俺は離館の休みって滅多に貰えないから、ここぞっていう時の為に取っておいてるんだ。だから多分、許してもらえるよ。キトゥンランドへ一緒に行こう」


 ――は? 何であんたと行くんだよ。つか、誰だよ。ルク・なんとか。


「私、まだ離館を許されてなくて」


 これは事実だった。


「あ、そうか……リナちゃん、猟犬になったばかり、か。うーん、絶対に特別扱いはしてくれないもんな。ちょっと、頭固いとこあるもんな……これ、バレたらヤバいけど、もう、考えて言っちゃったんだから、どうしようもないよな。忙しいから俺のこと見てないだろう。よし! 大丈夫だ……多分」


 ――なに、言ってんだこいつ。お前こそ、大丈夫か、    が!


「ちょっと待ってて、一応お願いしてみるから。じゃーね」


 ――誰にだよ!


 リナは大きくため息をついた。





「なんかさ、ずっと変な男に付きまとわれてるんだけど」


 自室で電子端末を手に、苦く溢す。


『まあ、あんたかわいいもんね……性格悪いけど』


「それ、酷くない?」


『事実なんだから、どうしようもありませーん』


「うわ、最悪な友だな」


 相手は吹き出したようだった。


『ちょろっと遊んでやれば? 通って来てるんでしょ』


「あんたの方が性格悪いじゃない」


『いろんなタイプの男経験しとけばって話よ。どうせそのうち、エリートの猟犬と結婚するんだろうから。もったいないでしょ。遊べる時に、遊んどけ。リナは猟犬って言っても受付けでしょ。死なないんだからいいじゃないの』


「まあ、それはね。言い方悪いけど、他の仔よりマシだけど……でもさ、それは逆に一生カイム様とお話も出来ないってことよね」


『うーん、それを持ち出されると、どうしようもないけど。これからしょっちゅう、玄関ホールに居ることになるんだから、拝顔はさせて頂けるでしょ』


「そうみたいだけど、なんかさ。それって余計に恋しくならない?」


『あんた、分不相応な片思いは止めておきなさいよ!』




 “お願いするよ!”と、よく判らない独り言で張り切っていた、ルク・なんとかは、あれ程しつこかったのに、何故かリナの担当する時間になっても数日間、現れなかった。

 

 もう、ルク・なんとかは来ないと、リナは安心して業務をこなせるようになっていた。


 リナは定刻で受付けに居る先輩と交代して、姿勢を正してホールを見据える。猟犬が忙しく行き交い、仕事をしている。滅多にノヴェクの人間は見かけ無い。そもそも、館に滞在しているのかもリナ程度の猟犬には判らないのが当たり前だ。


 そうしてぼんやり立っていると、何故か胸がざわざわして来た。よく判らなくて貧血でも起こしたのかと考えていると、ホールを歩いていた猟犬が一斉に礼を取って、道を開ける為に引いて行った。リナはこういう時に、どうしたらいいのか思い出していたが、パニックに陥り固まって、突っ立ている状態になってしまった。


 そうしていると、特別なエレベーターホールから、人が現れた。褪せたような金髪をしていて、背広を着た男性へ、沢山の猟犬が礼を取っていた。いわば花道のようなところを、男性は何の気兼ねもなく歩いて行く。隣にいる、少し兵士としては小柄な猟犬と、夢中で話しているようだった。


 リナは正に唖然として、見つめていると、唐突に頭を押さえ付ける感覚があって、それが隣りに居る先輩の手であり、リナに頭を下げさせる為に寄越された助け舟であることが解った。


 リナは自ら礼を取り直すと、先輩の手が離れていった。と目をつむっていると、なぜだか周囲の気配が、一向に変わらないことに気が付いた。


「――おい、カイム!」


 理由は判らないが、リナはまるで自分が更に粗相をした気分になって震え出してしまった。


 大分遠くで会話しているのだが、猟犬は一切の挙動も取らないので、ホールは静まり返っている為に、声がよく通る。しかもリナ自身も、耳を澄ますつもりはないのに、思いとは関係なく声を拾おうと、何故だか集中してしまうのだ。


