その花の名は・前



「その目でわたくしを見ないで!!!」


金切声、頬を張る音。倒れこんだ体に扇が振り下ろされ、鈍い音が繰り返される。ぼろきれを着た小さな子供を、華やかな着物の老女が殴る。旅の最中に似た光景は何度も見た。

違うのは性別と、年齢と―――殴る女が、殴られる子供の祖母であるということ。そして、



「―――どけ、糞ばばあ」



虐げられる子供が、数日前に梓の協力者になった時雨だということだ。






胸糞悪いことを思い出して、梓は頭を振った。


「どうした、梓。虫でもいたのか?」


能天気に見上げてくる時雨に、なんとなく腹が立つ。糺のご飯で丸みが出てきた頬を、むにっと引っ張った。


「ふぁにふるんだ」

「すごい。餅みたい。ほんと肉付きよくなったよね、あんた」


むうっと時雨が口をとがらせる。紫の瞳に浮かんだ不満が、はっきりと見えた。

―――顔を隠していた簾のような髪は、もうない


糺から課題を山積みにされた日。少し離れていた間に何があったのか、時雨は前髪を切った。


『糺が、綺麗だから勿体ないって言ってくれたんだ』


相手が糺でなければ、口説かれたのかと誤解しただろう。頬を染めて嬉しそうにするし、いつの間にか名前で呼んでいるし。全く理解が追いつかなかった。

時雨がちょろいのは分かっていたけど、一週間で陥落とは。本当に大丈夫なの、コイツ。


『すまない、梓』


糺は糺で、距離を保っていたくせに、急に謝ってくるし。そんな必要ないのに。

自分が悪いと思っているのだ。いや、糺が悪かったところもあるけど。ほとんど私が悪いのに。


『・・・課題、多いと思ってるなら減らして『駄目だ』はい』


でも謝れなくて。誤魔化したら、答えてくれた。

元通りにはならない。出来ないけど、少しだけ、昔みたいになった。


それで十分だった



「時雨様は母君に似ているのですね」


糺も糺で、いつの間にか名前で呼んでるし。待って、いや、それよりも。


「糺、時雨の母親のこと知ってるの?」


頬を持ったまま、ぐいっと時雨の顔を糺の方へ向ける。

ぱちりと紫の瞳が瞬いた。未だに子供らしさとは程遠い見た目。それが余計に美貌を際立たせていた。


邪魔な簾を取っ払って光を受けた瞳は、紫水晶のように輝いている。徐々に丸みを帯びてきた頬、すっと通った鼻梁、桜色の薄い唇も、全てが美しい形に、美しい色で、美しく配置されていた。

天界で、現世で、美しい者は多く見てきた梓でも、これに並ぶ美貌は片手に余るほどしか見たことがない。どれほど捻くれた者でも、幼子にしか見えなくとも、この花のかんばせの前には、美しい、と皆が口をそろえるだろう。


なるほど。妃連中が時雨を嫌うのはやっかみもあったのか。子供の時雨でもこの美しさだ。母親ならどれほどのものだったか。彼女が生きていれば、あのぎんぎら赤風船やじっとり柳女が、己の容色を誇れるはずがない。壁の染みより目立たなかっただろう。


「挨拶をしたことはないが、まだご存命の折にお見かけしたことはある

祖父に学生の頃からあちこち連れまわされていたからな」


ああ、でも、と糺は襲い掛かってきた幽鬼の首をすぱりと斬りながら


「私よりも、これから来る客人の方が詳しいと思うよ」

「「は?」」


来客なんて聞いてませんが?と目を丸くする子供達を置いて、糺は最後の幽鬼を斬り捨てた。







「初めまして、君が噂の紅修羅あかしゅらか!私は東儀とうぎ沙羅しゃら。沙羅双樹の沙羅で、“しゃら”と読む

“さら”の方が簡単なのだが、その辺りは両親のこだわりがあったらしい」


客人は梅雨の気配を吹き飛ばすような、爽やかな風を連れてやってきた。

白い歯を見せて笑う麗人に、梓は眩しさのあまり顔を顰めた。太陽のような、という譬えはこういう時に使うのだろう。

背後には糺が斬り捨てた幽鬼の骸が転がっているが、彼女の周囲だけ世界が違うようだ。


噂など知らないし、紅修羅って誰のこと。

言いたいことは色々とあったが、煩わしさが勝り、その辺りは流すことにした。


「・・・どうも」


糺が居合わせたなら零点を付けられる挨拶。だが彼は『梓と糺以外に顔を見られたくない』と言い張った時雨と鬼ごっこの最中だった。

梓が視線をずらすと、黒い詰襟の衛士たちがわあわあと騒ぎながら、幽鬼の死体を取り囲んでいた。切り口が綺麗だとか、この大きさは珍しい、とかはしゃいでいるように聞こえるのは気のせいだろうか。


