世界から失われたマボロシの歌

「漫画『20世紀少年』で最強の超能力者が誰だか知ってるかい。……それは主人公の『ケンヂ』だ!」

 ヨシユキおじさんは古い漫画やアニメとかの話しかしない。あと昔の洋楽。しかも『隙アラバ自分語リ』で基本的に同じ話しかしないので非常にうっとうしい。

「ケンヂの言った事は全て本当になっている。カンナと一緒に飯を食った時、店のスプーンが曲がっていたのもカンナじゃなくてケンヂの仕業だ。あと小学生時代のスプーン曲げ少年の正体もケンヂだ。そう考えると全てのつじつまが合ってくる」

「それはヨシユキおじさんだけの思いつきなんでしょ」あたしが生まれる前の漫画の話をされても興味ない。こういう時、あたしはヨシユキおじさんをチクチクいじめる事にしてる。「誰かに話して賛同してもらった事あるの? ネットに書き込んで賛同してもらった? 友達は? 何故、あたしにだけ話にするの? 反論されないから?」

「まあ。いや……それは」

 紅白のセーターを着たヨシユキおじさんは塩をかけたナメクジの様に小さくなってしまった。

 元元、ヨシユキおじさんは人間的にちっちゃいのだ。

 基本的に自分より器が大きそうな人間とは友達になれない。だから、あたしの両親とはいまいちギクシャクしている。

 色色とものは考えていさそうなんだけど、お年玉と引き換えにしばし話を聞いてくれそうな中学生の姪の部屋に押しかけて、漫画やアニメに関する持論、自説を披露するのが関の山のコドモオジサンなのだ。

「20世紀少年は音楽もよかったんだよなぁ。『ボブ・レノン』とか作中の音楽もリアルでCD出してさぁ。T・レックスの本物の『20センチュリー・ボーイ』も付録で付けたりしてさぁ』」

 独り言の様にそう言うとおじさんは口でその歌の口真似を始めた。

 うーん。はっきり言ってヘタ。

 あたしも20センチュリー・ボーイは聴いた事あるけれど、全然こんなんと違う。イントロのガー!というノイジィな所さえ再現出来ていない。

「……そう言えば。例の『マボロシの歌』は見つかった?」

 ベッドに座ったあたしがおじさんの下手な歌を止めたくて、デブ猫のクッションを抱えながらそう訊くと、ヨシユキおじさんの下手なT・レックスが途切れた。

 ピンクのカーペットに座ったヨシユキおじさんはマジな顔になって、うーん、と考えこむ態度を示した。

「いや……全然、見つからないんだ。今も出来る限り、色色なバンドを聴いたり、手を広げてるんだがなぉ」大きく溜息をつく。「……そもそもあれは高校の頃だったよなぁ……」

 しまった。地雷だ。おじさんの『隙アレバ自分語リ』スイッチを押してしまった。

 この手の人種の得意技『他人に聞かせる独り言』をあたしは聞かされる側になる。もう何回も聞いた話を。

「放課後の部室に、友達がCDラジカセを持ってやってきて、自分で編集したらしい洋楽のテープを大音量で流し始めたんだよなぁ。昼寝でオチるとこだった俺を眼醒めさせる大音量で。『ふーん、これが洋楽なんだ』って色色なバンドの激しい外国語のボーカルを聴きながら、俺はそう思って……」

 おじさんはメランコリー空間に入ってしまった。自分語りが通常の三倍の威力と自己陶酔を持つ結界へ。

「その中にかっこよかったメロディがあったんだけど、その日は特に気にならずに洋楽体験は終わったんだ。……けど、それから高校も卒業して数年した後、何故か、その時に気になったメロディが頭の中でリフレインし始めたんだ。こう、英語のボーカルが一息ついた後でさ、ベルを鳴らすみたいな高い音が激しいビートで、ちゃんちゃんちゃん、ちゃらーちゃちゃららん♪ ちゃんちゃんちゃん、ちゃらーちゃちゃららん、ちゃんちゃんちゃちゃんちゃん、ちゃんちゃん♪ ちゃんちゃんちゃん、ちゃらーちゃちゃららん♪ ちゃんちゃんちゃん、ちゃらーちゃちゃららん、ちゃんちゃんちゃちゃんちゃん、ちゃんちゃん♪ で、高音の男性ボーカルが『ハリケーン!』ってシャウトして。その曲が頭の中にこびりついて、どうしようもなくて。で、ちゃんともう一度、聴きたくて、でCDが欲しくなったんだけど曲名が解らなくて……」

