アジサイ色の死装飾

 形を忘れたいと願ったのがいつだったのか、今じゃもう覚えていない。ただ確かに存在していた自分を形成する枠組み。他者から見た自分という規定の存在。それがどんな形だったのか、もう誰もわからない。

 この世界がどこで、僕自身が本当の僕なのか、もう誰にも定かではないのだから。


 命が散り逝くさまを初めて見た。

 それは可憐だとか美しいだとか虚無的だとか、いろいろな表現が小説なんかにある。意味がわからなかった、理解できなかった、その赤が花びらのようだった。どでもこれも僕が見た彼女の死に際にはふさわしくないと思った。だって彼女の死はもっと風に靡かれるくらいの透明さと儚さであらないといけないのだから。

 ——待ってる

 そんな最後の言葉に僕はただただにうんと頷いた。笑顔の彼女はそっと目を閉じて散って逝く。

 きっと人の死にもっとも似合う言葉はアジサイ色なんだと不謹慎に僕は思いついた。


 学校から帰って来て牛乳を一口。直ぐに家を出る。

 雨と晴れの狭間の天気。今日も鬱蒼とアジサイは水にしたる。恵まれた雨という生命力とたまに差し込む神様の陽光の祝福。だというのに、やっぱりアジサイは青く赤く白く死人の唇の色と同じなのだ。花言葉は『冷淡』『無情』『辛抱強い愛情』。色によって違うみたいだけど、やっぱり死ぬのとピッタリだ。なんて馬鹿な想像を夜騒の道を歩きながら考えた。


 馬鹿な振りをする。肉を喰って酒を飲んで金を無くしてにへらに彷徨う。自分をどうしようもない人間にするために、どうしようもない虚無感を抱きながら馬鹿になる。屑になる。畜生になる。こんな僕はきっと誰でもない。


 朝がやって来た。昨日と違うシャー芯が机の上に置いてあった。いつもパンの朝食がご飯で納豆に卵をかけて醬油でかき込んでやった。傘の色が紺色から青色になっていた。

 今日の僕はアジサイだ。

 晴れている空の下、時雨を浴びながら僕はアジサイになる。昨日と同じアジサイを見ながら、仲間意識を抱いて美しいのかなと鼻を近づけた。

 ——お待たせ

 そんな死んだはずの彼女の声に僕は平然と振り返る。当然赤い血も青い身体もアジサイ色の唇もしていない。健康な彼女は笑顔で僕の隣に並んだ。

 ——今日も私たちだけだね

 ああそうだ。今日も僕らだけ違和感と死を感じながら生きるのだ。決して死なない世界で二人で生きていくために。

 だから今日、僕はアジサイ色に染まる。

 ——またね

 そんな約束と共に僕の身体は散って逝く。それを見ていた彼女はやっぱり思うのだ。

 ——アジサイみたい……と。

 普遍的な日常で代わり映えしない非日常で、それでも違う世界の中心で僕と彼女は生き続ける。

 またねと約束し、待っててねと指を切って、お待たせとアジサイを知り、あはようとアジサイを被る。

 そんな人生をどこかで狂いながら死に続けるのだ。この様を美しいや可憐なんて言葉じゃ似合わないと死に際に思った。


 眼を覚ました。取り合えず着替えてパジャマを投げ飛ばす。シャーペンでメモに殴り書きしてそれを紙飛行機に折って窓から飛ばした。晴れと雨の境目を無口な紙は飛んで行く。

 ——おはよう

 彼女は僕が飛ばした紙飛行機を持っていた。それが恥ずかしくて目を背けてしまう。笑う彼女は紙飛行機を開いて馬鹿な僕を目にする。そして笑うのだ。

 ——私と君は君と私だよ

 もう、僕も彼女も自分が元来の自分なのかわからない。この身はアジサイに浸食されたのかもしれない。だけど、僕は僕で彼女は彼女。僕たちはいつまでも違和感と死を纏いながら生きていく。


 ——さあ、また逢おう

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