早熟
……明日からどんな顔をして会えばいいのだろう。
教室の空気は何処かぬるく気だるげ。
夏休みが終わったばかりの放課後の教室で僕は恵子と二人きりになった。
淵柳恵子は小学校六年になってもクラスメイトでい続けた幼馴染だ。付き合いは幼稚園からになる。
恵子は美人ではない。可愛くもない。はね気味の髪。そばかすだらけで眼も細くって、体型はそこらの男子と変わらない。
陰キャだ。恵子は遊ぶ時も皆からはぐれがちだった。
僕は恵子を恋愛対象として見た事はない。
それは恵子が僕に対しても同じだろうと思っていた。
そもそも恋愛という言葉すら僕達を含む友人関係にはありえない、透明な清清しい空気のはずだったのだ。
窓の外では、午前中から怪しかったどんよりした空気がとうとう雨を降らし始めた。
よりによって女子からの告白がこんなムードの日だなんて。
「好きなの」と恵子は言った。勇気を出して振り絞った、かろうじての叫びだ。
いや、そんな事を言われても、と僕はどういう言葉を返そうか迷った。
どういう結果に導くか、それは決まっていた。
断るのだ。
恋愛の機微など解らない僕。だが、色恋沙汰はまだ早い。そんな気がする。
好みではない。その言葉も違うと思っているのだが、確かにそれはそうだった。
では自分の好みはどうなのか。はっきりとそれは解らない。
でも恵子は違うのだ。彼女は恋愛対象ではなくて仲のよい友人なのだ。
「好きなの」恵子は繰り返した。陰キャの彼女は恐らく必死の思いだろう。僕の名を呼ぶ。
「ちょっと待ってくれ!」
僕は遮る様に右掌を突き出した。返す言葉を見つけるまでの時間稼ぎだ。
ああ。こんな事態になってしまって。明日からはどんな顔をして会えばいいのだろう。
窓の外は雨が降っている。
僕は相手を傷つけない断りの言葉を探している。でも恵子は後戻りの出来ない事をやってしまった。
切れ筋の様な眼が顔前の掌をずっと見つめている。
恵子が僕の掌をすっと自分の両手で包み込んだ。
桃色の唇が僕の真直ぐな人差し指をくわえる。
え。
意表を突かれた。
温かい。
柔らかい。
濡れている。
恵子は僕の人差し指を第二関節まで口に入れると、濡れた舌で一気に口内の指を舐め上げた。
ぞっとした。
気持ちいい。
その感覚を経験した事のない僕は、戸惑いの感情しかなかった。
しかしくわえられた快感が指から背筋を伝って、甘い熱気として股間へと集まるとただ事ではいられなくなった。
指と股間が快感を直結している。
それは今まで僕の知らなかった感覚だ。
僕はどんな表情をしているのだろうか。
教室には鏡がない。たとえあったとしても僕は教卓前から一歩も動けなかった。
股間には快感と共に甘いもどかしさがある。
雨が降っている。
くちゅり、と彼女の口から音がした。
恵子が人差し指を口から放したのだ。
唇と人差し指の爪の間を銀色の細い橋がつないだ。
僕は恵子に右手を差し出す形になっている。
恵子は人差し指の次に、僕の中指を濡れた唇でくわえた。
また快感が来た。
股間では熱が渦を巻く。僕は恵子のなすがままになっていた。
彼女は中腰になり、手の位置を自分の顔の高さに置く。やや見上げる姿勢で。
まっすぐな中指が彼女の口に突き立ち、恵子はそれを温かい舌で舐め上げる。
これはどういう事なんだろう。
気持ちいい。
僕は声にして呻いてしまった。
恵子は指を一旦口から出し、僕の人差し指と中指をひとまとめにして長い舌を絡めた。まるでアイスキャンディーの様に舐め上げる。
背筋がぞくぞくする。名づけざられし快感が僕の股間で熱を持つ。
恵子は僕の二本の指をそろえて唇に入れた。
濡れている。熱い。
気持ちいい。
恵子は二本指を自分の口内深くまで押し込むと、離れる寸前まで一気に引き抜く。それを繰り返した。
まるでシリンダーとピストンの関係の如く、僕の指が彼女の口でリズミカルに出し入れされる。摩擦は熱い唾液が潤滑させている。濡れた音がした。
吸う。恵子はふさがった口の代わりに鼻で荒く息をしていた。鼻息が荒いのは僕も同じだ。
動作は連続する。舌まで絡めたピストン運動は、永久に続くと思われた。
いや続いてくれ。僕は切望した。
頬を伝う汗。顔が熱い。まるで熱病にかかったみたいだ。
主導権は完全に握られている。
指を執拗に舐められる快感。
音を立てて指を吸い上げられる気持ちよさが、背骨を経由して下腹部に段段と集まってくる。
このままでは僕はどうなってしまうのだろう。
僕は、僕の行く末が解らない。
でもそんなものはどうでもいい。この快楽のままに身と心をゆだね、最後には爆発したい。そんな気持ち。
と、恵子は僕の無言の願いを裏切った。
口を止めたのだ。
二本の指を離し、かかる唾液の橋も切られるほどに距離を開けた。
「け、恵子……」僕は呻いた。いつもは呼び捨ての仲だ。
どんな表情をしていただろう。
続けてくれ。お願いだ。そう言いたかった。
背徳の願いには、この禁忌めいた儀式の虜になった事の白状が必要だった。
後ろめたい。
二人だけのこの教室での快楽。
また恵子はまるで魚が餌を吞み込むかの様に自分から二本指に食いついた。
再び唾液の中の往復運動が始まった。
ああ。気落ちいい。
僕は快楽の沼で安心した。
だが、ふと気がついた事実に恐怖を覚えた。
この教室で二人がやっている事は、誰にも知られてはいけない。そのはずだ。
病みつきになりそうな快感。
股間の熱を解放したい。だが、まだ解放の前段階にさえ至っていないという自覚。
生殺し。
今、主導権は完全に恵子のもの。
この儀式の女主人は恵子だ。
慌てて僕は指を自分の意思で引き抜いた。
恵子の口はしばらく筒を加えていた空洞の様に円く空いた。
なまめかしいピンク。
開けた口に指を添えた恵子の細い眼は、荒い息をして僕を見上げている。
僕は濡れた指を自分の胸元に引き戻した。
行為は強制的に終了されたのだ。
恵子は立ち上がった。
これは「好きだ」という告白の場にすぎないはずだ。
今の僕はそれを断れずに受け入れたいという気持ちがある。勝ち負けで言うなら負けだ。
そうだとしてもだ。どうして彼女はこんな大胆な事をするのだ。
その答が解ったと思えたのが次の動作だ。
窓の外で稲妻が青白く光る。
恵子はスカートの端を両手でつまんで、ゆっくりとめくり上げた。
下着を履いていない。
そばかすの顔が暗く微笑んだ。
明日から教室の皆とどんな顔をして会えばいいのだろう。いつもの友人達との集団の中で、異質になった僕と恵子は屈託なく皆と眼を合わせられるだろうか。
背徳を憶えてしまった僕達。
舌舐めずり。恐らく彼女は僕を逃がすつもりはない。
了
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