「騒がしくてすまないね。三の君がいらっしゃる前には片付けるよ」


東儀沙羅と名乗った女は、にこりと笑うと衛士たちに指示を出し始めた。彼女が部隊の長らしい。

意識が他所に向いている間に、女に改めて視線を向ける。

水色にも見える淡い緑の髪に、深い翡翠色の瞳。聞かなくともわかる、風の加護をもつ稀人だ。

ひと月ほど前、第一皇子の生誕祭で襲撃してきた連中とを持つ女。


あの時の主力は水の稀人―――北嶺の関係者だったが、風の稀人も一人や二人ではなかった。神使四家に属さない稀人もいないではないが、襲撃者の動きは統制されていて、剣さばきに共通の型があった。あの人数の稀人がまとめて訓練を受けたなら、神使四家は間違いなく関与している。


そして女の姓、東儀は神使四家のひとつ。わざわざ招いたなら、理由があるはずだ。糺は無意味なことはしない。


・・・容疑者、なら連れてこない。白に近いけど、確信がない?


顔に見覚えはないから、少なくとも襲撃犯ではない。

そして観察すればするほど、奇妙な女だった。東儀は風の稀人の長。稀人の中の稀人であるはずが、何故か(緑の装飾が使われているとはいえ)兵部の制服である黒の詰襟を着ている。

稀人ならどれほど加護が弱くとも、所属するのは神使府か、神使四家のはず。只人ばかりの兵部にいるはずがない。

さらに東儀沙羅の髪は短く、服も男物で、遠目なら完全に男に見えるだろう。それほどに違和感のない姿だったが、となれば違和感しかない。


天地において、貴族の女の髪は総じて長い。豊かで美しい髪を維持するのも、飾るのも、財力が必要で、長い髪はその余裕があるのだという象徴であるからだ。

だから目の前の彼女、東儀沙羅ほど短い髪の女は宮廷内では見たことがない。


加護が強くて養子になっただけで、元は庶民?

でも人を使うのに慣れてる。高そうな装飾付けて山道を登ったり、幽鬼の後始末、なんて庶民ならとても出来ないし。


汚したら、無くしたら、壊したら、と思うと仕事着になど付けられないだろう。だが生まれながらに東儀なら、おかしい所だらけだ。何かやらかして爪弾きにされたのか、それとも相当な変わり者なのか。


―――怪しい


襲撃に関与したかはともかく、わからないことが多すぎる。関わりたくない。

梓が結論を出したちょうどその時、森の方から糺が現れた。梓とは反対、幽鬼の始末をしている連中の方から現れた糺を見つけて、東儀沙羅が声をかけた。


・・・時雨がいない


糺が根負けしたのか、時雨の粘り勝ちか。どちらにしても時雨が一人なら、梓は時雨の傍に戻るべきだろうか。


「三の君は体調が優れないようで・・・わざわざ来てもらったのにすまない、と言付かっております」

「そうか、では三の君へのご挨拶は、日を改めてお伺いするとしよう。最近暑くなってきたからなぁ。うちの山桜桃ゆすらもたまに熱を出すんだ」


衛士たちの間をぬけて、糺の隣に移動する。にこやかに東儀沙羅と会話していた糺が、さり気なく袖口と、鍔に触れた。朽葉にいた時に使っていた暗号だ。


―――時雨は隠れ家。一人で隠れる訓練?


新しい侍従長は未だに決まっていない。その間に、糺は自分がいなくなっても大丈夫なように、準備をしてくれている。

隠れ家はそのひとつだ。いざという時に山道以外の逃げ道、隠れ家をいくつか用意して、梓や糺とはぐれた時でも生き残れるように、時雨に覚えさせていた。今回はその一つに隠れさせているのだろう。


糺が中に入れたなら、東儀沙羅は今すぐ時雨を殺しに来る相手ではない。彼女の部下も控えているし、おそらく姿を見せないだけで、朽葉の連中も山のどこかに潜んでいるはず。離れている間に何かあっても、すぐに対処できる。元々、こうなることも予想していたのかもしれない。顔を合わせられればよし、駄目でも訓練になればよし。