「どうした、ジェイド。何か忘れたのか」


「ルークの小僧がまたみつからない。引きずり出してくれ」


「もう少し、穏便な言葉を選びなさい」


 リナは震えが止まらなくて、懸命に礼を取り続けた。


「ほら、先程から怯えている仔がいるのに。もう、完全に恐がってしまっているだろう」


 何の話しだろうかと、このような状況でも不思議と好奇心が働いていた。リナは俯いていながらも、片目をちらりと開けてしまった。


 近付いて来る。


 俯いてカウンターしか見えていないというのに、それがはっきり解った。


 広い玄関ホールだ。直ぐにはリナのところへは。もう、リナは逃げてしまいたくなっていた。


 ゆったりとした靴音が近付いて――止まった。


「……顔を上げてごらん」


 リナは自分の身体が、誰かに動かされているような奇妙な錯覚に陥った。リナよりずっと身長の高い 主人は、リナの目線になるべく近付く為に、少し前屈みになっていた。笑んで細められた緑色の目。瞳は瑞々しい緑なのだが、意思を宿したように僅かにくらく感じられる。縁取る睫毛まで見えて、透けるような色味なのに豊かに生え揃っているのが覗えた。


「あ、あの。ええ、と」


「猟犬になったばかりみたいだね。それに、色々驚かせてしまったかもしれない。まだ馴れていなくて不安も多いだろうけど、受付けの仕事をこれからもよろしく」


「はい……あ。畏れ多いことでございます」


 リナは緊張して胸がドキドキするのに、とても嬉しくて、知らず知らずのうちに笑顔に変わり、笑みがいっぱいに溢れた。


 主人は少しの間、何故かリナを見ていた。主人も小さな笑みを溢し、ようやくリナから視線を外して、背後にいるジェイドと呼ばれる猟犬へ振り返る。


「じゃあ、仕方がないジェイド。ルークを捕まえに行くか」


「適当に呼べば、いいだろ」


「ルークは捕まえに行くにかぎる!」


「なんだそりゃ」





 リナはソファで寝返りをうち、端末を落としそうになって、と追いかけた。親友の声は少し遠くなっていて、何を言ったのか判らなかったが無視した。


「私、もうダメかも……」


『前からダメでしょ。それのどこが変わったわけ』


「カイム様、無茶苦茶……格好良かった。多分、猟犬補正もあるけど。それでも、優しくて――お話ししちゃった」


『はあ? あんた、早速カイム様とお話ししたわけ。この前、受付けだと、一生カイム様とお話し出来ないー! なんて、ヘコんでたクセして』


「私だって、ビックリしたわよ。いきなり、ホールの花道を折れて、私のところへいらっしゃってくださったんだもの」


『うわっ! リナ、何したのよ』


「お、怯えちゃった……」


『あんた、バッカじゃないのー! この前、初めてでしょ。リナ、カイム様に感情丸見えだったんだよ。そりゃ、不味いわ。カイム様も本当は、不快に感じていらっしゃったんじゃないの?』


「え? そうなのかな……どうしよう。あー、今頃自分が本当にバカだって気付いた。何であんな失礼なことになっちゃったんだろう。あの猟犬おじさんのせいだ!」


『おっきな猟犬おじさん?』


「カイム様、じぇい、ど? とか呼んでたかな」


『ごめん、私もバカだったわ。こんなに長い付き合いがあるのに、あんたのバカさ加減を、全然理解してなかった。じぇい、ど……ってなんなのよ! ジェイド・マーロン隊長でしょう! “影の猟犬ゴーストハウンド”みたいな側近、そのまとめ役あたりの名前くらい聞いたことあるでしょうが。一応周知しないっていう建前があるけど、そんなん猟犬なら暗黙の了解で誰でも知ってるわ。 このボケ!』