 また下手な口真似再現を交えて行われる自分語りにつき合わされるあたしはげろげろ~って感じなんだけど、ここで変に話をへし折ると来年からお年玉がもらえなくなるんじゃないかと思い、我慢して切りのいい所までつきあう事にした。

「あの昔の友達も学校卒業してから一緒に遊ぶほどの友達じゃなかったから、連絡して曲名を訊くなんて事が出来なくて……。ただ卒業してから新たにつるんでた別の友達に試しに、ちゃんちゃんちゃん、ちゃらーちゃちゃららん♪って口真似で伝えて、こんな曲知らないか?って訊いたら、多分それはモトリー・クルーの曲じゃないかと教えられて……で、モトリー・クルーを片っ端から聴いてみたんだけど全然違ってて。ただモトリー・クルー自体は気に入ったんで、そっからメタルをどんどん聴き始めて。で、洋楽を集め始めて、どんどん沼にハマって……この年までずーっと洋楽ばかり知識が広がっていったんだ……」

 しかも例の歌はその時以前に発売された曲のはずだから古い洋楽ロックばかり集めて……そろそろ、あくびしていいだろうか。

「時にはディーヴォに出会って……時にはクイーンに出会って、ある時にはDr.フィールグッドと出会って、いつのまにか俺の洋楽コレクションは他人にも凄いと言われる量にまで貯めこまれてたんだ。……だけど何年経ってもあの時のメロディに出会えないんだ。いくら聴いても手を広げてもあの時の歌が何というバンドの何という曲なのか、手がかりもなくさっぱり解らない。あれからは同じ趣味の人から知識を交換する機会もあったんだけど、それでもダメでさぁ……」

 それからもヨシユキおじさんは横道に逸れながら自分の洋楽知識を披露し始めた。

 クイーンのアルバム『イニュエンドゥ』は丸ごとフレディ・マーキュリーの遺書だとか。

 ディーヴォの『サティスファクション』は、昔は何故か所ジョージの『DO DO DO』をかっこよくした曲だと思いこんでいたが、あらためて聴いてみたら全然違ったとか。

「ジャッキー・チェンの映画『拳精』は絶対ブルーレイで観ろ。日本上映版が収録されたこれのクライマックスはBGMが『チャイナガール』に差し替えられていて、オリジナルの百万倍は盛り上がるぞ」

 何度、聞かされた、この話。

 そんな『ずっと俺様のターン!』な懐古話を聞かされていると、チクチクとちっちゃい大人のプライドをつついてみる悪戯っ気が湧いてくる。

「君もこの謎が解ける様な曲に出会う事があるならば、その時には俺に連絡くれよ。ともかく、こういう曲なんだ。……ちゃんちゃんちゃん、ちゃらーちゃちゃららん♪ ちゃんちゃんちゃん、ちゃらーちゃちゃららん、ちゃんちゃんちゃちゃんちゃ……♪」

「その曲だけどさぁ……」あたしは外面では微笑みながら小悪魔モードになった。「本当にその初めて聴いた時の曲、そのままなの? 何度もそらで口ずさんでいる内に変わってしまった、なんて事があり得るんじゃない?」

「何だよ、失礼だなぁ。あの青春時代に聴いて、脳に刻まれた曲は今でも新鮮に俺の胸で輝いているんだ」

「本当かなぁ? さっきもディーヴォの歌が思い込んでいたのとまるで違っていたという話があったじゃない。結構、自分の記憶ってあてにならないもんだよ。その曲も何度も脳の中でリフレインしている内に、知らず知らずにより自分好みに魔改造してしまってるんじゃないの?」

