14 悪夢

 キングへの報告だの人間の国への書面の用意だのと細々としたことに時間がかかり、レクスが私室に戻ったのはすっかり夜が更けた頃だった。

 息をつきつつ部屋に戻ったレクスは、おや、と首を傾げる。イーリスの姿が見えない。いつもレクスが帰る頃にはここで待っているというのに。何か用事でも言い付けられたのだろう、と考えてベッドに倒れ込む。

 勇者パーティの三人は、普通の少年少女に見えた。あの三人がキングを討伐したなどとは信じ難い。キングは魔族の中で最も強いとされている。そもそも、たった三人で城の包囲網を掻い潜ったということにも疑問が湧く。レクスは戦いのことを何も知らないが、三人のあの様子を見る限り、彼らが望んだ戦いではないのかもしれない。

 ドアがノックされるので、どうぞ、とレクスは起き上がる。イーリスが戻って来たのかもしれない。

 しかしドアを開けた人物に、レクスは立ち上がった。

「キング! 私室まで来ないでくださいって――」

「お前、最近ちゃんと眠れているのか?」

 レクスの言葉を遮って言うキングに、思わず首を傾げる。

「え? はい、毎晩きちんと快眠です」

 レクスは嘘をつくのがうまくない。キングが顔をしかめるので、騙されてくれなかったか、と目を伏せる。

「お前が毎晩うなされているとイーリスから報告を受けた」

「気のせいですよ。ちゃんと眠れています」

「……お前は気付いていないだろうが、お前がうなされているとき、イーリスがお前を起こすために部屋に入っている。気のせいでは済ませられないぞ」

「…………」

 まったく気付かなかった。それが本当だとしたら、このまま誤魔化しきることはできないだろう。

「単に夢見が悪いだけです。そういう夢を立て続けに見ることもあるじゃないですか」

「レクス、目を見て話せ」

 ドッと心臓が激しく跳ねた。もしキングが夢の中と同じ表情をしていたら。そう思うと顔を見ることができない。息が苦しくなって服の胸元を掴む。

「何を隠しているんだ。私にも話せないことなのか?」

 話せるはずがない。もし、あれがキングの本心だとしたら……。

「レクス、黙っていてはわからない」

 そっと肩に触れたキングの手を、レクスは振り払った。

「……やめてください」

 浅く繰り返す呼吸に押し出されるように涙が溢れ、どうしようもなく声が震える。

「僕が何か隠しているからって、なんなんですか? もう僕に優しくしないでください。だって、あなたは……」

 自分を疎ましく思っているなら、中途半端な優しさなど要らない。そんなものを向けられても苦しくなるだけだ。

「僕のことは放っておいてください。僕の気持ちなんて誰にもわからない……!」

 寄る辺を失った不安が頭の中を覆い尽くす。もう何も聞こえない。何も見たくない。


   *  *  *


 遠慮がちにドアがノックされるので、どうぞ、とキングは応える。静かに部屋に入って来たのは、イーリスだった。

「コーレイン様は……」

「眠らせた。様子が異常だったからな」

 ベッドで横になるレクスの頬はまだ涙で濡れており、イーリスは心配そうに覗き込んだ。

「今日は私が見ておくからもう休むといい」

「……はい。また明日の朝、伺いますわ」

「ああ」

 イーリスは辞儀をして部屋をあとにする。ひとつ息をついたキングは、レクスのひたいにそっと触れた。

「お前の夢、見せてもらうぞ」


   *  *  *


 目を開くと、辺りは暗闇だった。重く苦しくなるような闇が肩に圧し掛かってくる。息がしづらく、ここに長く居れば気がおかしくなるかもしれないと思わせた。

 目的の背中はすぐに見つけた。暗闇の中で佇んでいる。

 歩み寄るキングの足音で、レクスは振り向いた。その途端に顔を青くする。

「ユリア……」

 レクスの小さな声に、キングは辺りを見回した。この場にはキングしかいない。レクスには、キングの目に映らない何かが見えているのだ。

「やめて……やめてくれ……そんなことはわかってる」

 譫言のように呟いて、レクスは耳を塞ぐ。キングにはレクスの声のほかに何も聞こえない。

「僕なんか……弱くて役立たずで、キングに愛される資格なんてない……!」

 振り絞るように発せられる声は、消え入りそうなほどに弱々しい。

 キングが一歩を踏み出すと、レクスはヒッと喉を引きつらせて後退あとずさる。大粒の涙を流し、浅い呼吸を繰り返した。

「わかってる……僕が、僕が代わりに死ねばよかったんだ」

 身の毛もよだつ闇がレクスを包み込む。それがレクスを覆い尽くす前に、キングは彼の手を引いた。レクスが退くより先に、彼を強く抱き締める。

「私はお前を心から愛している。ユリアだってそうだったはずだ」

 レクスがハッと息を呑んだ。

「お前が弱かろうと強かろうと関係ない。私は、お前を愛しているんだ」

 遠慮がちにキングの背中に腕を回したレクスの体が、さらさらと砂のように崩れていく。それと同時に、辺りを覆っていた闇も掻き消えた。暗闇に一筋の光が射し込み、悪夢の終わりを告げていた。

 これは呪いだ。それも、とてつもなく強力な。

(ユリア嬢がかけたとは思えない)

 レクスはユリアに罵倒されていたのかもしれない。妹を救えなかった無力感が自責の念を生み出したように思える。これをひとりで抱え込んでいたということは、誰にも心を開けていなかったということだろう。

(それに、私の愛はまだ伝わっていないようだな)

 キングの愛を疑っていたのだろう。それが、愛される資格はないと思わせていたのかもしれない。これからはもっと伝えていく必要がありそうだ。そう考えて、キングは小さく笑った。

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