「そこまで言うことないでしょう」


『言いたくもなるさ、情けない』


「ええ……だって」


『だってじゃない、隊長すら知らないなら、あんた副隊長達も知らないでしょう』


「う……」


『チェスカル・マルクルに、オルスタッド・ハイルナー。はい! 復唱』


「てすくる・まーくる? おるすだど・はいるなぁ?」


『終わった……もうダメだ。あんたほんとに受付け係かよ』


「いきなり言われても、わかんないー!」


『もう、付き合えん。本題に入るか……で、カイム様になんてお声がけして頂いたの』


「頑張ってねって」


『……なんかさ、思うんだけど、大分端折はしょってない?』


「う! 緊張し過ぎてあんまり覚えてない」


『まあ、あんたなら仕方がないか。カイム様だもんね』





 リナが受付けに立って居ると、あのアホが久し振りに走って来る。遠くからでも解る。玄関ホールで走るバカなどあいつくらいだ。


「リーナちゃん! なんかさ、直接はお願い出来なかったんだけど、隊長に聞いたら今なら遊んで来て良いって。なんでだろう? 離館だけはあんまり許して貰えないのに、ね!」


 ――ね! じゃない。同意を求められても困るんじゃ。


 こんなアホを解放するなど、迷惑千万というところだろう。無能な上司共だ。


「キトゥンランドなんだけどさ。新区画が出来たばっかりらしくて、めっちゃ話題になってるらしいよ。楽しみだねー」


 ――何で、もう、一緒に行くことになっているんだよ、返事してねーぞ、おい。これ、もう勘違いストーカーじゃねーか。


「あのー、私は離館……」


「だから、いいって。外へ遊びに行きたいって言ってみたら、隊長がなんか聞いてみてくれたみたいで、俺一人ならダメだけど、同行する猟犬がいて二人で動くなら、一日くらいの短期離館だったら許してくれるんだって。これから誰と行くか申請しろって言われてるんだ。直接だからリナちゃんもきっと許してもらえるよ。だって、なんか俺さ、今は特別扱いしてもらってるっぽいもん。書類仕事は苦手だけど、全部、許可もらえたも同然だよね! 結構条件は厳しいし、お手を煩わせることに……」


「いったい、何のこと言ってるの? 何で、そんなに重要な話を……どういうこと? 止めて、勝手なことしないで!」


 ルク・なんとかは、、した顔でリナを見つめていた。眉を下げて本当にしょんぼりといった感じで、少し俯いてしまった。


「ごめんね、勝手なことしてたんだね。気が付かなかった。やっぱり、俺ってバカなのかも。リナちゃんの気持ち考えてなかった」


 少し切なく笑うと、リナに背を向けて素直に去ってしまった。


 もう少し、しつこく粘って、付きまとうと思っていた。しかし、なんとかは、リナに付きまとうこともなく、それから担当を幾度かこなしても現れなかった。


 リナはが、来なくなって再び安堵していた。スムーズに業務は行えるし、変に待ち構える必要も無くなって、ようやく本当の意味で、すっきりした心持ちになったものだ。


 リナは今更気付いたのだが、なんとかの仕事時間と、リナの受付け担当時間は本来合わないらしい。広いホール、全ての猟犬を確認しているわけではないが、それでも、なんとかがホールを歩く姿など一度も見たことがなかった。


 なんとかは変な男だった。


 普通、一般兵ならばホールを歩かないわけはないだろう。いくら関心を寄せていた女に、拒否されたからといって、明らかに仕事は別口だ。


 リナはそうして自分が、なんとかのことをよく考えている、あり勝ちな後遺症に気付いて、ひっそり顔を苦くしてしまう。


 リナは受付けのカウンターで先輩と供に、姿勢を正して業務に取り組んでいた。しかし、リナの横から、からかいの笑顔も隠さずに先輩がぼそりと呟く。


「リナ、あの変な仔さ、今までと違って、絶対もう現れない感じがする。女の子に怒られるのに弱いのかも」


「弱すぎませんか?」


「気になるんでしょう。来なくなってから、まだそんなに時間立ってないよ。変だし、言ってることもよく判らなかったけど……優しい仔だったのかもね」






『変な男、来なくなって良かったねー』


 親友がまったく興味なさげに、リナへ言葉を贈った。


「まあねー、随分気が楽になったもんよ」


『それにしてもあっさり過ぎない?』


「ポーズばかりで、それ程でもなかったんじゃないの」


『あんた、内心がっかりしてるんでしょ』


「バカなこと言わないでよ。ほとんど、勘違いストーカーだったんだから」


『怪しいものね。リナ、自分の胸に聞いてみなさい――女の元へ足繁く通う、健気な男。最初は男に興味がなかった女も、傾くってもんよ』


「はあ? あんなバカ、誰が」


『かわいそうー!』


 ケラケラ笑う友人を腹立たしく思っていたが、様々に抱いている感情が、砂に染み込まれて行く水のように消えてしまった。一拍、異変を考えるいとまがあったが、考え込む程の事でもないと思い直し、何の疑問もなく言葉を選び取った。