・・・糺、そういうの絶対無駄にしないから


ちらりと東儀沙羅に視線を向ける。糺と交わす言葉、表情、態度、何も醜悪なところは無く、“いい人”なのだろうということは伝わってくる。それでも、時雨にはだ。

そもそも一週間で懐かせた糺がおかしいのだ。梓は出会った時に事故同然に見たが、その後、時雨が顔を晒すようになるまでひと月はかかった。


・・・糞ばばあが消えて、しか経ってないし


「そういえば、紅修羅殿はいくつなんだい?」


不意に話を向けられ、反応が遅れた。ちらりと糺に視線をやると、促すように頷きを返される。


「十六・・・です」

「うちの橘と同じ年か!あ、橘はうちで預かっている子なんだが、ぜひ紹介させてくれ。内気な子でね、君さえよければ友達になってくれると嬉しい」


断る、と反射で答えかけたが、唇を噛んで踏みとどまる。これは客人。そんな返事をしたら後で糺に課題を増やされる。


「過分のご配慮、身に余る光栄でございます」


本で見たそれらしい返答を適当に返す。東儀沙羅は満足そうだが、冗談じゃない。

東儀でわざわざ預かる子供など、強い稀人に決まっている。連中の生まれ変わりの可能性が高い。絶対に逃げてやる。


「うん、うん、あの子もたまには同年代の子と遊ばないと。あぁ、それで思い出した」


東儀沙羅は声を潜め、眉を寄せる。それだけで和やかな空気が霧散した。


「三の君の外出申請だが、今はやめておいた方が良い」

「・・・外で何かありましたか」


問いの形だが、糺の声に驚きや、疑問の色はない。疑惑が確証に変わった、といったところか。

東儀沙羅は無言で、懐から一枚の紙を差し出した。焦げ跡が残るそれには、ただ一文。


天落てんらくの約定を』


続きは焼けて読めないが、天を落とす、とくれば良い意味のはずがない。


「“落陽らくよう”の襲撃があったんだ。場所は首都の外だが、構成員はまだ捕まっていない」

「・・・落陽?」


ああ、と東儀沙羅は険しくしていた表情を緩めた。癖なのだろうか。糺も、怒る時以外は、梓が話しかけるといつもこんな顔をしていた。


「ここ数年は大人しかったからなあ。紅修羅殿の年なら知らなくて当然さ。

“落陽”は、まあ簡単にいうと反稀人の団体だ。神使府の建物を壊したり、稀人を無差別に攻撃したり、迷惑な話だよ」


軽い調子で言っているが、稀人至上主義のこの国で何年も反稀人を掲げるのは相当なものだ。協力者が多いか、それなりに大きな組織のはず。


・・・まあ、只人が何人集まろうが、関係ないってことか


「帝都には入っていないだろうが、用心に越したことはない。三の君は勿論、君も一人で出歩いてはいけないよ」


じっと翡翠色が梓を見つめた。ああ、随分親身だと思ったら―――同類だと思われているのか


「私、火の加護はありませんよ」


翡翠どころか、周囲に散っていた衛士の視線までも集まって、梓は心の中で舌打ちした。

ああ、煩わしい、鬱陶しい、よりにもよって、アレの加護なんて、吐き気がする。


火の稀人の赤よりは落ちるが、赤ではないと言い切れない暗い茜色。

夜にほとんど染まった空の、太陽が放つ最後の光を受けた色。何度勘違いされたかわからない。


「幻もつくれません。血筋を辿ればいるかもしれませんが」


嘘はついていない。常世神の加護はあっても火や派生の幻はない。母は稀人だが治癒は水の加護の派生で、火とは真逆だ。


「そうなのか、すまない。てっきり、南淵の方の縁で三の君の護衛についたものだと思っていたから」

「は?えー・・・どういうことでしょうか?」


糺の笑みが深くなり、慌てて訂正する。しまった、後で説教だ。


「三の君の御生母、茉莉花の母君の御令姉は、南淵家当主の御令室だ。

そちらからの依頼で、君が護衛に派遣されたのかと」


・・・は?


「そういえば、南淵の御令室は中宰なかつかさ家の」

「ああ。皇后様が身罷られてからずっと、一の姫と三の君は生家の中宰家が支援していると―――」


御令室、ってことは正妻?その女の姉妹があの糞ばばあ?

いや、それよりも―――皇后って




『ただの水なら、それこそ勿体なくないか?』




「は」


皇后の子?時雨が?ああ、本当に―――なんて趣味が悪い

妃がぎんぎら赤風船やじっとり柳女で、愛娘があの二の姫で、弟を毒殺しようとする長男がいて、


皇后の息子を―――次代の帝となるべき子どもを、放っておいた父親クズが、帝、なんて。


この天地せかいは本当に終わっている。





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