「そんな馬鹿な」

「自分の耳が思ってた以上にポンコツだったという可能性があるんじゃない? 今まで集めて聴いた中に既にその歌はあったんじゃないの? 実は再会してたんだけど、脳内の歌があまりにも原曲とかけ離れた変質をしてたせいで気づかなかったとか。とっくに再会してたのに自分の思いこみですれ違いなんてオチだったら、これまでのコレクター人生、丸丸無駄だよね」

「そんな……馬鹿……」

 そこまで言うとヨシユキおじさんは黙り込んでしまった。

 真面目な顔に深く考え込む表情を刻みつけ、小さな声で唸る。

「……待てよ……もし、変質してるとしたら何処が違う……曲調はこの調子でも何度も脳内再生している内にメロディーが自分好みになりすぎていたとしたら……今まで聴いた中で一番曲調が近かった曲といえば何だ……鍵はハリケーン!というシャウトだけど……いや、このシャウト自体が脳が後から付け足した空耳要素だとしたら……一万曲以上聴いた中で最もイメージが近いと言える曲……」

 ぶつぶつ言いながらおじさんは自分の脳内を検索する。完全一致するのではなく、最初から贅肉がついていたとして、その贅肉の無駄そうな部分を削り落としているみたいだ。

 長いんだか短いんだか解らない、あたしの部屋であたしがおじさんの脳からハブかれた時間がすぎていく。

 突然、おじさんの呻きが止まった。

 ヨシユキおじさんはゆっくり顔を持ち上げて、泣き笑いの表情をあたしに向き合わせる。

「…………クイーンの『ライアー』だ…………!」

 永年待ち焦がれた恋人にやっと会えた感動と、自分の音楽性を自分で否定する、コレクター人生の大半が無駄だったという、まるで駄目なコドモオジサンの悲喜劇こもごもをあたしはここで確認した。

「……確かにこれだ。ライアーなんて今まで何度も聴いていたのにどうして気づかなかった……。ハリケーン!なんてシャウト、何処から出てきたんだ……」

 そんなのあたしに訊かれたって解るわけないじゃん。

 ここでヨシユキおじさんは大泣きするんじゃないかとあたしは予測した。中年男が涙する姿をあたしの部屋で見せられるのは堪忍してほしい。汚染される、とまでは言わないがかなりイヤだ。

 ヨシユキおじさんは首をのけぞらせて、あたしの部屋の天井を見つめた。

 再び、顔を合わせた時、あたしは中年男の涙と鼻水でぐしょぐしょになった顔を見せられると思い、ゾッとする準備をしたが、だがあらためて顔を向き合わせたおじさんの表情は何というか、ツルンとしていた。それは老僧の禿げ頭と赤子の罪なき顔を同時にあたしに想像させた。

 悟りを得た修行者、とふと思った。

「旅が終わった」おじさんは言った。「もうマボロシの歌を思い出す事は出来ない。あの記憶は正しくクイーンのライアーに上書きされてアップデートされてしまった」

 ヨシユキおじさんはカーペットから腰を上げ、財布を取り出して今年くれたお年玉と同額をあたしに渡して、つまり今年のお年玉を倍にしてくれた後「今年もよろしく」と年始の挨拶をもう一度し、あたしの部屋を出ていった。

 おじさんが帰った後、あたしはスマホのミュージック・プレイヤーからストリーミングで、クイーンの曲を再生した。勿論、ライアーを聴く為だ。。

 確かにそれはヨシユキおじさんが捜し求めていたマボロシの歌とは似て非なるもので、クイーン・オペラとも言うべき曲群の一角を担う壮大な歌だった。

 聴いているとあたしの中のマボロシの歌もクイーンの演奏にアップデートされていく。

 ヨシユキおじさんの脳内傑作であるマボロシの歌は、こうして世界から永遠に失われたのだ。

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