「あのヒト、もう来ないならいいや」


『そうだね――私さ、今日ミスっちゃって……』




 リナが受付けに立っていると、二人の猟犬が受付けへ真っ直ぐ向かってくる。顔にガーゼを大胆に当てた仏頂面男と、もう一人は、金髪で赤っぽい肌の、よく来ていた青年だった。


 仏頂面と青年が受付けまで来ると、仏頂面の方だけ受付けの先輩と話しだした。青年がとリナに少し幼い声かけをする。


「リナちゃん、前にしつこく遊園地誘ってごめんね」


「いえ、別に気にしてませんから」


 青年はそれ以上別に気にした様子もなく、暇そうにしていた。リナも仕事と関係ない猟犬に構っていられるような立場になく、ただ用向き求められるまで、ホールを見据えて姿勢を正した。


 仏頂面が先輩との話しを終えると、青年へ顔を向けた。


「用はあるか?」


「なんすか、それ? あれ、俺なんか仕事忘れてますか」


 仏頂面は何の返事もせずに、青年を置いて行ってしまう。青年は慌てて追いかけていたが、その姿は、ヒヨコのように見えた。





 先輩の猟犬が受付けに立つと、リナは続いてカウンターへ入った。


 随分、先輩は緊張した面持ちでリナを見据える。


「リナ、いい? 今日は最高礼装のカイム様がお通りになられるのだから、この前のような失礼な態度は赦されないわよ。本来は新人が立ち会える場では無いけど、お声かけして頂いた猟犬は、優先してお側へ添わせて頂けるの。誇りに思いなさい」


 リナはしっかり自覚する程、身体に緊張をきたしていたが、主人が最高礼装をまとうおりに、新人の自分が、立ち会わせてもらえる幸福で、高揚してもいた。


 リナは何度も、仔犬の頃から叩き込まれた礼の仕方を反芻していた。上手く出来るだろうかと、不安でもあったが、この前の経験が逆にリナへ、落ち着いて正しい動作を取るイメージ構築を促した。


 誰にも覚られないよう、ホールを見据えて深呼吸を繰り返していると、ホールを行き交っていた猟犬が皆立ち止まって、同じところへ視線を集中させていた。主人が来たのかと思い、礼を取ろうとしたが、そこに現れたのは黒い最高礼装をまとった猟犬の集団だったのだ。


 一切足音を立てなかった。ただ静かにホールを進んで行くが、その足運びはあまりに威厳に満ち、周囲の雑音に触れても、僅かな心の揺れさえないようだった。


 ――これが猟犬なんだ。


 リナは彼女自身の猟犬としての本能で悟った。目が離せなくて、つい観察するように見つめてしまった。その為に、リナは黒い最高礼装の縁取りの色味が僅かに見て取れて、青、緑、赤と行き交うのが判った。


 そして、何故かリナの視線は、自然に金髪を捉えて、追いかけていた。


 その青年がまとう、立襟の最高礼装は、緋色の縁取り。


 彼が威儀を正し歩く姿は、あまりにも凛々しくて、酷く胸を打たれた。彼はリナが一度も見たことの無い、固い表情をしているのが判る。


 何度も来ていたけれど。側で笑っていたけれど。


 リナは何も心に抱く事が出来なくて、そういうこともあったのかと、ただ思う。


 大きく開かれた扉から見える館の広場。早朝の陽光は霞んで、眩いまでに射し込む。礼装の猟犬達は、光の中へと進んで行くが、自らのまとう黒衣で、けして光に交わる事はなかった。


 当たり前だが、青年は一度もリナを見ることなく、大扉から去って行ったのだった。


 開放された大扉を見つめていたリナの視線は、力なく落ちていき、いつの間にか目を強く閉じていた。



 了


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